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「高田村志」を読む も第四章まで進み、第五章 神社 寺 に進む予定でしたが、8月の高田小学校150周年にあわせて、先に学校の歴史のアップしたいと思います「高田村志」は大正の初期に書かれたもののため、その当時の記録であり、現代とはその大正初期のことを言っています。
第八章 學校
1・高田尋常高等小学校 (大正初期(5年ごろ)の現状)
1 概説
位置 高田村大字下徳丸字屋敷
敷地 864坪(本敷地は783坪で残りは借地)
本校舎 二階建て・二棟
東校舎 長さ15間半 横4間半 建坪69坪75(明治34年7月新築)
西校舎 長さ11間半 横5間半 建坪57坪半 (明治42年9月新築)
便所 10坪半
渡り廊下 5坪
教員住宅 平屋建て 14坪半
運動場 650坪
花園 20坪
蔬菜園 24坪
他校地 32坪
児童
学級 8学級(尋常科6 高等科2)
尋常1年 | 尋常2年 | 尋常3年 | 尋常4年 | 尋常5年 | 尋常6年 | 尋常科計 | 高等科1年 | 高等科2年 | 高等科計 | 合計 | |
男 | 26 | 28 | 30 | 35 | 25 | 38 | 182 | 19 | 22 | 41 | 223 |
女 | 39 | 27 | 28 | 22 | 22 | 23 | 161 | 15 | 15 | 30 | 191 |
計 | 65 | 55 | 58 | 57 | 47 | 61 | 343 | 34 | 37 | 71 | 414 |
職員
調 導 | 尋訓 | 専訓 | 代用 | 計 | |
男 | 5 | 0 | 0 | 1 | 6 |
女 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 |
計 | 6 | 1 | 1 | 1 | 9 |
校歌 (大正4年10月制定)
1・
大野の流(ながれ)東西に
緩(ゆる)く繞(めぐ)りて琵琶洲の
頸南廣(けいなんひろ)ㄑ地味肥 ゆる
此處(ここ)ぞ楽しき我が郷土
※頸南廣(けいなんひろ)ㄑ
琵琶の細くなった頸(国宗あたりか)よりも南の地、すなわち三角州地帯の高田を指す
2・
歷史に古き莊の名を
永く傳へて醇僕(じゅんぼく)の
美風は世々に俗を成し
偉人傑士も出でし地や
※歴史に古き荘 高田の荘をさす
醇朴 人情が厚くて素朴なこと
美風 美しい風習。 よい気風やならわし
3・
明倫校の昔より
光榮著るき我が學舎
協同質素規律 よき
同窓四百有餘人
4・
吾等は榮ある父租の裔
やがては村を立て行く身
やがては國を承(う)け継ぐ身
磨き修めん智に徳に
※父租 ふそ 父や祖父 先祖
裔 えい 子孫
5・
勉め励めや世に立ちて
國家に盡(つく)す心身を
養ひ鍛ひ諸共(もろとも)に
高く高田の名を揚げん
教育費 就学出席
教育費 2,275円
なお、就学出席5か年(大正元年~大正5年)の記録がありますが、割愛させていただきます。後日アップする機会があれば行いたいと思います。
二・沿革
次回「高田村志」を読むは第八章 學校(学校の沿革)に続きます。
👉第八章 學校 2・学校の沿革