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更新 2023年8月11日
高田の歴史年表
高田の歴史を年表と共に振り返ってみましょう。その時代の出来事、そして写真、一つの写真が多くのことを語りかけてきます。そして高田にもこれほどの歴史があったのかとあらためて見直してしまいます。
[追加項目があれば逐次追加していきたいと思います]
「鶴崎地方歴史年表」,「続高田村志」その他郷土史を参考
平安時代以前(794年以前)
時 代 | 出 来 事 |
---|---|
591年 | 日羅が九六位山に圓通寺を建てる |
645年 | 大化の改新 |
710年 | 平城京に都が移される 奈良時代の始まり |
713年 | 風土記の編集を始める。現存している風土記は風土記(常陸国・出雲国・播磨国・肥前国・豊後国) |
752年 | 奈良の大仏 |
755年 | 高田最古のお寺の補陀寺が天台僧[壇叟]により開かれる 798年、天台僧同運によって開かれたという説もある。 |
平安時代(794~1192)
平安時代は1192年までと1185年までとの異見あり。1185年は平家滅亡の年、1192年は鎌倉幕府成立の年。
794年 | 平安京に都が移される |
---|---|
1016年 | 藤原道長摂政になる |
1142~1153年 | 刀鍛冶國綱が高田荘に居住する |
1167年 | 平清盛太政大臣になる |
1177~1180年 | 高田次郎隆澄が高田荘に居住する |
1181年 | 高田次郎隆澄、緒方三郎惟義、大野六郎家基等平家に背いて兵をあげる |
1185年 | 平家滅亡(壇ノ浦の戦い) |
1190年 | 溝口左衛門尉永繁(ながしげ)が高田の荘を領し、猪野に居住する。 |
1190~1199 | 若宮八幡社創建 |
1192年 | 源頼朝が征夷大将軍になる(鎌倉に幕府を開く) |
鎌倉時代[1192~1333(1336)
本格的な武家政権による統治が開始した時代である。
年 代 | 出 来 事 |
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1192年 | 鎌倉幕府が成立 |
1196年 | 【大友能直 おおともよしなお】豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行となる 1593年大友 義統(おおともよしむね)まで大友氏が400年続く。 |
1196年 | 【紀新太夫行平】能直に扈従(こしょう)して豊後に入る |
1190~1198年 | 溝口左衛門の尉長繁が高田荘を領し、猪野に居住する |
1190~1198年 | 若宮八幡社が大友能直により建てられる |
1208年 | 紀行平が後鳥羽上皇のご番鍛冶となる |
1222年 | 紀行平が亡くなる |
1272年 | 【3代目大友頼泰】豊後国に下向(これより本拠を豊後に置くようになる) |
1274年 | 文永の役 |
1281年 | 弘安の役 |
1285年 | 【豊後図田帳】大友頼泰の鎌倉幕府へ豊後国の調査をし上書した。その中に初めて高田の荘という文字が使われる |
1333年 | 鎌倉幕府滅亡 後醍醐天皇建武の新政 |
1336年 | 南北朝時代が始まる |
1338年 | 足利尊氏が室町幕府を開く |
室町時代(~1573) 戦国時代( ~1602年)
1333年鎌倉幕府を倒し、1338年足利尊氏が征夷大将軍になる。室町時代の開始年次は1333年、1336年、338年と諸説あり。
室町時代の応仁の乱(1467)から日本が統一されるまでの乱れた時代を戦国時代と言い、室町幕府が倒れ、織田信長、豊臣秀吉の時代を安土桃山時代という。
時 代 | 出 来 事 |
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1338年 | 足利 尊氏が幕府を成立 |
