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👉高田の歴史

👉輪中のさと 高田郷土史 第一章
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👉輪中のさと 高田郷土史 第二章最終章


第三節   季節の行事とくらし
1. 年中行事一覧表
2. 郷上の地名(大字・小学).岩戸神楽 寺社及び公民館
3. 時代点描
4. 人物編(2) ① 歴代村議会議員 ② 郷土出身著名者一覧
編集後記  従軍者名簿(省略)
参考文献

1. 年中行事一覧表

           戦     前        戦    後
1月
1月 1日    新年拝賀式・祝賀会
      早朝 氏神参拝
      消防団、青年団親睦会
      小寒 寒の入り
  8日   小学校始業式

      旧12月で餅つき火番始まる

1月1日 早朝 氏神参拝
    小寒 寒の入り

2月
2月11日  紀元節拝賀式
 22日  常行神社祭典 
      旧正月
      鶴瀬鬼子母神祭

2月11日 建国記念日
鶴瀬鬼子母神祭

3月
3月10日 陸軍記念日
6日 地久節 
春分彼岸入り
28日 若宮八幡社神幸祭 
小学校卒業式 
常行妙見祭

3月 春分彼岸入り 
若宮八幡社神幸祭 
小学校卒業式 
常行妙見祭 
雛祭り
4月
4月 小学校入学式
29日 天長節
春蚕発生
旧3月 雛祭り
旧21日 御大師様

4月 小学校入学式
29日 天皇誕生日
     御大師様 
5月
5月    八十八夜
     製茶
5月27日  海軍記念日
5月    八十八夜
     製茶
     苗代始まる
  3日  憲法記念日
  5日  子供の日
6月
6月 麦収納
旧5月 端午の節句

6月 麦収納
田植え始まる
旧5月 端午の節句
7月
7月 常行神社祭
土用入り
栗蒔


7月 常行天神社祭
土用入り
20日 小学校夏期休業

8月
8月 1日 小学校夏期休業
31日 小学校夏期休業終る
旧7日 七夕
盆 墓参り
15日 精霊祭
  16日 施餓鬼上)
  17日 供養踊り(部落毎で)施餓鬼(下)
24日 下徳丸地蔵祭
鶴瀬鬼子母神祭
8月 下徳丸地蔵祭
鶴瀬鬼子母神祭
13日  盆 墓参り
      慰霊祭 供養踊り
31日 小学校夏期休業終る
9月
9月 1日 小学校始業
風祭り 二百十日
秋分彼岸入り
上徳丸神社祭
旧15日 名月


9月 1日 小学校始業
二百十日 風祭
15日 敬老の日 敬老会
秋分彼岸入り
上徳丸神社祭
丸亀水神社祭
小学校体育大会

10月
10月12日  氏神大祭
  13日  小学校運動会
  30日  教育勅語下賜記念日
  31日  天長節 祝賀会(大正)
      関門 豊年祭り

10月12日  氏神大祭
  10日  体育の日
      地区体育大会
      下旬 水稲収納
11月
11月    丸亀水神社祭
      麦蒔
  3日   明治節
      常行妙見祭
      入営兵出発    
      旧お達磨忌
      日蓮宗 あ命講
11月    関門文化祭
      水稲収納
  3日   文化の日
      文化祭を催す
      先哲祭
  23日  勤労感謝の日
      常行神社祭
      お命講

12月
12月24日  小学校終業式
12月25日  大正天皇祭
      旧27日 おばん 御正忌
 

12月24日  お達磨忌  
      小学校終業式
      御正忌
      餅つき

2・郷土の地名(大字・小字名)

