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10月8日(木)、「ふるさとの歴史教室」主催の研修旅行「大野川とその沿岸の歴史」に参加しました。 ふるさと歴史教室では毎年春と秋の2回、研修旅行が実施されています。

今回は、竹田市荻町にある大野川源流の「白水の滝」、豊後大野市緒方町の「原尻の滝」、大野町矢田の「沈堕の滝」を巡り、最後に三重町の歴史資料館を訪ねました。資料館では豊後大野市の学芸員の方から、展示品について丁寧な解説をいただきました。 帰りには、岡藩の参勤交代で利用された犬飼港を車窓から見学し、帰路につきました。

朝8時に鶴崎支所を出発し、予定通りの17時に戻る工程でした。これまでの秋の研修旅行は県外が多くありましたが、地元の県内をじっくり巡る旅も時間に余裕があり、多くの歴史や自然に触れることができて大変有意義だと感じました。

「ふるさとの歴史教室」研修旅行

「ふるさとの歴史教室」の一日を時間を追って進めていきたいと思います。
なお、この旅行を企画し準備をしてくれた事務局長の村上さんの説明もいれながら進めてみたいと思います。

出発から荻町白水の滝まで  鶴崎支所 8時出発

鶴崎支所の駐車場に集合。8時に出発。総勢31名。なお、今回は川添校区公民館俳句教室から3人が参加されていました。

川添の阿蘇神社の銀杏(イチョウ)について

移動中のバス車内では、川添の「阿蘇神社」の前を通過する際、村上さんから神社にまつわる興味深いお話がありました。 人気テレビ番組『世界一受けたい授業』で大分県が特集された際、実は大分県が「ぎんなん」の生産量日本一であることから、県内のイチョウの名所としてこの阿蘇神社が映像で紹介されたそうです。 以前から、秋にライトアップされた幻想的な阿蘇神社の様子は、TOSやOBSのテレビニュース、大分合同新聞などでもたびたび報道されています。今年も11月〇日(〇)からライトアップが始まる予定とのことです。鶴崎地区の私たちにとって非常に身近で親しみのある阿蘇神社ですが、この秋はぜひ、夜のライトアップへ足を運んでみてはいかがでしょうか。

阿蘇神社のイチョウ

阿蘇神社のライトアップ



阿蘇神社のイチョウはこちらから→   👉阿蘇神社のイチョウ

戸次川の戦いと鶴ヶ城

川添から戸次に抜ける県道38号線と国道10号線が交差した中村北交差点から10号線を竹田方面へ1.5kmいったところ、(白滝橋より上流)に行ったところに、戸次側古戦場跡の写真の標柱が立っています。薩摩と豊後が争っていたのですが、宮崎の耳川で大敗した後、薩摩軍が大分に攻め上がってきます。そして薩摩軍と大友軍の戦いの中で最大だったのがこの鶴ヶ城の戦い・戸次川の戦いです。この合戦祭りは村上さんのおすすめです。来月開催されます。

この戦いとその時代背景はこちらをご覧ください。 👉戸次川合戦と鶴ヶ城

大野川合戦祭りは毎年開催されていますが、2026年第22回大野川合戦まつりは、2026年11月14日(土)・15日(日)大南大橋下河川敷(10:00~20:30)で開催されます。  《参考》👉2022年大野川合戦祭り

戸次川合戦の跡 天正14年(1586) 435年前  (2021・11・11撮影)

戸次川古戦場跡の標柱
古戦場跡付近
鶴ヶ城から古戦場跡を望む
鶴ヶ城跡から合戦場跡を望む
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白水の滝 <竹田市荻町陽目>10時~11時15分

出発し2時間、荻町陽目にある陽目の里(ひなためのさと)に到着しました。
今日の研修旅行の起点です。下の地図に白水の滝、原尻の滝、沈堕の滝を入れています。位置関係を見て下さい。
なお、白水(しらみず)の滝、白水(はくすい)ダムとありますが、同じ白水でも読み方は違います。
また、近くに円形分水<大野川からの水を地元のそれぞれに均等に分水するための施設>があるので添付しておきます。

👉大野川を下る第1回(源流祖母、荻町 ) 大野川の源流・白水の滝・円形分水・白水ダム
👉白水ダム・円形分水

白水の滝


白水の滝の特徴は岩間からほとばしり出る湧水にあり、滝の高さは38mあります。
かつて岡藩藩主の中川氏が、この滝を眺めるための御茶屋が設け、多くの文化人が詩を詠み、讃えたと言われています。
滝のいわれは、滝から流れ落ちる水は、幾筋もの白い糸のように見えることから「白水」と名付けられたという説や、かつて99本の滝筋があったため「百」から「一」を引いて「白水」と呼ばれるようになったという説があります。
大分県100景に選ばれており、2007年には国の登録記念物に登録されました。

