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👉高田歴史ポイント31概要

今年も、梅雨入り前に宝塔様(水難者慰霊祭)が行われました。地元の方々、高田校区各自治会長等15名ほどが参列されました。
 目の前では昨年から堤防の補強工事が行われています。二度と昭和18年のような堤防崩壊が起きないようのり面をコンクリートブロックで保護し、堤防の下部には鋼矢板を打ち込み補強しています。

私事ですが、宝塔様の開催日を土曜日と勘違いし取材に行けなかったのですが、別の二人の人から写真が送られてきたことで間違いに気づきました。写真を送っていただいた方に感謝します。
 なお、今、ホームページに「高田村志」の意訳をアップしているのですが、今日アップする予定だった「高田村志その2明治以降」の書いていた箇所が明治26年のこの宝塔様の元となった大水害の部分です。
この時のことが鮮明に描かれています。興味ある方はそちらもご覧ください。  👉高田村志 第二章明治以降の高田
 

宝塔様の水難者慰霊祭の様子を感慨深げに椅子に座ってみている方は、亀甲地区の中村守明さんです。
 先の「高田村志」が書かれたのは大正の始めですが、水害や戦災により大半の「高田村志」はなくなってしまいました。そのため「高田村志」を将来に残そうとその復刻版の制作に尽力されたのが中村文明氏(中村守明氏の父)です。高田地区で2,000部ほどが発刊されたそうです。