大字鶴瀬
字   曽根、塘附、切畠、木ノ前、松ノ木、田代  
大字丸亀
字   木ノ前、中鶴、宮ノ前、新田、久田
大字下徳丸
字   西上鶴、東上鶴、沖ノ下、菰原、屋敷、橋ノ本、竹ノ下、大畠、猪ノ畠、曽根
大字南
字   東鶴、南屋敷、成仏、橋ノ本、出口、岸上、水落、鵜鶴、石原、塘外、塘平
大字関園
字   一本本、中ノ島、堂ノ脇、川原ノ上、久保、瀬ノ回、田代、引地、寺ノ前、 寺ノ脇、太郎、矢熊、中間、池ノ上、大塔、平畠、上須賀、塘外
大学常行
字   二本木、後田、葛木、東ノ久保、権代、仲間ノ久保、寺脇、横小路、板屋、 福道、川辺、井樋ノ口 、川ノ上
岩戸神楽について
本村常行有志をもって構成する岩戸神楽は近郷町村の祭典には必ず招かれ、特に大蛇退治、優雅な稲田姫の姿、勇荘な荒神の柴引、ヒョットコのユーモラスな仕草等は印象的であった。この郷土芸能としても人間文化財としても世の変りと共に後継者も少くなり自然消滅の形となった。

3・時代点描

大正
大正1年8月6日
村内に始めて点燈(電 気がついた) 記念碑が若宮社内に建立されてある
大正2年4月
上徳丸能仁寺内に乾雨殺踊所が記置された。工賃2,550円
大正2年5月27日
高田農業補習学校を小学校に併置
大正3年4月 1日
日豊線鶴崎駅が開業
大正3年5月
工藤一雄村長に就任
大正3年8月
日独開戦本村より出征者下記の通り (省略)
大正4年5月29日
得丸 清吉 県道に就いて村長、村議、区長等で実地見聞
大正4年10月27日
小学校に両陛下の御真影奉載式を行う。 小学校校歌が制定された。
大正6年3月4日
村議 鶴田数太郎 東上鶴6畝8歩を 役場敷地として寄贈 高田村役場落成式
建坪37坪 5合 で工賃1,760円 前の役場は駐在所として使用
大正6年11月24日
下徳丸東上鶴に、有限会社高田村信用購買販売利用組合が設立された。 (小 学校前)
組合長 平林 利市
大正7年7月11日
大洪水 丸亀新田の提防決壊
大正7年7月12日
床上浸水約1米 の所あり  降雨量487.hm
午後10時20分頃より豪雨となり10日 より12日 に至る約2日半の降雨で出水。台風性の洪水で此の時の降雨は平地部及び中流部に多く水位は 増大し提防越流決壊す。
村内一円に天然痘が流行して死亡者も多数出た。
大正9年 
第一回国勢調査が実施された。 調査員 中村元、筒井始、藍澤頼雄、ほか数人(不明)
大正9年6月10日
高田村志が発行された。  久多羅木儀一郎、中村壽徳、小手川又吉
大正9年6月  
株式会社 高田実業銀行開業(資 本金50萬円)
初代頭取 首藤親人 取締役 首藤孝外2名       行員 仲摩 章
二代   首藤宝吉 監査役 岡松準平外1名        仲摩貞夫
三代   首藤勝美 営業部長 仲摩一実
大正10年3月6日
県道編入の許可があった
大正11年
広瀬辰男 若宮八幡社の宮司に就任(大神宮司死亡に付き)
大正11年12月10日
岡松、毛利両先生の追悼祭(先 哲祭)が 行われた。
大正12年6月 6日
小学校小使室提灯の不始末で全焼
高田小学校に保護者会が発足された
鶴瀬より鶴崎町に至る新道開通
大正13年9月
高田橋の開通式
大正13年10月29日
鶴瀬より鶴崎町至る新道買収登記完了
大正14年8月21日
村会議員、区長会の合同協議会開催
小学校校地拡張、校舎増築の必要性につき説明会
予算2萬 円 一戸平均約50円
大正14年11月12日
村会に於て議決
新校舎選定反別 7反8畝27歩 (一 畝歩当り30円)
旧校舎敷地売渡価格一畝歩当り50円
中村九郎治へ5畝27歩
筒井文次郎へ2畝10歩
筒井儀三郎へ1反7畝26部
移転当時の小学校分散教育は下記の通り
興 聖 寺   一年、高等二年
役     場    高等一年、三年
平林利市方  四年、五年
常 仙 寺 二年、六年
