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中、近世を通じて製作された高田荘の刀剣を中心に地元臼杵の刀剣などを中心に展示されています。市歴史資料館によると「豊後刀」は大分の刀剣の総称で、一大生産地だった高田庄(現在の大分市鶴崎地区)の刀工集団の作品は実用性が高く、大友氏の武力を支えたと言います。また中国貿易の主要な輸出品でもあったそうです。展示は12月20日まで行われているのですが、企画展は前期と後期に分かれており、前期は11月15日まで行われ大友氏御用達の品々や刀を作る際に必要な鋼や道具が並べられていたそうです。そして今日、18日から12月20日までが、江戸時代の豊後刀や地元刀鍛冶の作品が紹介されています。しかし、展示を見ているとほとんどが 高田庄 とその地区の刀鍛冶と刀剣についての説明でした。よその地区で高田の地名や人名が出てくると鼻が高くなる気がしてきます。

説明文1キリシタンと刀工・高田 (抜粋一部省略)

大分市鶴崎の南部にあり、大野川と乙津川にはさまれた高田地区は中世から高田荘(たかたのしょう)と呼ばれ、江戸時代には熊本藩主細川氏の領土でした。高田地区は大友氏の保護を受けて盛んになった刀の生産地でもあったのです。このコーナーでは西洋の文化を受け入れたキリシタンの存在と日本の伝統工芸である刀の製作という両面を持った高田荘について紹介します。

説明文2 (高田地区の説明)

高田荘は大野川と乙津川から運ばれてきた土砂が堆積した三角州の上にあります。大雨などで増水した時は氾濫しやすい地形でした。このため「高田輪中」と呼ばれ集落は堤防で囲まれ、家屋は石垣で高くしてその上に建てられていました。その姿は今でも見ることができます。

説明文3(高田鍛冶)

高田荘は別府湾に面していたため水運が盛んであり、当時の一大産業だった鉄製品を作る「鍛冶」が盛んでした。そして豊後刀といわれる刀の多くは中世から江戸時代の終わりまでここで生産されていました。

1800年の高田荘輪中地帯の地図(豊後国志付図)

豊後刀(高田の藤原氏の刀剣)を展示

展示場の地図等をアップで写真を取りたいのですが禁止のため残念ながらありません。。