前亀甲自治会長(元鶴崎支所長)の江藤正光氏から明治時代の大分郡高田村是が家にあるので何かの参考資料になればと見せていただきました。
ゴールデンウイークを利用して、少しずつ読んでみました。古文調の記述ゆえ、少々馴染みが薄く感じられるかもしれません。未熟ですが簡易な意訳をつけてみました。
興味ある方だけでも読んでください。明治時代の高田、また明治の時代が肌に感じる部分があると思います。

なお、言葉を一つ一つ調べながらではGWの時間だけでは難しくできたものからアップしていきたいと思います。
 

上 村是
  明治42年11月20日調査開始
  明治44年11月10日調査完結

右 村是110ページの最終ページ



村是とは
村是とは何か、これをネットで調べてみました。

1. 村是の主な目的


「村是(そんぜ)」とは、明治中期から昭和初期にかけて、日本の農村が自らの手で現状を調査・分析し、将来に向けた方針や計画をまとめた「村の運営計画書」や「村の指針」のことです。
当時、明治政府は地方の疲弊を防ぎ、国力を養うために「地方改良運動」を推進しました。その一環として、各町村が自らの実情を調査し、将来の目標を立てることが奨励されました。

インフラ整備: 道路や橋の改修、水利施設の整備
産業の振興: 農業生産高の目標設定、特産品の開発、耕地整理の計画
道徳・教育の向上: 勤倹貯蓄の奨励、教育の普及

2. 歴史的意義

村是は単なる行政文書ではなく、当時の村のリーダー(村長、有力者、教師など)と住民が一体となって、自分たちの村をどう良くしていくかを真剣に議論した記録でもあります。
貴重な歴史資料: 当時の村の経済状況や人々の暮らしぶりが驚くほど細かく記録されているため、現在の郷土史研究においても非常に重要な資料となっています。

一般的に、以下のような構成で一冊の冊子にまとめられていました。

具体的施策: 具体的な数値目標。

現状分析: 人口、面積、土地利用、納税額、教育水準などの詳細な統計。

綱領(スローガン): 村が目指すべき理想像

3. 高田村3代目中村四郎村長

これを手掛けたのが、高田村村長 中村四郎です。
高田村村長 中村四郎】 
 高田村村長は明治22年から昭和29年に鶴崎市になるまでの期間に13代の村長が続きます。この中村村長は3代目の村長で明治31年3月~大正2年11月村長を歴任されています。その時代は日露戦争や高田に初めて電灯がともった時代になります。

👉歴代高田村長

大分郡高田村是(序文)

緒言1

[この章は「村の現状を徹底的に調べ上げ、それを基に将来の計画を立てる」という決意を示した文書です]

<1頁>

緒言 [しょげん 序文]

①夫(そ)れ名は實(実)の賓(ひん)なり。
故にその名の有る所必先づ(まづ)その実在せざるべからず。
➁名有りて実なきは則(すなわ)ち価値なきものとして採るに足をさるなり。
③回顧すれば町村制度の実施以来二十有余の経たりと雖(いえ)ども自治の施設経                      営に至りては今猶(いまなお) 望洋(見当がつかずぼんやりとしている)の歎なき能わず。
➃即ち名有りて而してその実なきに等し。焉んそ(いずくんぞ)その能く独立を保ちその体面を全うすることを得んや。
⑤嗚呼、これ吾人(ごじん 我々)は民権、自由の恩沢に浴しながら奉公の義務を怠けるものと謂うはさるべからず。
⑥これを21村団結の基礎を鞏固(強固)にしその実績を挙げ以て自治の精華を発揚せんには須(すべか)らく一定不変の経綸夫(そ)れ名は實(実)の賓(ひん)なり。
⑦即ち、村是調査の須急なる所以(ゆえん)なりとす。

