ふるさと
川添の歴史誌 原本
※ 川添歴史年表はまだ編集中です。
第1章 川添の歴史年表
①弥生時代~室町時代まで
【人類の起源】
平成25年10月8日 (火) 県ユネスコ協会連盟顧問 岸野晋一 2011
(平成23年12月22日木曜日) 大分合同新聞夕刊 灯に掲載
現在人70億人の先祖は1節で約14万年前、 アフリカで誕生したという上記新聞に掲載されていました。
最近ではNHKの1月22日 (日) 午後10時31分 「人類発祥の地」のNHK放送では、 南アフリカプロンプス洞窟発掘で、 20万年前に人が住んでいた痕跡があると放送されていた。
我々の台地である丹生遺跡は、それをはるかにうわまわる30万年前といわれ、 ローム層下の礫層中から粗い造りの 「握斧 (ハンドーアックス)」 などが採集されたのがきっかけで世界の考古学者が訪れています。
大分県の遺跡講演会でも丹生遺跡の話が出てきません。
その後、日本の考古学会はいつまで沈黙を続けているのでしょうか。
| 西 暦 | 和 暦 | 年 月 | 記 事 | ||||||
| 弥生時代 | 狩猟採集の時代から、 渡来人がもたらしたイネ、 鉄、青銅器等の生産が始まりました。 「時代は不明ですが丹生一族の製錬技術に伴う活躍が大野郡三重町誌に記載されています」 | ||||||||
| 弥生後期 | 「戸塚山遺跡」で土器が出土 | ||||||||
| 大和時代 | |||||||||
| 300 | 「阿蘇入横穴古墳群」 勾玉、 金冠、 鉄剣などが出土 | ||||||||
| 585 | 9月5日即位 「31 代用明天皇伝説」 | ||||||||
| 591 | 「九鹿猪山圓通寺開基」 日羅上人による | ||||||||
| 698 | 文武2 | 「赤迫池の朱 (硫化水銀)」 豊後から奈良の朝廷に朱を献上 | |||||||
| 710 | 奈良時代 | 平城京に遷都 | |||||||
| 794 | 平安時代 | 平安京に遷都 | |||||||
| 814 | 弘仁5 8 1 | 「白嵩社の創建」 祭神 百合岩大臣 御神体 鉄戈 (てつか) | |||||||
| 1182 | 「経塚遺跡」 9~10世紀ごろ 中国製蓋付銅筒 陶磁器 銅鏡 宋銭が出土 大分歴史資料館に保存展示しています | ||||||||
| 1192 | 鎌倉時代 | ||||||||
| 1196 | 建久7 | ・一代大友能直公大分へ (豊後高田市誌P341) | |||||||
| 御同紋12家は首藤、 衛藤、舞、 林、 高山、 甲斐瀬、矢野、古庄、志賀、後藤、工藤、佐藤、3月10日浜脇浦着船 立石村 (別府) を経て大分郡笠和郷府内上ノ原に居住 1285 弘安 8年 ・中世鎌倉幕府に提出された 「豊後国図田帳」 によれば、 迫村、 鶴村、 中の瀬村は城興寺領の高田荘に属している。 | |||||||||
| 1291 | 正応 5 | 平野神社の勧請 種具紀伊入道宗雪が平野若狭守藤原勝平(たねぐきいにゅうどうそうせつ ひらおかさのかみはらかつひら)を招き、 よって勧請された。 | |||||||
| 1295 | 永仁3 | 3月12日 | ・薬師堂の創建 所在地 南谷 (百堂五輪塔群の近く) | ||||||
| 1302 | 乾元元 | 11.12 | 平野神社の創建 [現在地種具字勝ヶ平] 祭神 大物主の命、 日本武尊外三天皇 (1369 応安2年10代大友親世の再興 天正年間兵火焼失、 その後再興) | ||||||
| 1306 | 徳治元 | ・九鹿猪山圓通寺(九六位山圓通寺) 5代大友貞親公のとき殿堂、 多宝塔、鐘楼、 山門、 方丈、 法堂、 十二坊を建て百名の僧を住まわせる。 | |||||||
| 1334 | 南北朝時代 ・室町幕府成立 | ||||||||
| 1358 | 延文3 | ・大友 7代氏泰龍興寺建立 高嶽彗禅師を開山 | |||||||
| 1390 | 室町時代 | ||||||||
| 1391 | 明徳 2 | ・南北朝時代 「五輪塔群」 | |||||||
| 1394 | 応永元 | 宮川内城跡 お城には大友 10代親世 11代親者が居住死後藤原一族が住む (藤原勝氏より) 「阿蘇神社の創建」 大友 10代親世が建立 ・祭神 健磐龍命(たけいわたつのみこと) 【神武天皇の孫】 | |||||||
| 1500 | 明応 9 | ・室町時代中期 「浄土寺 (宮河内) の開基 | |||||||
| 1518 | 永正15 | 村谷姓の誕生 20代大友義鑑と種具掃部助との友好 (種具文庫 大分歷史資料館寄託) 20代大友義鑑と種具掃部助との友好 (種具文庫 大分歷史資料館寄託) ※種具掃部助(たねぐそうのすけ) | |||||||
| 1551 | 天文 20 | ・豊後の国主第21代大友宗麟の招きによってフランシスコ・ザビエルがキリスト教をを広める。 ・迫の首藤一族は21代大友宗麟に仕える (享禄 1528~、 天文 1532~、 天正 1 1573~) ★ 天正1年に21代宗麟 (そうりん)から子供の22代義統 (よしむね)に家督を譲る。 移住時期不明 大分郡笠和郷府内上ノ原に相勤めた後、 天正2年~海部郡臼杵丹生之荘に移住 | |||||||
| 1584 | 天正12 | 場所 現在の大字宮河内字貝が迫 (宮河内ハイランドの南側の谷奥) 首藤安男の先祖が住んでいた土地です。 | |||||||
| 〃 | 〃 | 迫の首藤一族は海部郡臼杵丹生之荘 大字宮河内字貝ヵ迫から種具迫村に居住 (429年前 ) | |||||||
| 1586 | 天正14 | 本城山の整備 21代大友宗麟は薩摩の戦いの侵攻に備えたが敗退、圓通寺も焼失広内一帯も戦場 となっていたのではないかと思われる。 ・「薩摩が鶴崎お茶屋を攻める」 迫の白嵩社を焼き払い本陣とした。 ・豊後キリシタン 迫村、 種具村、 宮河内村、 広内村に信者 | |||||||
| 1593 | 文禄2 | 文禄の役 「廃藩分離」 ・朝鮮出兵で22代大友義統敵前逃亡で秀吉より豊後国を改易され没収される。 後 川添は臼杵藩と熊本藩に分離された。 ?室町時代末期豊後国海邊郡丹生庄 「御検地帳」 検地奉行 加賀国山口玄蕃頭宗永 | |||||||
| 1594 | 文禄 3 | ・大友領地が秀吉によって没収されたのち宮河内村 広内村は臼杵藩領となる。 | |||||||
| 1596 | 慶長元 | 9月1日 | 豊後地方でM7.0 前後の地震が発生別湾内にあった瓜生島が水没した。 ・秀吉によるキリシタン禁教令 | ||||||
| 1600 | 慶長5 | 12月 | 川添橋から上を臼杵の稲葉貞道の領地 川添橋から下を肥後熊本の加藤清正の領地 | ||||||
| 1601 | 慶長6 | 2月 | ・鶴崎 高田 種具 迫などが熊本領加藤清正の領地となる。 | ||||||