1387年 | 興聖寺が曲の手(かねのて)に建てられる数度の焼失の後、現下徳丸に再建される |
1467年~1468年 | 応仁の乱 |
1500年 | 徳丸惟貞が大友親治から高田の荘徳丸名扇の内の知行を許される。 |
1553年 | このころよりキリシタンの伝道が始まる |
1576年 | 織田信長が安土城を築く。 |
1577年 | 間別調(まべつちょう 現在の国勢調査の類)がおこなわれ、その中に門前、別保、成松、徳丸、猪野等の名前が出ている。 |
1582年 | 本能寺の変 |
1585年 | 高田の荘の洗礼1300名とあり、キリシタンが増える。 |
1586年~1587年 | 豊薩合戦 豊後と薩摩のあいだで戦争が行われる 高田の多くの神社、寺が焼かれる。 鶴ヶ城の戦い 戸次川の戦い |
1586年~1587年 | 鶴崎合戦(豊薩合戦)が行われ、高田からも多くの豪志が参加する。 |
1586年~1614年 | 高田鍛冶統行は藤原姓、仲摩新五郎という。 |
1586年(天正14年) | 鶴崎合戦の戦火により、若宮八幡社、常行、上徳丸天満宮、補陀寺が焼失する(後、再建される) |
1590年 | 豊臣秀吉全国を統一 |
1594年 | (参考)家島・森町・小池原・猪野・葛城の大部分、大津留・毛井・広内・宮河内が臼杵領になる。 |
1600年 | 関ケ原の戦い |
江戸時代(1603~1867)265年間
1603年徳川家康が征夷大将軍になる。
時 代 | 出 来 事 |
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1600年 | 関ケ原の戦い |
1601年 | 加藤清正豊後の国二万石を転封される(てんぽう 国替え)これにより高田は熊本藩になる |
1601年 | 法心寺加藤清正により創建される毎年行われる二三夜は清正の法要である |
1603年 | 徳川家康、江戸に幕府を開く。 このころより加藤清正によるキリシタンの取り締まりが厳しくなる。 |
1611年 | 加藤清正病没 |
1614年 | キリシタンの大追放が行われる。 |
1625年 | 【若宮八幡社】 亀甲にあった社殿が洪水により流出 |
1629年 | 【若宮八幡社】加藤忠弘(熊本藩2代目藩主)が現在の鵜の瀬に社を再建する。 |
1632年 | 熊本藩主加藤忠広が改易される |
1632年 | 細川氏の乗船「波菜之丸 なみなしまる」が新造される 千石船 長さ33m幅8m |
1632年 | 豊前小倉藩主細川忠利が肥後熊本藩52万石に転封される之より高田は細川領になる |
1632年 | 細川忠利が領内の検地をする |
1637~1638年 | 【島原の乱】細川領の鶴崎地区も参加する。 |
1644年 | 常仙寺 刀鍛冶藤原行長の寄進をもとに日秦により建てられる |
1647年 | 中島・門前・家島・葛城の一部 成松・池ノ上が延岡領になる |
1658年 | 大洪水発生 亀甲村は非常な災害を受ける |
1659年 | 常行神社常行枯木天神が創建される |
1662年 | 一乗寺 法心寺の日達により建てられる |
1669年 | 刀工藤原行長が死ぬ。常行の常仙寺は1644年この行長の喜捨によって出来たお寺で同寺には行長の木像や位牌がある。 |
1664年 | 能仁寺 細川綱利により建てられる |
1661~1672年 | キリシタンに対する取り締まりが最も厳しかった時代である。 |
1707年 | 大風雨・洪水あり。(高田風土記の亀甲村の条に「どて切れ70間(約127m)程にて流家13件、倒家96~97間ありし」と)なおその後も洪水に対する表記は多数あるが割愛する。 |
1751年 | 興聖寺数度の移転の後現下徳丸に移転される |
1761年 | 紀行平の540年忌にあたりその供養碑を建てる。(現在地 横尾字二目川鍛冶屋 現在は変わっているかもしれません) |
1758年 | 首藤治郎兵衛 岩丸家の長男として生まれる |
