当ホームページに鶴崎地区の歴史年表として鶴崎地区各自治会の歴史年表を合算させたものをアップしています
。👉鶴崎歴史年表
しかし、すべてを網羅しようとしたため、各校区の代表的な年表となり、詳細なものが抜けているような気がしていました。そこで各校区別歴史年表を遂次作成してみることにしてみました。そして今回は明治校区の歴史年表とその歴史背景(予定)を作成してみました。

尚、参考文献は「鶴崎地方歴史年表」,「高田村志」・ふるさと松岡・三佐の歴史年表・残しておきたい明治のはなし・ふるさと川添の歴史誌・みんなで学ぼう別保の歴史の歴史等です。
 今回は「残しておきたい明治の話」を参考させていただきました。この「残しておきたい明治の話」は大分市の「地域まちづくり活性化事業」として、鶴崎地区各校区が「鶴崎七輪の街づくり」事業の取り組みとしてつくられたものです。「残しておきたい明治の話」もそのときにつくられたものです。また、明治歴史マップもこの時に作製されたものです。

<明治校区>八坂神社

明治校区 歴史年表

1・弥生時代~奈良時代

時代西暦  日本の出来事          事      項
石器時代日吉川の上流、天然塚の南に位置し海抜40mの台地にある。 昭和30年代の団地開発で無数の石器類が出土している。
縄文時代紀元前1000年頃・横尾貝塚
大字横尾字江又の県道沿い、 乙津川の上流にあり、 「貝殻天神」と呼ばれ ている。 縄文式土器・石器・骨器等が多数出土している。 平成二〇年に国の史跡に指定する答申が出された。

・小池原貝塚
大字小池原字宮田の台地にある。 縄文式土器・石器・釣り針等多数出土している。
弥生時代紀元前200年頃・多武尾遺跡
大字横尾字多武尾の台地にある。 住居跡弥生式土器や木炭やじり等が出土している。

・米良草遺跡
大字猪野字米良草、 とび川の上流の山林より発見される。 土器の破片が多数出土している。

・二目川遺跡
大字横尾字高尾の山の中腹、「経塚」と称する場所より銅鐸が出土してい
る。

・北の崎遺跡
大字葛木字北のの傾斜地一帯から多数の型土器の破片が出土している。
古墳時代300年頃一の谷川横穴群
大字松岡字寺田に位置し、 滝尾の百穴等と同様の古墳群である。
奈良時代
平安時代
710年和銅三平城京(奈良)に都を定める。
713年和銅六豊前・豊後両国の風土記の編集を始める。
741年天平十三国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせる。 豊後国分寺は賀来に建立する。
794年延暦十三平安京(京都)に都を遷す
821年弘仁十二猪野に八坂神社を建てる。
859年貞観元この頃、小池原に八坂神社を建てる。
1172年承安二二目川に水分社(みくまり社)を建てる。
1190年建久元溝口左衛門尉水繁(みぞぐち さえもんのじょう ながしげ)が高田荘を領し、猪野に居住する。



2・鎌倉・室町時代

西 暦年 号  日本の出来事          事      項
鎌倉時代
1192年建久3年鎌倉幕府が成立
1196年建久7年大友能直が豊後国の守護となり、 横尾の若宮八幡社、 秋葉社 (鶴崎) 永安寺 (乙津)、 長興寺 (松岡) 等多くの社寺を創建する。
1274
1285
蒙古襲来  <元寇  文永の役・弘安の役>
室町時代
1338年延元3年足利尊氏が京都に室町幕府を開く。
1344年康永3年横尾に法雲寺を建立する。
1405年応永12年
1274
1285
蒙古襲来  <元寇  文永の役・弘安の役>
1308延慶1年
1336建武3年南北朝時代始まる
1338年足利尊氏 室町幕府を開く
1405年応永12年横尾字岡原に天神社を建てる。
1467
~1478
応仁の乱
1532年天文元年二目川百手まつりを始める。
1553年このころよりキリシタンの伝道が始まる。
安土桃山
1576年天正4年織田信長が安土城を築く
1577年天正5年高田荘の間別調が行われる。 その中に、門田・別保・成松・徳丸・猪野・三川等の名が記載されている。
1582年天正10年本能寺の変大友宗麟が四名の少年使節をローマに遣わす。
1585年天正13年高田荘で洗礼を受けた者1300名とあり、 キリシタンが増える。
1586年~1587年豊薩合戦 豊後と薩摩のあいだで戦争
1587年天正15年この年から翌年にかけて、 大友氏 (豊後)と島津氏 (薩摩) の戦いで大友軍が大敗し、鉾神社が焼かれるも、 その後、信者たちが再建した。
1590年豊臣秀吉全国を統一
1594年文禄3年家島・森町・小池原・猪野 ・葛木の大部分、 横尾・ 大津留・ 毛井・ 広内・宮河内が臼杵領となる。
1600年慶長5年関ヶ原の戦い
1602年慶長7年渡辺宗覚 (最初の欧州渡航者)、 家康より葛木100石を賜り領主となる。

