<2024-10-10>

ウォーキング仲間が撮った写真を掲載(2017年1月初詣時)

熊本地震は2016年(平成28年)4月14日マグニチュード6.5、4月17日マグニチュード7.3とたて続きに発生しました。
「ふるさとの歴史教室」についてはこのHPで再度取り上げていますが、その「ふるさとの歴史教室」の会員がその日阿蘇神社に研修旅行に行っていたのですが、帰ったその夜にこの地震が発生しました。(私は参加していません。)
そして、今回感傷旅行(センチメンタルジャーニー)ではないですが、今年すべての阿蘇神社の復旧が完了するということで8年ぶりにその復旧した姿を見に研修旅行が企画されました。<昨年の12月7日に主要な国指定の重要文化財6棟が完成し、竣工祭がテレビで行われていました。>

鶴崎スポーツパークを8時に出発し、阿蘇神社、被害のあった東海大学キャンパス、新しく出来上がった新阿蘇大橋を見学し、17時30分スポーツパークに戻ってきました。
 
この研修旅行を阿蘇神社を中心に書いてみようと思います。

阿蘇神社 大分の宮河内にも阿蘇神社はあるのです

阿蘇神社は熊本の阿蘇のみと思っていましたが、阿蘇神社は阿蘇山火口をご神体とし火山の災害から守ってもらうことを祈願する神社として始まり2000年以上の歴史があるそうです。この神社の宮司職を代々担ってきた阿蘇氏は大分の大友氏のように、熊本では阿蘇氏が絶大なる大きな力を持っていました。その力をもって阿蘇神社を拡大し、また、修験者の力により全国に阿蘇神社を広げていきました。その分社の数は全国で500に及ぶそうです。大分にも30を超える分社があるそうです。
そのうちの一つが宮河内にある阿蘇神社です。
聞くところによると、紅葉の時期になるとこの神社の銀杏がよくテレビに出るそうです。また、確定ではありませんが、今年はその時期になるとライトアップをするそうです。

阿蘇神社分社位置図 (熊本を除く九州)

この図から熊本を除く九州の末社は大分が32社と群を抜いて多いようです。
これは大分が久住、野津原、鶴崎、佐賀関と細川藩の地が多かったことが影響していると思われます。

阿蘇神社

前に書いたように地震から約7年8か月を経て2023年12月7日、熊本地震で被災し倒壊した国指定重要文化財・楼門等の主要建造物の復旧工事が完了し神前に奉告する 竣功(しゅんこう)祭が行われました。それからは付帯工事を行っており、今年の終わりには完全に終了するそうです。
 工事は被災後すべてを解体(解体した部材は約11000点)し、新しい部材か、前の部材を使えるかを点検し、約7割を再利用したそうです。神社側は基本鉄骨関係を使わない予定でしたが、耐震補強ということで一部鉄柱を使用しましたが、将来技術が進めばその補強鉄柱も撤去したいと考えているようです。

工事についての詳しい説明がありましたが今回は省略します。
これからは写真で説明をしていきたいと思います。

阿蘇神社を写真で見る

駐車場側から境内を眺める

楼 門(ろうもん)

楼門は境内への入り口の門で、特に 二階造りの門をいいます。説明では下層に屋根のある門を二重門と呼ぶのに対して、特に、下層に屋根のない二階造りの門をいうそうです。
そう考えると、阿蘇神社の楼門は二重門になるのではないでしょうか。
また、現在ある社殿群は1835年~1850年に熊本藩の寄進により造営されたもので、ここの楼門は九州最大で日本産大楼門の一つだそうです。

高砂の松

神社の境内の中に「高砂の松」があります。その横には謡曲で有名なと書かれていますが、謡曲の「高砂」とは結婚式の時に「高砂や、この浦船に帆を上げて・・・」で始まる有名な謡曲です。この謡曲を作ったのが世阿弥だそうです。
では、この謡曲と阿蘇神社がどう関係するのかというと、この謡曲に登場する人物が阿蘇家20代・最初の阿蘇大宮司友成といわれ、彼が上京途中に名所高砂の浦(現在は兵庫県高砂市)にてある翁と出会い、お互いに遠く離れたところに生えている2本の松の木の所以を尋ねると、たとえ山川を隔てて遠くにあっても2本松の夫婦の姿となった妖精であり、お互いに愛は通い合うのだとの言い伝えがあります。

この‘高砂の松‘の周りを2回まわると良縁に恵まれるとの言い伝えがあるそうで、左手の立て札には男性は左から、女性は右から2周まわると縁起が良いとありました。まだ、私には関係ありませんが。↓

拝 殿

本殿(一の宮、二宮、三宮)

御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。

最後に 参拝路の先は

境内から南門をみるとその先には阿蘇山が見えます。噴火口の方向に向かっているとのことです。

熊本地震震災ミュージアム&新阿蘇大橋

熊本地震震災ミュージアム

震災の象徴だった九州東海大学のグラウンド跡地に熊本地震震災ミュージアムができています。そこでは震災当時のビデオを10分ほど見た後、ミュージアム内の展示物を見て回ります。そのはずれには東海大学の建物の一部が残されています。大きく被害にあった校舎は撤去されてしまい当時の様子はもうわかりませんが、学生が去ってしまった後に阿蘇の草原の中にポツンと残った校舎を見ると寂しくもあります。

新阿蘇大橋

地震で崩落した阿蘇大橋に代わり、元の橋から600m下流に全長525m、最大橋脚高97mの新阿蘇大橋が2021年3月に架けられました。

国道57号線沿いの南阿蘇村立野と、同村河陽をつなぐ。2016年の熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わり、2021年3月、元の場所から600m下流に架橋されました。。歩道も設置され、歩いて渡ることもできます。