1761年 | 紀行平の540年忌にあたり、明治二目川に供養塔が建てられる。 |
1797年 | 毛利空桑 大分郡常行村に生まれる |
1798年 | 紀行平 刀工行平の墓が関門仲間に建てられる |
1803年 | 豊後国志が完成する |
1810年 | 伊能忠敬 第二次の鶴崎測量をする (高田では下徳丸村、関門村、堂園村を測量) |
1813年(1814年) | 高田風土記 高田手永の地誌が編纂される |
1820年 | 岡松甕谷 丸亀(上徳丸)に生まれる |
1824年 | 毛利空桑が私塾を常行に開く |
1834年 | 毛利空桑藩命により鶴崎に移転する。 |
1837年 | 富豪首藤次郎兵衛がなくなる(79歳)治郎兵衛は高田の常行の人 長八、義道ともいう。熊本、臼杵、府内、杵築、延岡の各藩に御用達をなし、献金をなす |
1840年 | 1835年に焼失した波菜之丸を新造する。 |
1841年 | 岡松作右衛門高田手水の惣庄屋岡松作右衛門が亡くなる(68歳) |
1849年 | 高田鍛冶勝衡が死ぬ |
1850年 | 岡松真澄高田手水の代官惣庄屋岡真澄が亡くなる(68歳) |
1859年 | コレラが流行する |
1867年 | 【徳川慶喜】大政奉還をする |
これ以降は高田関係の朱書きは多すぎ朱書きできません。主要な項目のみ朱書きにします。
明治時代・大正時代
時 代 | 年号 | 出 来 事 |
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1868年 | 江戸を東京と改め、都を移す。 | |
1871年 | 廃藩置県により 大分県になる 各藩は次のようになる(熊本県、岡県、延岡県、臼杵県、日田県) | |
1872年 | 学制が公布される | |
1872年 | 大分県支庁(鶴崎出張所)を鶴崎に置く | |
1873年 | 明治6年8月15日 | 明倫堂を明倫学校として開校 高田小学校の始まり |
1873年 | 毛利莫が大分県師学校長となる | |
1875年 | (明治8年)町村の合併が行われる。丸亀村(亀甲村・上徳丸村) 鶴瀬村(大鶴村・鵜猟河瀬村) | |
1875年 | 第三大区(大分郡) (第11小区) 関園村・常行村・南村・下徳丸村・丸亀村・鶴瀬村となる。) | |
1875年 | 高田を2役所に>従来の九カ村を六か村にし、下役所(常行、関園)それ以外を上役所の二部とする | |
1876年 | 明倫学校後の明治学校を高田小学校と改称 | |
1877年 | 西南戦争で西郷軍が鶴崎に来る。官軍の輜重部を本村高田に置き、糧食を常行の首藤百門より調達 | |
1879年 | 高田小学校は下徳丸字屋敷に移る | |
1879年 | コレラが流行する | |
1884年 | 役所を一つ 上下役所を一つにし下徳丸の興聖寺を借りて役場とする。 | |
1884年 | 毛利空桑没す88歳 | |
1887年 | 高田尋常小学校に改称する | |
1888年 | 駐在所が下徳丸に開設される | |
1889年 | 明治22年 | 町村制施行 高田村になる 村長 中村黙ニ 助役 仲摩 孫七 |
5月15日興聖寺で初めての高田村議員集会 議員定数12名 | ||
1889年 | 明治23年 | 第一回村会 |
1889年 | 〃 | (参考) 松岡村・毛井村・大津留村の三村が合併し、松岡村になる。 |
1892年 | 高田村役場が下徳丸に建てられる | |
1893年 | 明治26年10月14日 | 明治26年高田大水害がおきる。 後に水難横死生徒の碑が建立される高田村では溺死84名、流出家屋93、牛馬の死するもの14頭 |
1894年 | 日清戦争がおきる高田村から31名が出征 | |
1895年 | 明治28年 | 岡松甕谷亡くなる(76歳) |
1897年 | 明治30年 | 高田村の人口は2825人です。 |
1904~1905 | 日露戦争がおきる高田村から81名出征 | |