3・江戸時代

西 暦年 号  日本の出来事          事      項
江戸時代
1603年慶長8年徳川家康が江戸に幕府を開くここの頃より加藤清正によるキリシタンの取り締まりが強くなる。
1608年慶長13年松岡大字毛井に龍泉寺を建立する。
1614年慶長19年キリシタンの大追放が行われる。
1624年寛永元年葛木の領主オルガンチノ・タンシューとその妻が火あぶりの刑に処せられる。
1637年寛永14年葛木のキリシタン五名が処刑される。
1638年寛永15年葛木のキリシタン十四名が処刑される。
1647年正保4年中島・門田・家島・葛木の一部、 成松・池の上が延岡領となる。
1660万治3年横尾に法雲寺を再建する。
1761年宝暦11年紀行平の540年忌にあたり、 二目川に供養塔を建てる。
1811年
文化8年
臼杵領で一揆が起こり、 森町・横尾 ・毛井の庄屋等を破壊する。
1867慶應3年【徳川慶喜】大政奉還をする

4・明治・大正時代

西 暦年 号  日本の出来事          事      項
明治時代
1868年明治元年江戸を東京と改め、都を遷す。
1871年明治4年廃藩置県実施
廃藩置県により、旧藩領は熊本県・岡県・延岡県・臼杵県・日田県に属する。
大分県が成立し、 鶴崎地区は大分県に属することになる。
1872年明治5年学制が公布
1875年明治8年町村区画の分合改称を行い、 明治地区は大分県第三大区第九小区に属し、第三大区は大分郡 第九小区は横尾村・森村・森町村・小池原村・葛木村・猪野村となる。
・明治地区に横尾小学校 猪野小学校を創立する。
1877年明治10年西南戦争
1888年明治21年組合立鶴崎高等小学校を設立する。 鶴崎・明治・桃園・三佐・別保・高田を学区とする。
1889年明治22年町村制施行猪野村・横尾村・小池原村・葛木村を合併し、明治村となる。(初代村長 葛城精一郎)
1900年明治33年1896年に着工した明治・大分水路が完成する。
1894年明治27年日清戦争がおきる
1904~1905日露戦争がおきる
1908年明治41年小学校義務教育が6年猪野小学校・横尾小学校が合併し、 現在地に明治村立明治尋常小学校を設立する。
大正時代
1914年大正3年第一次世界大戦勃発
鶴崎駅が開業する
第一次世界大戦に参戦する。
大分・坂ノ市間にバス運行が始まる。
佐伯線大分・幸崎間が開通、 高城・鶴崎・坂ノ市駅が開業する。
1918年大正7年別府・臼杵での米騒動のため、 大分鶴崎などでも不穏の動きがあった。
1923大正12年関東大震災が起きる。日豊本線が全通する。

5・昭和時代

西 暦年 号  日本の出来事          事      項
昭和時代
1927年昭和2年生田蝶介の小説「聖火燃ゆ」(明治地区のキリシタンの迫害と殉教を取材)が発刊される。
1929年昭和4年
大野川改修工事が始まる。
1930年昭和5年明治小学校の校庭に吉野桜五〇本を植樹する。
1936年昭和11年トキハデパートが開店する明治小学校の平屋建て四教室を移転改築し講堂とする。
1937年 〃日華事変始まる
1940年昭和15年紀元2600年
1941年第二次世界大戦が始まる小学校は国民学校と称する。
六カ町村組合立青年学校を明治村に設置する。
1942年昭和17年昭和井路工事が始まる
1945年昭和20年太平洋戦争が終わる ポツダム宣言受諾広島・長崎に原子爆弾が投下される。
1947年昭和22年明治、高田、松岡、川添にて村立大東中学校ができる各国民学校は小学校と改称する。
明治村立明治中学校を設置する。
1950年昭和25年大分郡東部組合立大東中学校が明治・高田・松岡の三中学合併が合併し、金の手にできる。
1953年昭和28年NHKテレビ放送開始
1954年昭和29年鶴崎町 明治村・川添村・松岡村・高田村が合併し、鶴崎市となる。 (初代市長 佐藤常雄)
1957年昭和32年川添橋ができる