白水の滝は陽目の里の入り口駐車場から歩いて、600mほど上流にあります。その途中の渓流もきれいです。ただ、後ひと月待てば紅葉がきれいだっただろうなと少し残念な気もします。
また、ここでは、竹田市役所文化財課の坂本さんが大野川の源流や白水の滝、岡藩等の歴史の説明をしてくださいました。

昨年ここを訪れた時は川の水量が少なく、滝も貧弱でしたが、今年の9月末からの降雨により滝ノ水も豊富で見ごたえのあるものでした。今日のみんなが感激していました。この滝を見ただけで今日の研修旅行は成功だったのではないでしょうか。

研修の様子を見てみましょう。

荻支所の方の説明

荻支所の方の説明

途中の道路わきからも水が噴き出ています。

大野川の源流

白水の滝への最後の登り口前に「大野川源流の碑」が立てられていました。ここが源流というわけではないのですが、祖母山系からの雨水が集まり、支流の大谷川からこの白水の滝を通り、大野川へと合流します。

大野川源流の碑
大野川の源流、白水の滝の説明

白水の滝

大野川の源流の雰囲気を味わってください。

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原尻の滝  <豊後大野市緒方町原尻>12時~13時15分


 《参考》👉大野川を下る第3回(緒方から三重町へ)原尻の滝・沈堕の滝・川辺ダム

原尻の滝 <「日本の滝100選」>

原尻の滝は幅120m、落差20mの滝です。滝の上を歩くことも、また、滝の下流側につり橋がかかっており、そこから滝の正面を見ることもできます。「日本の滝100選」の滝100選」にも選ばれており、景観もスケールも見る価値のある滝だと思います。

2018-6-15撮影
2026₋10₋8撮影

研修の見どころ

さすが、研修旅行。原尻の滝には目も繰らず、緒方川の取水口に向かいます。
この取水口は「原尻の滝」のすぐ上流にあり、緒方平野の広大な田園地帯を潤す農業用水路「緒方下井路(おがたしもいろ)」です。
この原型は、一説には平安時代末期の猛将として知られた地元の豪族・緒方三郎惟栄(これよし)によって作られたとも伝えられています。
これは、20m落差のある滝に水が落ちてしまう前に、高い位置で水を取水し、緒方平野に水路で水を送っています。
なお、原尻の滝から三重の資料館までの説明を豊後大野市資料館の長屋さんがしてくれました。

下井路取水口

緒方がに設けた水路
正面が取水口。右が原尻の滝
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 「浜嶋酒造」 <豊後大野市緒方> 13時20分~14時

「浜嶋酒造」は先に行った原尻の滝から2km(約5分)の距離で緒方町の一角にあります。代表銘柄の「鷹来屋(たかきや)」で広く知られています。
 浜嶋酒造については詳しいことはわからないのでネットで調べてみました。

歴史と屋号の由来:
明治22年(1889年)に初代・浜嶋百太郎氏が創業。蔵の棟上げの際に屋根に鷹がとまったという言い伝えにちなんで、屋号が「鷹来屋」と名付けられました。一時期酒造りを中断していましたが、平成9年(1997年)に5代目の蔵元・浜嶋弘文氏が杜氏として完全手造りによる酒造りを復活させました。

「自耕自醸(じこうじじょう)」の酒造り:
単に酒を醸すだけでなく、自ら田んぼに入って酒米(山田錦や大分三井など)の栽培から手掛けているのが大きな特徴です。仕込み水には久住山系の豊かな伏流水(軟水)を使用し、その地の気候・水・米・人が一体となった真の地酒造りを追求しています。

浜嶋酒造へ向かう

浜嶋酒造周りの水田 酒米として植えられています。
浜嶋酒造の駐車場に到着
浜嶋酒造へ到着

浜嶋酒造前にて

鷹来屋という大きな看板が店の前に上がっています。これは鷹来屋が浜嶋酒造のブランド名だからのようです。

買い物タイム

酒を飲む人も、飲まない人も品定めに必死です。

浜脇酒造前で集合写真です。皆さん、買い物を終えホッとした穏やかな顔で写っています。

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沈堕の滝

当ホームページに 👉昭和井路の歴史 第一回 概要とルート を投稿していますが、その中から沈堕の滝について抜粋してみます。

沈堕の滝 (高さ約20m、幅約110m)  (昭和井路の歴史第一回より)