1901年 | 明治34年 | 7月31日高田小学校では校地を拡張し、木造二階建六教室を新築 |
その間、興聖寺で授業をする | ||
1903年 | 明治36年 | 小学校創立30周年記念式を行う。 (10月13日) |
1907年 | 明治40年 | 筒井百平が富士山頂で我が国初の寒中気象観測をする |
若宮八幡社拝殿新築落成のため、開帳祭が執り行われる | ||
1908年 | 小学校義務教育が6年に延長される | |
1909年 | 12月 高田村の戸数437戸 人口は2553人 | |
小学校増築落成式を行う。 | ||
1910年 | 高田尋常小学校が高等科を置き、高田尋常高等小学校に改称 | |
1912年 | 大正元年 | 8月6日高田に初めて電灯がつく その記念碑が若宮八幡社境内にある |
1913年 | 大正2年 | 高田農業補習学校を小学校に併設する。 |
1914年 | 大分・坂ノ市間にバスの運行が始まる | |
1914年 | 大正3年4月1日 | 鶴崎駅が開業する |
第一次世界大戦(日独戦) 高田村より7人出征 | ||
1915年 | 大正4年 | 高田小学校校歌が制定される |
5月29日 | 県道について村長、村議、区長等で現地見聞 | |
1917年 | 高田村生産販売組合ができる | |
1917年 | 大正6年 | 役場新築落成式 前の役場は駐在所として利用 |
1920年 | 大正9年6月10日 | [高田村志]発行 久夛良木儀一郎 中村寿徳 小手川又吉 |
第一回国勢調査を実施 | ||
1921年 | 大正10年3月6日 | 県道編入の許可が下りる |
1920年 | 大正9年6月 | 高田実業銀行設立 (資本金50萬円) 初代頭取 首藤親人 二代目 首藤宝吉 三代目 首藤勝美 |
1922年 | 大正11年 | 広瀬辰男 高田若宮八幡社の宮司に就任 (大神宮司死亡につき) |
大正11年12月10日 | 先哲祭が始まる>岡松、毛利先生の追悼式 | |
1923年 | 大正12年6月6日 | 小学校小遣い室の不始末で全勝 |
1923年 | 大正12年 | 高田小学校保護者会が始まる |
鶴瀬より鶴崎町に至る新道が開通 | ||
関東大震災が起きる。 | ||
日豊本線が全通する。 | ||
1924年 | 大正13年9月 | 旧高田橋開通 |
1925年 | 大正14年 | 12月10日金谷渡しが県費による公用渡しとなる |
1925年 | 大正14年昭和元年 | 昭和元年 小学校が現在の位置に移転 移転時の授業 1年、高等2年 興聖寺 高等一年・三年 役場 4年、5年 平林利一氏方 2年、6年 常仙寺 |
1926年 | 大正15年 昭和元年 12月26日崩御 | 11月3日(明治節) 新校舎の落成式 |
昭和時代
昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号である。世界恐慌から満州事変へと戦争の道を進む。昭和の前半は暗い時代である。しかし、戦後の昭和は第二次世界大戦での敗戦からの過酷な戦後復興を迎える。高度成長時代、東京オリンピック、そして、オイルショック。
昭和は、第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることができるようだ。
そして、高田もその歴史の中で生きていく。
時 代 | 出 来 事 | |
---|---|---|
1926年 | 昭和 4年 大野川の改修工事が始まる(現在も継続中) | |
1928年 | 昭和3年 | 「財団法人奨順社」設立 |
:昭和井路組合に加入 | ||
1929年 | 昭和4年 | 【先哲祭】 毛利、岡松、行平の先哲祭をする 2月22日 |
〃 | 1945年(昭和20年)2月22日まで毎年行われた | |
1929年 | 〃 | 大野川の改修工事が始まる(現在も継続中)大野川幹川(戸次~海 右岸19.35km) (竹中~海 左岸18.2km) 乙津川(松岡~海 左右岸9.14km) |
