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👉輪中のさと 高田郷土史 第一章
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👉輪中のさと 高田郷土史 第二章第三節
第二章第三節の時代点描は長くなったため、「時代点描の戦後」については分けさせていただきます。
3-2・時代点描(戦後編)
戦 後
昭和20年9月17日 | 台風性洪水(16日 ~18日 迄) 降水量 280.2mm 当時村財政予算額 53,800円 (金 丸次雄氏より) |
昭和20年12月 9日 | 農地改革指令発令 |
昭和22年4月 1日 | 国民学校が小学校と改称 同時に6・ 3・ 3制 と成りて中学校が設置された。 |
昭和22年4月30日 | 戦後始めての市町村長選挙が実施された。(公選) |
昭和22年5月 1日 | 中村壽徳村長に就任 区長を主任駐在員と改む。 |
昭和22年5月11日 | 下徳丸郵便局開局 局 長 山崎誠一 農協法に依り農業協同組合と改名 初代組合長 得丸忠人 |
農地改革 昭和20年11月23日 現在の耕作者へ 当時高田村の耕地面積243町 歩余り 自作地 108日I歩 余り 小作地 135町 歩余り (25年8月 1日 現在) 農地委員下記の通り 中村勝至、児玉季彦、毛利 潮、岩尾 伝、中村壽徳、鶴田主税、 首藤喜重、得丸武男、首藤寛次郎、仲摩奥太郎 計 10人 小作人より5人 地主より2人 自作者より3人 | |
自作農(236戸) 自作兼小作業(126戸) 小作兼自作農(18戸) 小作農(12戸) 合計392戸 昭和26年経営状況 総戸数 392戸 総人口 2,463人 一戸当り6人 総面積 246町歩 一戸当り6反強 | |
昭和25年12月 | 明治、松岡、高田の三中学校統合 東部組合立大東中学校を設置 |
昭和26年3月12日 | 大東中学校落成式 (金 の手) |
昭和27年11月1日 | 教育委員会が発足され公民館が設置された。 初代館長 小手川又吉 |
昭和28年3月30日 | 重藤 久 農協敷地 387坪寄贈 |
昭和29年3月30日 | 戦死者慰霊殿を若宮八幡社境内に建立 日支事変 13人 大東亜戦78人 計91人 |
昭和29年3月31日 | 鶴崎、明治、高田、松岡、川添の各町村合併して鶴崎市誕生 |
昭和30年 | 高田村水難者慰霊塔建立 (鶴瀬に) |
昭和30年 4月 | 高田地区開田期成会を結成 会 長 小手川又吉 理事下記の通り 組合理事 筒井犀蔵 徳丸久隆、得丸武男、江藤孫市、中村壽徳、筒井犀蔵、 二重野清人、豊田高喜、児玉重光、幸 熊彦、仲摩美緒、 首藤薩喜、仲摩五六、鶴田主税 計 13人 |
昭和30年11月27日 | 得丸武男 黄援褒章授章 |
昭和31年6月 | 常行公民館落成式 高田若葉保育園が開園された。 (常行公民館内) 初代園長 小手川又吉 保 母 茨本キクヱ |
昭和32年3月 | 川添橋開通式 長さ274m 巾 5.5m(これより渡舟は廃止となる) |
昭和32年4月 1日 | 区長制を廃上して自治会制となる。 会 長 阿部 弘 昭和井路高田支線が竣工した。 |
昭和32年10月 | 水利組合期成会を解散して高田地区水利組合を結成 |
昭和33年5月15日 | 高田橋開通式 長さ192m 巾 5.5m 秋始めて水稲が収穫された。 |
昭和35年7月 | 農協が合併して鶴崎市農協組合を設置 本部を下徳丸に置く。 理 事 中村九十九、毛利輝雄 |
昭和35年 10月10日 | 国勢調査施行された。 高田校区 世帯数443戸 人口2,453人 (男 1,193人 ・女1,260人 ) |
昭和36年 3月14日 | 毛利空桑墓が県文化財(史 蹟)の指定を受ける。 |
昭和36年 8月 | 関門公民館落成式 |
昭和36年9月 | 高田地区長寿会結成 初代会長 首藤親人 副会長 中村壽徳 、岩尾亀雄 |
昭和37年 | 昭和井路高田地区水利組合総ての孫線完了 開田面積51町 歩余り |
昭和38年 1月11日 | 大分市合併の促進協議会で合併が決議された。 |
昭和39年 1月 3日 | 3月10日 から合併する事議決された。 |
昭和39年3月10日 | 新産都大分市誕生 人口216,130人 |
昭和39年9月 9日 | 大分市営鶴崎有線放送事業完成れた。 農協運営を統合して市営と成る。 |
昭和42年4月 | 上徳丸公民館落成式 |
昭和42年11月 3日 | 得九武男 勲五等雙光旭日章授章 |
昭和44年7月 | 亀甲公民館落成式 |
昭和44年12月 1日 | 故小手川善次郎翁頌徳碑除幕式が行われた。(公 民館前に建立) |
昭和45年11月25日 | 毛利空桑史蹟保存会が結成された。 |
