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今市の石畳は大分市野津原にあります。佐賀関から野津原の今市まで本当に大分市は広いな、と思います。
 この今市の石畳は肥後街道の一部です。肥後街道とは江戸時代に肥後藩主・加藤清正によって開かれ、肥後藩の参勤交代に用いられた街道で、肥後国熊本と豊後国鶴崎を結ぶ、全長約124キロメートルの道です。かっては坂本龍馬と勝海舟がこの道を通って長崎に行きました。
 神戸→佐賀関→①鶴崎宿→②野津原宿→③今市宿→④久住宿→⑤熊本→長崎    (※熊本宿は省略)
この①~⑤が肥後街道とその宿場です。
今市宿は豊後岡藩の宿場として中川氏によって設けられ、通り沿いには肥後細川侯の脇本陣や茶屋代官がありました。
 今市の石畳は幅員8.5mの道の中央に幅2.1mの平石が660m並べられています。石畳は雪や霜解け時期に石の上を歩くために設けたそうです。一時は自動車の通行に不便だと言うことで土がかぶされていましたが、バイパスができてから土を除き今の石畳が復活しました。
県内では貴重な石畳道として昭和47年に県指定史跡として指定されました。

《丸山神社紹介文より》
はずれの小丘にある丸山神社は見逃せない。楼門は18世紀初めの建築で、二十四孝の人物などが彫られ、酒造りの過程を表した小さな彫刻群も面白い。

今市石畳

丸山神社