1931年 | 昭和6年8月30日 | 高田小学校の2棟が焼失する。 5年生以上は堂園の平林利一さん方の養蚕室を借りて授業 |
〃 | 県道下徳丸より上徳丸に至る新道開通 | |
村道下徳丸中村健二郎前より仲摩龍三郎にいたる新道開通 | ||
1932年 | 昭和7年 | 大分県立鶴崎工業学校を設置する。 |
1932年 | 4月28日 前年焼失した高田小学校が新築される | |
1933年 | 昭和8年 | 高田橋より駐在所前までの県道拡張工事が実施される。 |
1936年 | 昭和11年 | 高田村少年消防隊を結成する |
〃 | 松本商会と契約がなり、トマトの出荷異始まる。 | |
1937年 | 昭和12年 | 7月、(日本染料製造株式会社 日染)現住友化学KK 鶴崎工場が設置される |
日華事変始まる | ||
1939年 | 昭和14年 | (日染)現住友化学大分製造所が操業開始する |
1939年 | 高田出身の法学博士佐藤百喜が亡くなる。(農林行政に功績) | |
1939年 | 平林利市が亡くなる(70歳) 高田地区における養蚕、酪農、促成栽培の創始に努力した。 | |
1941年 | 昭和16年 | 太平洋戦争が始まる |
1941年 | 小学校名を高田村立国民学校と改称する | |
1942年 | 昭和17年 | 昭和井路工事が始まる |
1943年 | 昭和18年9月18日 | 昭和18年の大水害が起きる 鶴瀬の堤防が破壊、高田橋が流失 降水量 604.5ミリ 最高水位 7m584 流出家屋 17戸 溺死者 14名 流失家屋 鬼子母神堂、鶴林一男、金丸喜十郎、金丸次雄、馬場 磨 宇藤高市、野田七五三吉、丸崎一三、松林悦治、佐藤照彦 野田芳雄、工藤久江、一乗寺、佐藤益三、東 武 村谷サカエ、村谷又四郎 (計17戸) 溺死者 金丸喜十郎他4名(男児2名 女児2名) 村谷サカエ他2名(女児2名) 村谷又四郎 馬場シナ 馬場春男 工藤久江 東格太郎 東 イエ (計14名) |
1945年 | 昭和20年 | 太平洋戦争が終わる |
〃 | 金丸次雄氏 当時村財政予算額 53,800円 | |
〃 | 12月9日 農地改革指令発令 農地改革 昭和20年11月23日現在の耕作者へ 当時高田村の耕地面積 243町歩余り 自作地 108町歩余り 小作地135町歩余り 解放後 自作地 221町歩余り 小作地25町歩余り (計 246町歩余り) 25年8月1日現在 自作農 236戸 自作兼小作業 126戸 小作兼自作業 18戸 小作農 12戸 計 392戸 昭和26年経営状況 総戸数 392戸 総人口 2,463人 (一戸当たり 6人) 総面積 246町歩余り (一戸当たり 6反強) | |
1946年 | 昭和21年 | 9月4日鶴瀬の大野川溢流提が竣工する()工費は1000万円 |
1947年 | 昭和22年 | 昭和22年 下徳丸郵便局が開局する(局長 山崎誠一) |
1947年 | 〃 | 校名を高田村立高田小学校と改称する 小学校内に新学制により高田村立高田中学校ができる |
1947年 | 〃 | 高田農業協同組合を設置する 初代組合長 得丸忠人 |
〃 | 4月30日戦後初めての市町村長選挙が実施される 5月1日 中村壽徳 村長に就任 | |
1948年 | 昭和23年 | 明野の呼び名について明治と猪野を取って明野とする。 |
1948年 | 県立鶴崎高等学校を設立する。 | |
1948年 | 各学校にPTAが発足する | |
1949年 | 昭和24年 | ピアノが購入され、ピアノ開き学芸会 |
1950年 | 昭和25年 | 大分郡東部組合立大東中学校が明治・高田・松岡の三中学合併が合併し、金の手にできる。 |
1951年 | 昭和26年 | 昭和26年3月12日大東中学校新校舎が落成(金の手) |
1951年 | 高田小学校の講堂ができる | |
