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1月9日、別府市内の神社五社をめぐる泉都ウォークに参加しました。別府公園に集合し別府市内の神社を初詣するという企画です。別府市内の人を中心に200名ほどが参加し10km程を歩きました。
 例年はもう少し早い時期に歩くので初詣客も多いのですが、今年は時期が遅かったせいか例年より少なかったようです。
ゴール後には、この大会の一つの目玉、温泉地獄蒸し卵を頂き解散しました。

五社巡りコース

別府市内五社

①吉弘神社

慶長5年(1600)9月、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原合戦において、西軍石田三成に見方して挙兵した大友義統の家臣・吉弘統幸を祀る神社です。

②石垣神社

境内由緒書より
御由緒板によると「この地は、大昔より山神社(大山津見命)の鎮座する社地でした。ここの、平安時代の朱雀天皇の承平七年(937年)九月十三日、医薬の祖神と崇められた少彦名命を出雲国の午間天神社より勘請して此所に祀り人々の無病息災を祈願してきました。時代は下って、室町時代の後柏原天皇の文亀三年(1503年)夏の大旱魃の祈りに菅原神(菅原道真公)に雨乞いをしたところ大雨に恵まれました。村人たちは大いに喜び同年九月二十四日、この境内に菅原神を合祭しました。以来、産土神として篤く尊崇されつづけてきました。

③野口天満神社

由緒書き:天正5年(1577)の創建といわれ、古くから別府北方大境村の鎮守として崇められてきました。慶長4年(1599)に社殿を造営、享保の大水害の後、神社は再修され、又、堅固な堤防を築いたので永く神域が護られ、村民は天満神社の御神徳に感謝し地鎮めの宮相撲を行ってきました。
 明治6年村社となり、昭和17年には供進指定神社に列せられました。社地は明治、大正、昭和の3代にわたり整えられ、現在は近郷14町内の氏神として護持されています。

この神社には茅くぐりがあります。今年もと期待していくと今年はありません。神社の関係者に聞くと松の内までで撤去されるそうです。1月7日までには来てください、とのことです。

2019年1月6日撮影

2020年1月5日撮影

④八幡朝見神社

別府の神社といえば朝見神社です。

説明文より抜粋

八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建されました。 豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志しました。家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着いたしました。

能直公は龍ヶ岡に社地を定め十月九日御鎮座申し上げました。現在の乙原の地であり、豊後八幡宮七社の一であります。 鶴岡八幡宮の社家、福田土佐守源高政が神輿の供をして着任すると、能直公は高政を神主とし、子孫相継ぎます。その後、真応二葵未年(一二二三)、福田をあらためて神(こう)と称し現在にいたっています。守護職大友氏の歴代の尊崇厚く、この年大友親秀公は朝見庄のうち千三百石を神領に寄進しています。

⑤八坂神社