高田の石垣集落はテレビのコマーシャルにも出るほど有名なものであるが、松岡の毛井地区の石垣は高田の石垣よりも高く感じる。また、水位標からも高田よりも洪水時の水位は高かったのではと思われる。確かに、高田の高石垣集落は高田校区全体に及ぶが、松岡は毛井地区に集中しているようである。一度は訪れ高田の石垣と比較してみるのも面白いと思われる。

松岡毛井地区の水位標と高石垣住居

松岡毛井の位置図

石垣群

水位標 昭和18年9月20日


 「ふるさと松岡」より昭和18年水害の抜粋

  昭和一八年の大洪水
たび重なる大野川の洪水とたたかってきた流域の人々に、今でもなまなましく記憶に残っているのが昭和一八年の大洪水である。
この洪水は近年における最大のもので被害も大きく、この体験が大野川改修工事の必要性を認識させ新しい堤防工事着手へのがかりとなった。
昭和十八年九月一九・二〇日の両日、二六号によって降り続いた雨は五七七ミリメートルにも達した。 この雨量は通常の一番多い六月分と七月分を合わせた量をさらにうわまわる量で、この量がわずか二日に降ったのだからたまらない。
水量を増した大野川は水勢をつけ、だく流となって直進し、やはり明治二六年の時のように上流の戸次のすばな・松岡の成松・高田の鶴瀬の堤防を次々に突き破り村々を襲っていった。

※「ふるさと松岡」は高田の「高田村志」と同じような松岡の郷土史である。