1953年 | 昭和28年 | 高田公民館を設置する 初代館長 小手川 又吉 |
1953年 | 昭和28年2月2日 | NHKテレビ放送開始 |
1953年 | 昭和28年3月15日 | 高崎山自然動物園開園 |
1953年 | 昭和井路の試験通水がされる | |
昭和29年 | 戦死者慰霊殿を高田若宮八幡社境内に建立。 | |
1954年 | 昭和29年 昭和30年 | 鶴崎市になる (初代市長 佐藤常雄) |
1954年 | 校名を鶴崎市立高田小学校と改称する | |
乙津川溢流堤の位置を松岡大津留字天神ヶ鼻に決まる。 1955年に反対運動が広がるが、昭和31年に施工が決定。 昭和31年4月~昭和34年 518,300,000円 | ||
1955年 | 昭和30年 | 国勢調査実施 鶴崎市の人口は27,982人 |
〃 | 鶴瀬に水難者慰霊塔を建立 | |
得丸武男 黄綬褒章受章 | ||
1956年 | 昭和31年 | 高田若葉幼稚園開園 園長 小手川又吉 保母茨城キクヱ |
〃 | 旧常行公民館落成式 高田若葉幼稚園開園 (常行公民館内) 園長 小手川又吉 保母茨城キクヱ | |
1957年 | 昭和32年 | 3月川添橋ができる幅5.5m 延長274m |
4月1日 区長制を廃止して自治会制になる。会長 阿部 弘 | ||
1957年 | 昭和32年 小学校に給食室ができる | |
1957年 | 第一回別府毎日マラソンが(出発別府駅、折り返し鶴崎橋)が行われる | |
1957年 | 大分鶴崎臨海工業地帯造成計画案が正式に決まる | |
1957年 | 鶴崎パルプKK鶴崎工場を設立する | |
1958年 | 昭和33年 | 昭和33年5月15日 高田橋ができる幅5.5m 延長192m |
1958年 | 昭和33年 昭和井路の完工式が行われる 昭和17年1942年着工 秋に初めての稲が採れる。 水路延長80km 隧道数178 受益面積 約1,935ha | |
1958年 | 昭和33年 川添中学校を大東中学校に統合する。 | |
1959年 | 昭和34年 | 昭和34年 大野川に新溢流提完成乙津川分岐 |
1959年 | 鶴崎臨海工業地帯建設事業起工式を鶴崎高等学校体育館で行われる。 | |
1959年 | 工業用水道工事起工式を大津留の現地で行う。 | |
1959年 | 鶴崎市の上水道起工式を松岡で行う | |
1960年 | 昭和35年 | 大分鶴崎臨海工業地帯の港湾浚渫工事が始まる |
1960年 | 鶴崎市農業協同組合を設立する。(本部を下徳丸に置くが後に森に移転する) 理事 中村九十九 毛利輝雄 | |
1960年 | 国勢調査を実施する。 高田の世帯数443戸 男性1,193人 女性1,260人 合計2,453人) | |
1961年 | 昭和36年 | 昭和36年 毛利空桑の墓県文化財の指定を受ける |
1961年 | 明けの開拓団地の買収が決まる(富士製鉄の住宅団地に予定) | |
1961年 | 鶴崎工業高等学校が設立される | |
1961年 | 昭和36年3月14日 大分市から買い取った乙津川埋め立て地に若宮八幡神幸所(御旅所)をつくる | |
1961年 | 昭和36年8月 関門公民館ができる | |
1961年 | 昭和36年 高田地区長寿会が結成される 初代会長 首藤親人 副会長 中村壽徳 〃 岩尾亀雄 | |
1962年 | 昭和37年 | 大東中学のグラウンドができる |
1962年 | 九州石油株式会社が正式に許可される | |
1962年 | 昭和井路高田地区水利組合 すべての孫線完了 開田面積 51町歩余り | |
1963年 | 昭和38年 | 昭和38年 六市町村が合併し大分市になる 人口216,130人 (初代市長 上田 保) |
1963年 | 昭和38年 鶴崎消防庁舎が完工する。 | |
1963年 | 昭和38年 国立大分高専の開校式及び入学式が鶴崎高校の体育館で行われる。 | |
