高田校区公民館に行ったときに、館長から高田の過去の地図のコピーをいただきました。このコピーは「川の中の美しい島・輪中」の著者 長野浩典 氏が公民館を訪ねられた時にいただいたそうです。その地図を今度は私がいただいてアップしました。
大正7年~昭和63年までの高田の変遷が地図を通してよくわかると思います。
 地図を見ながら高田の道路、集落、大野川、乙津川、堤防の移り変わりを地図を通して味わってください。
なお、パソコンでわかる程度のため、ちょっとスマホでは厳しいかと思います。

※道路や川・堤防を着色しようと思いましたが、下手に手を加えると考えのじゃまになると思い着色は避けました。ポイントだけは示したいと思います。

<参考>「川の中の美しい島・輪中」

さあ、時間をかけてゆっくりと見てください。

大正7年の高田

《ポイント》 今は鶴崎から、くらし館前まで市道がまっすぐつながっていますが、当時の主要道路は乙津川沿い、大野川沿いの東西に分かれているようです。

昭和5年の高田

《ポイント》 先ほどの道は鶴崎から常行まで真っすぐにつながったようです。
       乙津川は現在のようには広くなく小川程度だったようです。また、現在の堤防と川の間は桑畑・畑地・荒れ地だったよ 
       うです。堤防らしき表示もあるので低い堤防がもっと川側にあったのかもしれません。
       大野川についても、鶴崎の人の話ではかっては鶴崎橋近くの今の堤防と川の間には宿屋や人家、墓などがあり、堤防は 
       低かったそうです。戦後の堤防かさ上げ時に移転したそうです。

昭和23年の高田

《ポイント》昭和18年の大水害、昭和20年の終戦後の高田の地図です。これから大きく変化をしていきます。

昭和48年の高田

《ポイント》1・国宗から大津留にかけての市道が整備されはっきりと見えるようになっています。森町の皆春から金の手にかけてのバ
        イパスも完成し、直線が見えます。
      2・しかし、大津留にできた分水堤<大津留の溢流堤>により大きく変化しました。河川の幅が広くなり堤防もはっきり
        としてきました。

昭和63年の高田

《ポイント》 一目違いが判るのが乙津川、大野川がすっきりしたことです。国土交通省の長い間の河川改修工事(川の浚渫・川内の樹
       木、竹の伐採・護岸・法面工事)により、水の流れが非常に良くなったように見えます。
       また、集落が高田全体に広がってきているようです。