高田の歴史(カテゴリー別)

現在の今もこれから歴史になっていきます。

高田の歴史 最新記事 8件

<川添校区>「九六位山キャンプの夕べ」の案内                 令和8年7月18日(土)17:00~
<川添校区の歴史>「ふるさと川添の歴史誌<首藤安男 編集>」第2章 川添の歴史的背景 (川添の歴史を通して鶴崎地区の歴史を知る)
<昭和井路の歴史 第5回>昭和井路 明治線(その2 猪野交差点~小池原終点まで)
<川添校区の歴史>「ふるさと川添の歴史誌(原本)」   (首藤安男 編集)第1回 川添の歴史年表とその歴史背景
<高田の歴史>大分郡高田村是(第5回)「 将来の部 (工業・商業・貯蓄) 」          明治時代、将来の高田の工業・商業をどう計画していたのだろう?
大分市内の小学校設立年比較表《更新》(高田小学校150周年に寄せて)  
<高田の歴史>大分郡高田村是(第4回)「 将来の部 農業 」          明治時代、将来の高田農業をどう計画していたのだろう? ③蔬菜(野菜)➃蚕業⑤苗圃の奨励
<高田の歴史>大分郡高田村是(第3回)「 将来の部 」          明治時代、将来の高田をどう計画していたのだろう? 総論・農業

年度別高田の歴史  <年度別ではなく年別です>

大友氏滅亡後大分は多くの藩に分断してしまいました。そしてその中でまた細かく分断したのが、わが高田周辺です。(高田は肥後細川藩です)まず、鶴崎は三佐(岡藩領) 家嶋(臼杵藩領) 千歳(延岡藩) 乙津(天領)と入りくんでいます。高田周辺も 高田風土記(1800年 文化年間)によれば 臼杵藩は 丹生 岡 延命寺 金谷 毛井新田 横尾 森村 森町村 大津留村 毛井村 等 幕府領松岡村になっています。(今でも知られている村をあげています)
それ以外の鶴崎、大在、坂ノ市、佐賀関、野津原、竹中などは、肥後熊本藩の飛び地でした。
〈当ホームページ 高田の歴史-高田村史内より抜粋〉
ー省略ー
そして熊本藩は行政の中心として肥後領内に手永をもうけました。手永とは熊本藩が藩内の行政区として管内を五十三手永に区画し、各手永御代官兼御惣庄屋を置いて手永内のおける一切の民生を行わせていました。
大分では九重、野津原、谷村、高田、関の五か所の手水がありました。(熊本藩の参勤交代の通路にあたると思います )高田手永は現在の高田ではなく、わかりやすく言えば昔の鶴崎市ほどの広い地区でした。そして<高田会所>はその民生の執務所でした。会所の長を御代官兼御惣庄屋といいます。そしてそれが設けられていたのが高田の上徳丸にある高田会所跡です。
高田はこの地域の行政の中心的位置にあったのです。
〈当ホームページ 高田の歴史-人物(岡松甕谷)より抜粋〉
歴史は知れば知るほど奥が深く面白いものだと思います。

👉大分市高田の歴史