※ 当初公開日 2020年6月8日

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公民館の資料を整理中に新たな記事が見つかったため、ここに追記します。

《8》 水難横死生徒の碑

(下徳丸の高田小学校正門左側)

明治26年の大水害で犠牲者となった生徒八名の碑である。

台風によって横死したのは明治26年10月14日(この時は8名が死亡)と、昭和18年9月20日(この時は4名が死亡)の二度の台風によるものである。このように同時に多数の死亡者を出したのはこの100年間では唯一のものである。
下記の写真は、明治26年に横死した児童を追悼するために建てられたもので、学校が下徳丸字屋敷にあった当時建立され、その後、現在地に移されたものである。碑文には下記のように記されている。

水難横死生徒の碑


大野川概每秋溢漲陸沿川皆其被害高
田及我鶴崎亦其一也五十年以前我不知
之五十年以後大溢三今秋為絕殊今秋
十月十二日及十三日風盲雨怪十四日
水大 至被害極甚而高田為之最举其大
者家之流込九十三人之漂没八十嗚呼
〇〇〇〇〇〇〇惨哉所就学高田尋常
〇〇〇〇〇〇〇〇〇小学校子弟八人


居其中同学生憐其非命問祭教員教
員高其誼共同志輩議〇祭以成其志且
刻石八人氏名在下 徳丸米吉 徳丸清助
宮田嘉與 徳丸嘉糯 得丸愛次郎 得丸勝
馬 得丸豊喜 得丸蟻太郎
  明治二十六年十二月十五日
  處士毛利莫撰  〇〇
  〇〇
          〇〇  〇〇
  題字大分郡長正七位小倉左文書

これによると、横死した児童名は次のように判明されるが、一名は石碑がいたんでいるため不明である。徳丸米吉、徳丸清助、得丸嘉糯、得丸愛次郎、徳丸勝馬、徳丸蟻太郎.
(別の資料によると 宮田嘉與 得丸豊喜  )


昭和十八年の台風で横死した児童は、初等.科五年金丸美喜子と三年金丸厚代の姉妹、初等二年馬場春夫、初等科四年村谷美恵子である。この児童たちの葬儀は、一か月たった十月二十日と二十一日になってようやく行なわれた。これは、死体がゆくえ不明であったためでもある。