1963年 | 昭和38年 毛利空桑記念館ができる | |
1963年 | 大東中学校の体育館の起工式を行う | |
1964年 | 昭和39年 | 昭和39年 東京オリンピックが開かれる |
1965年 | 昭和40年 | 明野団地の起工式を現地で行う。第一期計画 昭和40年~45年 戸数6,000戸 人口24,000人 総工費42億円 |
1966年 | 昭和41年 | 昭和41年 高田の農家(15戸)で電熱を利用した促成栽培が始まる |
1966年 | 昭和41年 高田小学校のプール起工式を行う | |
1967年 | 昭和42年 | 昭和42年 関門に[開田記念碑]が建てられる |
1967年 | 昭和42年4月 上徳丸公民館ができる | |
昭和42年11月3日 得丸武男 勲五等雙光旭日章(きょくじつそうこうしょう)受章 | ||
1968年 | 昭和43年 | 大東中学校のプール開きをする |
1969年 | 昭和44年 | 高田小学校の北校舎落成式を行う |
1969年 | 〃 | 昭和44年 亀甲公民館ができる |
1969年 | 〃 | 昭和44年 小手川善次郎翁頌徳碑の除幕式善次郎氏は高田出身、宮崎県高千穂町で呉服商を営み、郷里のため多くの土地その他を寄贈した。 |
1969年 | 〃 | 松岡に東芝IC工場を建設することに決定する。 |
アポロ11号が月に到着 人類が初めて月に立つ。 | ||
1970年 | 昭和45年 | 鶴崎警察署を大分東警察署と改める |
1970年 | 〃 | 昭和45年 大阪万博が開かれる よど号ハイジャック事件がある |
1970年 | 〃 | 昭和45年 東芝大分工場が操業する |
1970年 | 〃 | 昭和45年 毛利空桑旧宅及び塾跡 県文化財の指定を受ける |
1970年 | 〃 | 昭和45年 現鶴崎橋が開通する |
松岡に東芝大分工場ができる | ||
1971年 | 昭和46年 | (昭和46年)明野団地に明野ショッピングセンターが開店する。 |
1972年 | 昭和47年 | 昭和47年 大分東郵便局が大東中学跡地にできる |
1972年 | (昭和47年)大分市内七農協が合併し大分市農業協同組合として七月一日より運営する。 理事 藍澤亮一 岡松次生 | |
1973年 | 昭和48年 | 昭和48年 高田小学校開校百周年記念式典が行われる |
1973年 | 昭和48年 第一次オイルショックが起きる | |
1973年 | 昭和48年 | (昭和48年)九六位山キャンプ場を開く。 |
1975年 | 昭和50年 | (昭和50年)高田小学校の校舎を増築する。 |
1975年 | 昭和50年 | 国勢調査実施 高田地区 世帯数 850戸 人口3354人(男 1648人 女1706人) |
1976年 | 昭和51年 | 昭和51年4月19日 公立高田幼稚園が新設される |
1976年 | 昭和51年昭和井路の改修工事が完成し、完工式並びに「昭和井路の碑」が戸次で行われた。 | |
1976年 | 昭和51年 堂園公民館・南公民館ができる。 | |
1976年 | 大分市立高田幼稚園が新設され入園式が行われた。 | |
1977年 | 昭和52年 | 若葉保育園現在地に移転 |
1978年 | 昭和53年 | 第二次オイルショックがおきる |
1978年 | 9月 南公民館落成式 | |
1981年 | 昭和56年 | 昭和56年 渕健児(下徳丸) 大分市議会議員初当選(以来5期18年間つとめる) |
1984年 | 昭和59年 | 昭和59年9月 鶴瀬公民館ができる。 |
1984年 | 江藤 光 黄綬褒章受章 | |
1985年 | 昭和60年 | 昭和60年 毛利空桑記念館が開館する。 |
1987年 | 昭和62年 | 昭和62年 国鉄鶴崎駅がJR鶴崎駅になる |
1988年 | 昭和63年 | 昭和63年 大分市立東陽中学校が下徳丸に新設される 生徒数858名 職員数45名 |