昭和47年7月 1日 | 農協合併して大分市農協が誕生 理 事 藍沢亮一、岡松次生、徳丸久隆 |
昭和48年11月15日 | 高田小学校開校百年の記念式を行う。 小学校第二校歌誕生 作詞者 田中早苗、 作曲者 有定稔雄 公民館長 得九忠人 自治会長 岡松次生 育友会長 中村昭一 小学校長 河野太助 |
人物編(2)村議会議員
歴代村議会議員 |
大正11年 金丸浅喜.、中村照太、中村亀鶴、中村高治、渕仁三郎、首藤宝吉、首藤伝助、 小手川勝蔵、平林利市、川上萬蔵、首藤茂三郎、首藤親人 昭和4年 得丸伝重、徳丸節蔵、得丸武市、中村百太郎、筒井類蔵、徳九百市、首藤宝吉、釘宮輝雄 児玉鹿太郎、首藤茂三郎、仲摩春太郎、重藤 久 昭和8年 徳丸長次郎、中村亀鶴、江藤孫市、中村弘、渕 藤太、釘宮輝雄、児玉季彦、 丹生福次郎、 首藤親人、首藤茂二郎、首藤喜重、鶴田主税 昭和12年 徳丸長次郎、得丸政喜、得丸宗三郎、重藤 久、藍沢頼雄、児玉季彦、 幸栄次郎、仲摩一実、首藤 孝、岡松発巳生、鶴田主税、首藤喜重 昭和16年 得丸忠人、得丸政喜、得丸武男、得丸美則、渕庚子郎、児玉季彦、高田胤磨、工藤照三、首藤寛次郎、尾長谷荘二郎、仲摩美緒、鶴田主税 昭和20年 得丸忠人、中村克巳、中村九十九、岡松幸治、筒井犀蔵、首藤 栄、豊田高喜、 阿部 弘、仲摩益人、仲摩匡市、毛利 康、鶴田主税、 昭和24年 得丸敏雄、江藤 続、中村九十九、筒井犀蔵、中村行平、阿部 弘、豊田高喜、 児玉重光、毛利 康、仲摩美緒、首藤薩喜、工藤照三 昭和28年 得九敏雄、得九政喜、得丸武男、二重野清人、阿部建造、豊田高喜、 児玉重光、幸 熊彦、仲摩美緒、首藤薩喜、尾長谷荘二郎、毛利康 昭和29年3月31日 鶴崎市誕生 昭和30年 筒井 始、渕庚子郎(無投票当選) 32年5月 渕庚子郎死亡に依り岩尾亀雄(当 選) 昭和34年 筒井 始、忠願寺慶広 34年11月 忠願寺慶広退職 38年 任期満了の所大分市へ合併の為2年 延期 昭和40年 ・48年 ・52年 高田地区より市議なし 昭和56年 渕 健児 昭和60年 渕 健児 昭和64年 渕 健児 |
参考文献・史資料
大分市史 中・下巻…………………………………………………… 大分市 大分県史 中世・近世………………………………………………… 大分県 大分県地名大辞典…………………………………………………… 角川書店 鶴崎地方歴史年表………………………………………………… 安部光五郎 高田風土記 大分の歴史史料集……………………… 大分大学教育学部歴史教育研究会 大分県政史……………………………………………………………… 大分県 現代用語事典 鶴崎町史 ……………………………………………………………… 鶴崎町 豊後国志(復刻版) …………………………………………… 唐橋世済 高田村志…………………………………………………… 高田村 大分市統計年鑑………………………………………………………… 大分市 新大分市誕生の記録………………………………………………… 大分市 大分百科事典………………………………………………………¨ 大分放送 明治村志………………………………………………………………… 明治村 日本刀研究便覧………………………………………………… 内田疎夫著 改訂大日本刀剣新考…………………………………………… 内田疎夫著 日本刀工年表……………………………………………………… 富田正二編 |
編集後記
太古の昔から私たちの祖先が、この地で営々と築いてきたものは、今私たちの生活基盤 となっており、堤防に、石垣に、そしてため池に石碑に、古文書にとその姿を留め私たちに昔を偲ばせてくれております。 大野川の氾濫・目照りによる水不足と自然との闘いに日夜悩まされながら、雨や風に、暑さ寒さに喜びや畏れを抱きながら暮らしたであろう当時の人々に思いを馳せながら本誌 の編集に取り組んでまいりました。 歴史という点でも、執筆という点でも不慣れなものばかりで多くの時間と苦労を要しましたが、今この完成をみて改めて歴史の重みというものを考えさせられています。 数多くの史実を貫いて流れているものそれは「人間らしい生活を築こうとする心」つまり向上心が脈々と伝わってまいります。本誌に不充分さはありますが、若い世代の方に先 人たちの心を是非受け 継いで欲しいと願っております。 終わりになりましたが、本誌作成にあたり、資料提供にご協力いただきました関係者・ 関係機関の方々に厚くお礼を申し上げます。 編集発行者 中村 文 明 監 修 者 筒井 三四士 |
中村文明氏の「輪中のさと」を一部、省略しましたが、このホームページにアップさせていただきました。中村文明氏の 若い世代の方に先 人たちの心を是非受け 継いで欲しいと願っております。といわれたこの言葉を大切に、少しでも高田の歴史の継承の手助けになれればと思っています。