先ほどの緒方川と大野川合流地点から400mほど下流にある。

「沈堕の滝と沈堕発電所」
余談ではあるが、この沈堕発電所の取水口は三重町百枝にある。ところが、沈堕発電所跡は、国の登録記念物であり観光スポットになっている沈堕の滝の横にある。(豊後大野市矢田)
この発電所は明治42年に別大電車の電力供給、さらには大分町などへの電力供給ために建設され、大正12年、下流に新沈堕発電所が完成し、その役割を終える。
私は何気なくそこにある取水口が昭和井路の原点だと勘違いしてしまった。
しかし、ここにある取水口から3km下にある現沈堕発電所まで導水されそこの発電に使用されている。そしてその発電所からまた少し下ったところにある三重町百枝の川辺地区にある百枝取水堰堤が本来の昭和井路の水の原点になる。
せっかく撮った写真なのでアップしたい。 」
なお、付け加えると室町時代の水墨画家・雪舟が1476年に訪れ、「鎮田瀑図(ちんだばくず)」を描いたことでも有名。しかし関東大震災でこの原画は焼失してしまうが、模写されたものが今も残され、この滝のすばらしさを今に残している。

沈堕の滝全景  [2020.11.09撮影]

【画像クリック拡大】                                 

沈堕の滝
右の建物が沈堕発電所跡
観光スポットの沈堕の滝
室町時代に雪舟が描いた複製

沈堕発電所跡から滝を望む
沈堕ダムでの取水箇所  沈堕発電所に送水される

工事中で水のない沈堕の滝 
なお、今回再度沈堕の滝を訪問すると貴重な場面に出くわしました。現在工事中のため、水を取水口の方へ流し滝からの放流はされていませんでした。その貴重な写真を見てください。

2025年5月18日撮影

研修旅行にて

沈堕の滝三部作

説明を受ける参加者の三部作

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豊後大野市資料館  <豊後大野市三重町> 15時~16時00分

最後に三重町にある豊後大野資料館を訪問しました。ここで豊後大野市の学芸員の長屋さんに一時間ほど説明をしていただきました。この時に、三重町の地形や地質について詳しく話されていたので、先におおいた豊後大野ジオパークについて記載したいと思います。

 清川から三重町へ 

   詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。 👉大野川を下る第3回(緒方から三重町へ)          

 大野川と奥岳川との合流 岩戸の景観

岩戸の景観は大分県豊後大野市清川町臼尾にあります。清川と三重町の中間になります。そこは大野川と奥岳川の合流地点で、高さ50m、長さ500mにわたる大絶壁が広がっています。この場所は「おおいた豊後大野ジオパーク」のジオサイトのひとつとしても知られています。個人的には絶壁よりも鉄橋がこの絶壁に浮き上がって見えてきます。

二層の巨大火砕流と柱状節理:高さ約50m、長さ約500mにわたる大絶壁がそびえ立っており、崖の下半分は阿蘇火山の3回目、上半分は4回目の巨大噴火による火砕流の地層で構成されています。特徴的な「柱状節理」の断面もはっきりと観察できます。

岩戸の景観    (高さ50m、長さ500mにわたる大絶壁)

                                                                                                    2025₋05₋18撮影

豊後大野市資料館

ネットからの説明を引用

・豊後大野市資料館 ジオパークミュージアムは、大分県豊後大野市三重町にある、地域の歴史・民俗・自然を総合的に学べる施設です。2021年7月に現在の場所(図書館と併設された「ふれあい・学びの杜」内)へ移転し、展示を大幅に刷新してリニューアルオープンしました。

・主な展示内容: 豊後大野市の歴史や民俗資料に加え、岩石、化石、鉱物などを幅広く収蔵・展示しています。

・ジオパークの拠点: 「おおいた豊後大野ジオパーク」の拠点施設を兼ねており、阿蘇火山の噴火などによって形成された大地の成り立ちや、自然・産業の発展についてビジュアル豊かな映像や地形模型などで分かりやすく発信しています。

豊後大野市資料館にて

説明に聞き入っています。

展示動物について

ここに展示されているニホンカモシカは今では数百頭しか九州にはいないそうです。
また、隣のツキノワグマは九州で最後に捕獲されたクマのはく製です。今はクマがニュースになっていますが、九州では昭和30年ごろに絶滅したと言われています。

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犬飼港跡 <豊後大野市犬飼> 14時20分過ぎ

ここに関しては対岸の10号線から見学しただけだったため、少し補足をしておきたいと思います。

資料としては当ホームページの中から抜粋しています。
・👉竹田岡藩の参勤交代ルート 犬飼港から三佐港へ
・👉大野川を下る第4回(三重町、犬飼町の河川港[細長港、吐合港、犬飼港)