現在風に

「そもそも『名(評判や肩書き)』というものは、実態に付随してやってくる客人のようなものだ。だから、名前が世間に知れ渡るためには、まずその中身(実態)が備わっていなければならない。」
これは荘子の「名は実の賓なり」という有名な一節で、「名前(評判)とは、実態に従う客人にすぎない」といっている。

名前や評判だけで、中身や実態が伴っていないものは価値がないため、取り上げるに値しないものだ。


町村制が施行されてから20年以上が過ぎたが、自治体の施設運営や経営のあり方については、今もなお「広大な海を前にして、どこへ進むべきか途方に暮れる (明治22年に町村制が行われる。 高田もこれをもって高田村となる)

名前ばかり立派で実態が伴っていないようでは、どうして独立を維持し、メンツを保つことができようか。いや、できない

ああ、これを「我々は民権や自由という恩恵を授かっておきながら、公に尽くす義務を怠っているのだ」と決めつけてしまうのは、適切ではない。

これら21カ村の結束を揺るぎないものにし、着実に成果を上げて自治のすばらしさを世に示すためには、どうしてもブレることのない確かな計画(基本方針)が必要である。そもそも「名前(形式)」というものは、「実体」に伴って後からついてくるものなのである。
 (これは、明治の大合併などで誕生した「21カ村」が一つにまとまり、自治体として真の成果を出すための「決意」と「心得」を説いたものと思われる。)
⑦これこそが、村の指針(村是)を調査することが、一刻を争うほど急務である理由なのだ。
 意訳すると、だからこそ、村の未来を決めるための調査(村是調査)を、今すぐに行わなければならないのだ。

緒言2

緒言(続き) [しょげん 序文]

①今や本村細大の事物を順に従い序を追に詳かに調査を遂げ、現在を明にし、以て既往に遡り推移変選の状態を考究し且つ之を数の上に問い悉(ことごと)く表出して実力の存する所を知り、據を以て将来施設経営すべき本是の要綱を定ることを得たり。

➁事固より錯雑にして敢て豪釐(ごうり ごくわずかなこと)の差なき事を保し、難く識者の批評更正を持つや切なりと雖も大体に於て謬(あやま)りなきことを信ず。蓋し(けだし)量入制出は經濟の要旨たり。一村能く此の冊子の示す所に鑑み利用厚生の路を実践せば一家を利し、一村を益すると共に国家富強の基礎たらんこと疑いなきに幾からん乎

現在風に


本村細大の事物  村の小さいことから大きいことまで
数の上に問い悉(ことごと)く表出す  すべて数値化して表すこと
将来施設経営すべき本是(ほんぜ): 将来実施すべき施設の整備や村の経営における、根本となる方針

今回、村内のあらゆる事柄を順序立てて詳しく調査し、現状を明らかにしました。これにより、過去から現在に至るまでの変化の過程を考察し、さらにすべてを数値化することで、村の本当の実力を把握することができました。これらを根拠として、将来に向けた施策や経営の指針となる重要な要綱を定めることができました。


量入制出(りょうにゅうせいしゅつ) 「入るを量りて、出るを制す」
利用厚生(りようこうせい) 『書経』にある言葉で、万物の利(資源)を十分に活用し、人々の生活(衣食住)を豊かにすることを指す

事態はもともと複雑なものであり、細部にわたって少しの狂いもないと断言することは難しい。有識者の方々の批評や訂正を心から待ち望む次第だが、大筋においては間違いのない内容であると信じている。

そもそも、「収入を計算した上で、支出を制する(量入制出)」ことこそが経済の肝要である。もし一つの村が、この冊子に示された内容を鏡として「利用厚生(資源を役立て、人々の生活を豊かにすること)」の道を実践したならば、それは一家を潤し、村を益するだけでなく、国家の富強を築く基礎となることは疑いようがない。
「まずは自分たちの家庭と村を整えることが、結果として国全体を強くするのだ」

大分県大分郡高田村是調査係長 
高田村長 中村 四郎


第二回は「現況の部 総論」です。こちらは序文ほど文体は堅苦しくはないのでわかり易くなると思います。