鶴崎パルプKK鶴崎工場を設立する

第一回別府毎日マラソン
1958年昭和33年高田橋ができる

昭和井路の完工式が行われる
明治小学校が開校五〇周年記念事業を行う。
横尾の下郡平治氏が鶴崎市長に当選する。
大東中学校に川添中学校を吸収統合する。
昭和井路が完成する。
1960年昭和35年
明治小学校新校舎 (平屋建て八教室) 給食室ができる。
猪野郵便局が開局する。
市の上水道ができる。
1961年昭和36年鶴崎工業高等学校が設立される県立鶴崎工業高校の起工式を葛木の現地で行う。
明野開拓団地の買収が決定する。
天然塚にあった二豊学園が移転する。
1962年昭和37年横尾の下郡平治氏が鶴崎市長に無投票当選する。
市内の電話を自動式(ダイヤル式)に切り替える。
1963年昭和38年六市町村が合併し大分市になる大分市鶴崎市・坂ノ市町 大南町・大分町・大在村の二市三町村が合併し、新大分市が誕生する (初代市長 上田 保)。
1964年昭和39年東京オリンピックが開かれる

マリーンパレスがオープンする

二号地に昭和電工進出決定
1969年昭和44年アポロ十一号が月に到着、人類が初めて月面に立つ。
1970年昭和45年大阪万博が開かれる

よど号ハイジャック事件がある

松岡に東芝大分工場ができる
キリシタン殉教記念公園が開園、 記念碑除幕式を執り行う。
1971年昭和46年・別保橋が開通する(コンクリート橋)
・新日鉄操業開始
・新大分空港が安岐町に開港する
明野西小学校が開校し、明治小学校より分離する。
1972年昭和47年・昭和47年  大分東郵便局が大東中学跡地にできる明野東小学校が開校する。
明野中学校が開校する。
1973年昭和48年第一次オイルショックが起きる
1975年昭和50年横尾の佐藤益美氏が大分市長に当選・明治幼稚園が開園する。
・横尾の佐藤益美氏が大分市長に当選する。
・横尾浄水場が完成する。
・二目川の水分神社の神殿・拝殿・神楽殿の改築完工祭を挙行する。
1978年昭和53年第二次オイルショックがおきる・明治公民館が竣工し、 校区の文化センターとして始動する。
・明治小学校児童数一五四七名 学級数三八の大分県一の大規模校となる。
・大東中学校の新校舎が現在地に竣工し移転する。 この年、創立三〇周年記念誌を発刊する。
1983年昭和58年明治北小学校が開校し、 明治小学校と分離、 児童四八六名が転校する。
1986年昭和61年大分東消防署新庁舎落成 8月高尾山自然公園が開園する。
大東中学校より東陽中学校が分離独立する。
1988年昭和63年 ・大分市立東陽中学校が下徳丸に新設される
・青函トンネル・瀬戸大橋 開通
1989年昭和64年昭和天皇が崩御される。
平成時代
1989年平成元年1月7日昭和天皇崩御 1月8日から平成になる明治小学校開校八〇周年記念行事並びに体育館落成記念式典を行う。
19904年平成6年スポーツ公園として岡原地区のミカン山一帯の用地買収を完了する。
1995年平成7年・明治小学校が文部省の研究協力校の指定を受け、「学校週五日制」の実践研究発表会を行う。
1997年平成9年岡原天神社改築工事が完了し、落成式を挙行する。
1998年平成10年明治小学校開校九〇周年で「ふれあいPTA」を実施する。
葛木の仲道俊哉氏参議院議員に当選。
1999年平成11年大分スポーツパーク 「ビッグアイ」が完成・横尾地区に大分スポパーク二の中核施設「ビッグアイ」 が完成、 竣工式が行われる。
・大東中学校が創立五〇周年を迎え、記念式典を挙行するとともに、 記念誌を発刊する。
2001年平成13年明治、松岡の境界に大分自動車道、国道197号線南バイパスが開通する

