歴史散歩⑥補陀寺(ふだじ/ほだじ)  高田最古のお寺

高田の多くのお寺は(一乗寺1662年、能仁寺1664年、常仙寺1644年 興聖寺[1387年 室町時代の初め])大半が江戸時代の初期にひらかれたものです。その中にあって、なんと補陀寺は今から1270年ほど前の天平勝宝七年(755年)に天台宗の寺院として天台僧壇叟(だんそう)が開いたものです798年天台僧同運が開いたという説もあります。)奈良時代の中期、奈良の大仏が完成したのが752年なのでその3年後になります。この古いお寺も、応徳元年(1084年)の失火で全焼したが建仁元年1201年に領主大友能直の力添えで再建される。)しかし、大友氏と薩摩との戦いの豊薩合戦があり、1586年(天正14年)の戦火により灰塵に帰しました。この時に先に書いたすべての寺も焼尽となっています。 そして、補陀寺は1615年に再建されそれからは天台宗から臨済宗に改宗し現在に至っています。(その時の火事で天台宗の宗法を焼いてしまったことが原因と言われています。)
1862年に水害で破損し明治4年に再建はされましたが、現在は山門が残るのみです。

この歴史あるお寺も今は山門を残すのみ