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竹田から流れてきた大野川は沈堕の滝にたどり着きます。そこから数百メートル上流で緒方川が合流してきます。
ではその大野川の支流 緒方川を見てみたいと思います。

緒方から沈堕の滝

緒方川から沈堕の滝までのルート図

画像 スマホ用

沈堕の滝付近

緒方川と原尻の滝

緒方川と言えば、その上流にある石橋や原尻の滝が有名です。

原尻の滝 <「日本の滝100選」>

原尻の滝は幅120m、落差20mの滝です。滝の上を歩くことも、また、滝の下流側につり橋がかかっており、そこから滝の正面を見ることもできます。「日本の滝100選」の滝100選」にも選ばれており、景観もスケールも見る価値のある滝だと思います。

2018-6-15撮影
2025₋05₋18撮影

               原尻の滝付近          2018-6-15撮影
滝の下流にあるつり橋

原尻橋

原尻の滝から800mほど上流にこの石橋がかかっています。橋長73m、橋幅3.7mで径間13mの5連の橋です。
大正12年に完成していますが、その当時のままの姿で今に残っています。石橋独自の美しさは何とも言えぬ味わいがあります。
2021年(令和3年)には緒方川の多連アーチ石橋群として貴重な土木遺産として推薦されています。
緒方橋:1911(明治44)年
鳴滝橋:1922(大正11)年
長瀬橋:1923(大正12)年
原尻橋:1923(大正12)年
柚木寺原橋:1928(昭和3)年
その他の石橋はこちらを見てください。(まだ、一部ですが)
大分の石橋巡り


緒方の土地

緒方の土地は緒方川により形成された河岸段丘で丘陵部ではまとまった平地になっています。

平安時代には宇佐神宮の荘園とされ、平安時代の末期にはこの一帯を治めた緒方氏は源頼朝や源義経とも関係があり平家物語にも出てくる緒方惟栄(惟義)が治めていました。
その辺の詳細は今回は省きますが、緒方惟栄が源氏に追放されたのち、大友家の支配地になり、その大友家が豊臣秀吉により大名の地位と領地を取り上げられ、江戸時代には岡藩中川家の領有となります。

緒方川と緒方の平野

原尻橋下流の柱状節理の石畳み

緒方川と大野川の合流 沈堕の滝

祖母山系を源流として流れてきた緒方川は沈堕の滝から400mほど上流で合流します。

                                                                    2025-05-18撮影

沈堕の滝 (高さ約20m、幅約110m)

先ほどの緒方川と大野川合流地点から400mほど下流にあります。
この沈堕の滝については☞昭和井路の歴史 第一回 概要とルートにも一部記載しているのでそこから抜粋させていただきます。

沈堕の滝と沈堕発電所」
余談ではあるが、この沈堕発電所の取水口は三重町百枝にある。ところが、沈堕発電所跡は、国の登録記念物であり観光スポットになっている沈堕の滝の横にある。(豊後大野市矢田)
この発電所は明治42年に別大電車の電力供給、さらには大分町などへの電力供給ために建設され、大正12年、下流に新沈堕発電所が完成し、その役割を終える。
私は何気なくそこにある取水口が昭和井路の原点だと勘違いしてしまった。
しかし、ここにある取水口から3km下にある現沈堕発電所まで導水されそこの発電に使用されている。そしてその発電所からまた少し下ったところにある三重町百枝の川辺地区にある百枝取水堰堤が本来の昭和井路の水の原点になる。
せっかく撮った写真なのでアップしたい。 
なお、付け加えると室町時代の水墨画家・雪舟が1476年に訪れ、「鎮田瀑図(ちんだばくず)」を描いたことでも有名です。しかし関東大震災でこの原画は焼失してしまいましたが、模写されたものが今も残され、この滝のすばらしさを今に残しています。

沈堕の滝全景  [2020.11.09撮影]

【画像クリック拡大】                                 

沈堕の滝
右の建物が沈堕発電所跡
観光スポットの沈堕の滝
室町時代に雪舟が描いた複製

沈堕発電所跡から滝を望む
沈堕ダムでの取水箇所  沈堕発電所に送水される

なお、今回再度沈堕の滝を訪問すると貴重な場面に出くわしました。現在工事中のため、水を取水口の方へ流し滝からの放流はされていませんでした。その貴重な写真を見てください。

