《21》水難者慰霊碑と水難慰霊祭

水難者慰霊碑

明治26年及び昭和18年の大水害の際の水難者慰霊碑である。
明治26年の慰霊碑は大野川堤上にあったが、昭和18年の洪水で流されて以来行方不明であった。しかし、昭和52年の鶴崎自動車学校の校舎工事の際に一部が出土した。
そして昭和52年に自動車学校の厚意の元に再建を行った。しかし、それから25年ほどを経てその老朽化と環境の変化に伴い、再建の運びとなり平成15年3月竣工し、7月20日校区をあげて水難慰霊祭が執り行われた。その後も、防災の日の9月1日に高田校区として自治会が行うようになった。
《高田村史を参考・引用》

明治26年10月14日の大水害 

被害状況:  破堤9箇所(延長( 1,027m )死者 84名 
         流出家屋 93戸    (続高田村史より)

令和2年9月1日10時から一乗寺にて高田校区自治会、遺族出席のもと水難慰霊祭が行われました。
明治26年の水害から127年、堤防も高くなり多くの排水施設もできました。しかし、台風の規模も最近は大きくなりいつ同じような水害に会うかわかりません。
[天災は忘れた頃にやって来る。]といいます。高田は特に水害対策の準備を怠りなくやっていくことが必要であると思います。

水難慰霊祭