大正14年12月10日
金谷渡しが県費による公用渡しと成る。
大正15年
徴兵検査で甲種合格者が15人と言う。
合格率が県一位と成り連隊区司令部より表彰される。分会長 少尉 中山達也
徳丸秀松篤農家とし梨本宮総裁殿下より表彰される。
大正15年7月23日 24日
村会議員、中正会の合同協議開催される。
中正会役員 松岡、萩原両小学校の奉安殿視察へ出向く。
大正15年8月15日
明治神宮御造営奉仕として本村より首藤小熊、得丸忠人出向く。
青年学校令の公布ありて青年訓練所が設置された。
分会長 中山達也 教官特務曹長 安部又五郎
大正15年11月 3日
(明治節新校合の落成式並びに奉安殿の上棟式を挙行す。
大正15年12月20日
御真影を奉安殿に遷御す
昭和
昭和3年
昭和井路組合へ加入   
財団法人奨順社設立
昭和4年6月19日
内務省告示に依り大野川改修工事の認可があり、事務所が鶴崎町三軒 町に設置された。
昭和6年 1月 6日
関門施餓鬼場に於て改修工事の起正式が行われた。
県道下徳丸より上徳丸に至る新道開通 村道下徳九中村建二郎前より仲摩瀧二郎に至る新道開通
昭和6年8月30日
小学校2棟焼失
昭和6年
高田村、別保村、明治村三村組合立
避病院が明治村猪野に設立
昭和7年4月28日
小学校新校舎の落成式が行われた。 校長 外山七郎
若宮八幡社御開扉の記念行事が行われた。 (青 年団員に依るニワカ、狂言等)
南 長門武士明治神宮全国大会へ県代表として出場 (以 後連続3ケ 年出場す)
昭和8年
高田橋より駐在所前迄の県道拡張工事実施される。
昭和10年2月
徳丸勇 駐在所家屋を寄贈
昭和10年8月 1日
婦人会結成
初代会長 工藤シズメ
昭和10年10月 1日
第四回国勢調査が行われた。
調査員 下記の通り
佐藤照彦、 江藤半次郎、 三宮 護、 渕 輝雄、 石川義雄 、佐藤豊
幸 鶴治、 岡松葵己生、 重藤 寛、 鶴田 保
昭和11年 1月
中村文明 県連合青年団代表として東京小金井講習所へ入所(40日 間)
昭和11年 8月
松本商会と契約成り トマトの出荷始まる。 隣保班が施行された。
昭和15年10月16日
昭和井路 国より認可指令あり。
昭和16年1月
食料営団が設置され総て配給制となる。
昭和16年4月 1 日
小学校が国民学校と改称された。
昭和17年
食管法が発令され出荷組合が設置された。
組合長 首藤親人    事務員 工藤照三、東 猛、杉本智勝
昭和18年9月20日
各部落に集荷場が設置された。
鶴瀬  得丸敬一前
丸亀  赤池広場 (上徳丸を含む)
下徳丸南 農協広場
関門    阿部武人横
堂園     宇田克己南
常行  毛利徹雄前

食糧は勿論農産物は2貫匁以上村外搬出の場合は組合の証明が必要とされた。
昭和17年
翼賛壮年団が結成された。
初代団長  原 智叡
副団長   杉本智勝、金丸次雄
昭和18年9月20日
大洪水
降水量604.5mm      最高水位 7米584
流出家屋17戸        溺死者 14名
流出家屋 
鬼子母神堂、 鶴林 一男、 金丸喜十郎、 金丸次雄、 馬場 磨、 宇藤高市
野田七五三吉、 丸崎一三、 松林悦治、 佐藤照彦、野田芳雄、 工藤久江、 一乗寺 
佐藤益三、 東 猛、 村谷サカエ、 村谷 又四郎 計17戸

昭和18年洪水時の写真
https://biwanosu-takata.info/wp-content/uploads/2021/10/3bd25fce0614ebc5a7a1a85dfedcfb3e.jpg
昭和18年9月20日 溺死者
金丸喜十郎外4人 、男児2人 、女児2人
村谷サカエ外2人 、女児2人
村谷又四郎
馬場シナ
馬場春男
工藤久江
東格太郎
東イヱ       計14人
昭和19年4月翼賛選挙が行われ岩尾亀雄就任