沈堕の滝~犬飼

沈堕の滝から犬飼へ

三重付近詳細図

 清川から三重町へ           

 大野川と奥岳川との合流 岩戸の景観

岩戸の景観は大分県豊後大野市清川町臼尾にあります。清川と三重町の中間になります。そこは大野川と奥岳川の合流地点で、高さ50m、長さ500mにわたる大絶壁が広がっています。この場所は「おおいた豊後大野ジオパーク」のジオサイトのひとつとしても知られています。個人的には絶壁よりも鉄橋がこの絶壁に浮き上がって見えてきます。

岩戸の景観    (高さ50m、長さ500mにわたる大絶壁)

                                                                                                    2025₋05₋18撮影

岩殿景観
岩殿景観は鉄道ファンも注目


この場所でまず目につくのが「奥岳(おくだけ)橋梁 〈岩戸(いわど)鉄橋〉」です。
この鉄橋は大正11年に犬飼線(現豊肥線)が三重町ー緒方間で延長開業される時に合わせて建設されました。奥岳川沿いにそびえたつ阿蘇溶結凝灰岩の岩壁に掘られたトンネルを通過し鉄橋を渡る列車の姿を収めようと鉄道ファンも多くおとづれます。
〈現地の看板より〉

鉄道ファンに

大野川と奥岳川の合流

合流点より上流を望む
合流点

左から大野川が、右から奥岳川が流れ込んできます。遠くには九州電力沈堕発電所が見えます。九電の資料ではこの発電所は先ほど見た沈堕の滝の上流に取水場があり、そこから2,912mのトンネルを掘り8,300KWの発電をしているそうです。

奥岳川

合流地点

奥岳川と日本一位、二位の石橋

奥岳川は祖母山と傾山の間を流れる奥嶽川は、九州屈指の透明度の高い清流です。川下りでも有名です。また、奥岳川上流には日本一位、二位の石橋がかかっています。

出会橋・轟橋~日本一と二位の石橋の競演~ 「大分県観光情報公式サイト」より

出会橋・轟橋は奥岳川にかかる近接したアーチ式の石橋です。轟橋は昭和9年に森林鉄道の橋として架けられた2連の橋で、広いほうの径間(アーチの幅)が32.1mと日本一を誇ります。一方、出会橋は大正13年に架けられ、径間が29.3mと日本第二位となってます。
下を流れる奥岳川の両岸には、阿蘇火砕流の溶結凝灰岩からなる見事な柱状節理が見られ、自然が作った造形美と人が作った造形美の双方を楽しむことができる場所です
           出会橋 単アーチ橋 日本2位の径間長         2017-1-28撮影
           轟橋(とどろばし)   二連アーチ橋 右のアーチは日本一の径間長      2017-1-28撮影

三重町 百枝取水堰堤(川辺ダム・百枝ダム) 〈昭和井路の取水口〉

今回川辺ダムに行ったのですが、 前回(2020-11-10)は工事中で通水を止めており中に入れたのですが、今回は通常運転のため中に入れずフェンスの外からしか撮影ができませんでした。そのため、今回は前回アップした「昭和井路の歴史 第一回概要とルート 百枝取水堰堤 」をそのまま抜粋させていただきます。
なお、水をためる前の貴重な写真かなと思います。

昭和井路の歴史 第一回 概要とルート


<以下抜粋>

豊後大野市百枝川辺にある百枝取水堰堤(通称川辺ダム・百枝ダム)が取水口になる。昭和26年に完成し大野川発電所発電用及び灌漑用水〈昭和井路〉をここから送っており、大野川発電所までは12km360mになる。また、途中で三重川取水堰堤からの導水路も合流している。

【百枝取水堰~大野川発電所までのルート】

【画像クリック拡大】[2020.11.10撮影]

左側 大野川上流
百枝取水堰堤

のみ口(川側)
のみ口(陸側)
貯水槽へのゲート
貯水槽(沈砂池)
この貯水槽の正面が導水路口
取水堰堤敷地