岡藩、萩原から三佐に移転 <竹田岡藩の参勤交代ルートから抜粋>

船着き場が萩原から三佐に移ったことから、岡藩の交通路が大きく変わっていきます。
これまでは先に書いたように肥後街道を使って萩原の船着き場に向かっていましたが、三佐に船着き場が移ってからは城内から陸路で大野郡を通り犬飼まで向かい、犬飼からは三佐までを大野川を下っていきました。
岡藩中川氏は三佐港と同時に犬飼町の建設も行いました。
明暦年間(1655年~1660年)のころに岡藩によって犬飼から下流の大野川の整備が26㎞にわたって行われたとあります。犬飼から三佐までが25㎞ほどのため、犬飼から三佐までの船のルートの整備がされたということでしょう。
このことにより、多くの物資を三佐まで船で運べるようになりました。臼杵藩も三重の物資(煙草や年貢米)をこのルートを利用しています。
 犬飼の発着は当初、犬飼の上流の田原(鶴の瀬)でしたが、1656年に犬飼に岡藩の御蔵が建てられ、町屋ができ始め、船着き場も犬飼に移っていきます。又、1662年に御茶屋ができ、御蔵も増築されたころから犬飼、三佐間の大野川通船が本格的に盛んになっていきます。
この河川交通が最も盛んだったのが明治の初めごろで16の舟問屋と135の運船があったといわれています。
 しかし、大正六年(1917年)に豊肥線鉄道ができ、川舟交通は終わってしまいます。

犬飼港から三佐港へのルート
(大分市歴史資料館で見せていただいた豊後国志の付図に記入してみました )

犬飼から戸次まで大野川を流れ、大津留の分流地点で乙津川を流れ三佐港にたどり着く。大野川では熊本藩の領地にたどり着くため、他藩の領地を避けたためと思われる。現在では乙津川は溢流堤ができ水量が少なくなっているが、当時は船が運航できるほどの水量があったと思われる。
 また、帰りは三佐から野津原を通る肥後街道を利用して竹田に戻ることが多かったようである。

岡藩、萩原から三佐に移転 <犬飼港から三佐港へ から抜粋>

先に書いたように、岡藩は鶴の瀬港から犬飼港へ船着き場を移動していきました。そして犬飼港から参勤交代の船が出ていきました。岡藩の藩船は30艇ほどあり、下りのみに使用したようです。下りは簡単ですが、上りは大変だったため、参勤交代の帰りは肥後街道を通り陸路で竹田に戻っていました。
また、藩船のほか、炭や蒔、米穀を運ぶ民間の船(20隻)もあり三佐や鶴崎、乙津港へ運んでいました。

犬飼漁港

犬飼漁港(荷上場石畳)

下記の写真の草の生えている部分が昔の荷上場の石畳です。

犬飼・犬飼港周辺

史跡位置図

かまぼこ石・犬飼町並み

当時の参勤交代道路に名残として、犬飼の上町には石畳道があり、その肩には転落防止なのかかまぼこ型の縁石があります。
 このルートは犬飼の下町と山側の武家屋敷との間につくられています。どうして現在の犬飼の通りを外しているのかわかりませんが、もしかしたら下々のものに顔を見られないように殿様専用の道路だったのかもしれません。

また、犬飼の町中には当時を思わせる家屋が多く残っています。バイパスが大野川右岸に先にできたため、古い町並みが残っているのかもしれません。
                               犬飼の当時を思わせる街並み

犬飼漁港

犬飼漁港(荷上場石畳)

下記の写真の草の生えている部分が昔の荷上場の石畳です。

犬飼港 (殿様専用港)

ここは殿様(藩主)専用の港です。ここまでの道を火の道というそうですが、浄流寺の住職の話では火を焚いて石を割ってここまでの道を作ったことから火の道というのだそうです。


お茶屋跡

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7

17時、鶴崎支所駐車場にもどりました

17時、長い研修旅行から帰りつきました。白水の滝で歩いたこともあり、皆さん疲れ気味でした。でも、この一日で多くの箇所を訪れることができ、満足の出来る旅行だったのではないでしょうか。

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8

《参考》大野川の旅

👉大野川を下る第1回(源流祖母、荻町 )白水の滝・円形分水・白水ダム
👉大野川を下る第2回(竹田から大野町・緒方町)玉来ダム・魚住ダム
👉大野川を下る第3回(緒方から三重町へ)原尻の滝・沈堕の滝・川辺ダム
👉大野川を下る第4回(三重町、犬飼町の河川港[細長港、吐合港、犬飼港]
👉大野川を下る第5回(ついに到着地 鶴崎(別府湾)へ)


《参考》ウォーキングに興味のある方へ

<大分再発見>ウォーク以外を含む 
👉大分を歩く 
👉大分を歩く (その2)
👉大分県内のウォーキング大会に参加してみました

<大分県ウォーキング協会 link>   
👉大分県ウォーキング協会 (ウォーキングイベント)
👉大分県ウォーキング協会 (トップページ)
👉入会の方法