東九州自動車道の開通 
1・宮河内IC~津久見IC間
明治と松岡の境界線、 狭間川沿いに大分自動車道、国道一九七号線南バイパスが開通する。 また、貝塚天神より
スポーツ公園入口までの江又線と県道松岡 日岡線も開通し、 景観が大きく変貌する。
2002年平成14年FIFAサッカーワールドカップがビッグアイで開かれる日本国内十箇所でサッカーワールドカップが開催され、「大分スポーツ公園」においても三試合が行われる。
○ 「完全学校週五日制」が実施され、土曜日も休業日となる。
2003年平成15年・「ビッグアイ」において、 全国都市緑化フェアが約二ヶ月間にわたって開催される。
・第二一回明治地区駅伝大会から、明治の台地一周コースをビッグアイに会場を移して実施する。
2005年平成17年鶴崎市民行政センター新築移転する。(4F建て)11月平成の大合併で佐賀関町・野津原町が大分市と合併する。
2006年平成18年「つるさき七輪の街づくり事業」が始動する・元気印「明治ふれあいまつり」を実施する。明和会設立三十周年記念事業と青少協主催のサマーフェスティバルの合体事業として開催。
・第二四回明治地区駅伝大会に佐賀関・野津原チームがオープン参加する。 (元気印の認定事業)
・大分市地域まちづくり活性化事業の一環として「つるさき七輪の街づくり事業」(三ヵ年) が始動する。
・つるさき七輪の街づくり事業の一環として「明治ふるさとカルタ」を作成し、 明治校区内の高齢者・希望者及び各学校等に配布し盛んに活用され、好評を博す。
2007年平成19年・明治地区青少年健全育成協議会がこれまでの功績を評価され、 九州防犯協会連合会長賞を受賞する。
つるさき七輪の街づくり事業の一環として「明治 明治北校区歴史マップ」を作成、「歩こう会」等で活用されている。
2008年平成20年・二巡目大分国体 「チャレンジ!おおいた国体」 「チャレンジ!おおいた大会」が開催される。
・明治小学校開校一〇〇周年記念誌の刊行及び記念事業を開催する。
2009年平成21年・つるさき七輪の街づくり事業の一環として明治校区の史跡や遺産を残した郷土史 「残しておきたい明治のはなし」を刊行する。
・明治公民館開設三〇周年記念事業を開催する。
20019年平成31年
令和元年
消費税が10%になる

明治の歴史背景  <今後続行の予定>

「残しておきたい明治の話」、「明治村郷土史 (大正四年発行)」等を参照し編集しています。

1・明治村の成立と由来


1888年(明治二年四月に市制町村制に関する法律が出され、翌年1889年(明治二二年)四月一日より制を施行することになりました。
<参考>※明治21年(1888)4月25日、市制・町村制が公布され、憲法制定・帝国議会開設を前提とした本格的な地方制度が創設されました。
これによって一八八九年(明治二二年) 四月一日、猪野村・横尾村・小池原村・葛城村が合併して明治村が成立しました。
新しく立した明治村の地域は旧藩時代には、葛木村だけは臼杵藩領・岡(竹田) 藩領・延岡藩領に区分されていましたが、その外の猪野村・横尾村・小池原村の三村は全が臼杵藩領であったことなどによって、 明治村成立前後から行政は順調に進んだものと思われます。

 初代の村は木精一郎氏です。 明治村は20年間借家( 猪野で三回、転宅その葛木に移転) 1911年(明治四四年) 8月12日大字猪野字三野 (三屋) の 地(この土地120坪は安部堯平氏の篤志寄付)に落成移転したのです。 工事費は、853円でした。

 明治村の由来に関する資料はありませんが、明治村の最後の村長であり「明治村史」の発行者である下郡平治の推測によると、明治村の由来は明治によるもので、 また、当時の人々は、天皇を尊敬し協力一致して国運の隆盛を願って命名されたようです。大分県下に、安心院町 竹田市、弥生町)もありました。