1988年 | 昭和63年 青函トンネル・瀬戸大橋 開通 | |
1989年 | 昭和64年 | 昭和64年・平成元年 1月7日昭和天皇崩御 1月8日から平成になる |
平成時代
1991年 | 平成3年 台風による倒木により若宮八幡社の社務所が大破 |
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1993年 | 平成5年 台風13号により低地浸水 特に関門団地は床上浸水 |
1993年 | 平成5年 上徳丸公民館新設 |
1993年 | Jリーグ開始 10チームにて |
1995年 | 平成7年 下徳丸公民館新設 |
1998年 | 平成10年 高田公民館大字南に新築移転 |
1999年 | 大野川防災センター落成式(平成11年)平成8年~平成10年 |
1999年 | 平成11年 渕 健児 県議会議員初当選(以来4期 年間つとめる |
大分スポーツパーク 「ビッグアイ」が完成 | |
2002年 | サッカーワールドカップが開かれる |
「完全学校週五日制」が実施される。 | |
2004年 | 平成16年 関門及び堂園雨水排水ポンプ場ができる |
2004年 | 平成16年 第一回鮎・うなぎ放流体験学習が行われる。 |
2005年 | 平成17年 堂園・関門雨水排水ポンプ場ができる |
2007年 | 平成18年 校区七輪のまちづくり協議会発足 |
2007年 | 平成18年 高田校区歴史散策マップ作成 |
2007年 | 平成18年 第一回琵琶の州ウォーキング大会 |
2009年 | 平成21年 堂園公民館竣功 |
2009年 | 平成21年 御旅所に仮宮ができる |
2009年 | 平成21年 JA東陽支店発足 高田・川添が合併 |
2011年 | 平成23年 東北地震が発生する |
2012年 | 平成24年 安倍二次内閣の発足 |
2013年 | 平成25年 渕健児県議亡くなる(享年73歳) |
2016年 | 平成28年 熊本地震が発生する |
2019年 | 平成31年 ラグビーワールドカップが開かれる |
2019年 | 平成31年(令和元年) 消費税が10%になる |
〃 | 常行公民館が新設 |
令和時代
2020年 | 令和2年1月15日 | 令和2年 新型コロナウイルスが流行する。 1月15日 日本で初めての確認 |
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2021年 | 令和3年7月23日 | 2020東京オリンピック開催(1年遅れの開催) |
2021年 | 令和3年 | 多くの行事、イベントが中止される。 常行自治会長 首藤規行氏が亡くなる。11月 |
2021年 | 令和3年10月14日 | 岸田内閣発足 |
2022年 | 令和4年年2月24日 | ロシアウクライナに侵攻する。 |
2022年 | 令和4年4月2日 | (南)高田グラウンドの完成、安全祈願祭 |
2022年 | 令和4年7月8日 | 安倍晋三元首相 銃撃され死亡 |
2022年 | 令和4年11月20日 | 先哲祭100周年記念行事が開催される。 |
2023年 | 令和5年2月28日 | 「大分市 協働のまちづくり大賞」で大賞を受賞 |
2023年 | 令和5年3月05日 | 第27回校区グランドゴルフ大会がコロナ後の体育行事として3年ぶりに開催 その後、5月にソフトボール大会、6月にミニバレーボール大会が開催 |
2023年 | 令和5年4月09日 | 大分県知事に佐藤樹一郎氏初当選 20年ぶりの交代 |
2023年 | 令和5年5月~9月 | 新中島橋関連の仮設道路工事始まる |
2023年 | 令和5年10月~令和6年5月 | 新中島橋護岸工事始まる |
2023年 | 令和5年10月26日 | ドラッグモリ 大分高田店が堂園にオープン |
2023年 | 令和5年11月11日 | 高田小学校150周年式典が開催される。 |