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昭和18年9月20日の水害

当時の新聞では次のように報じられていました。
高田地区では,江戸時代から現在まで過去400年の間に60回以上もの水害が起こっている。今回の水害(昭和18年9月20日)は,前日から降り続いた大雨によって,堤防が決壊したことによって発生した。鶴瀬地区の10数戸を一気に流し、下流の別保や鶴崎をも洗った。死者18人(内小学生4名),流失家屋32戸,全壊6戸,半壊300戸,さらには家畜の馬・牛をも流失したほどの最大のものであった。鶴瀬部落の丸亀地区では3尺~5尺(約1m~2m)砂利に埋設した。野菜畑の半数の100町歩[1町歩は1ha ,3000坪である。]は3~4寸(約10㎝)の泥土に覆われた。(当時の合同新聞 高田公民館,2013)。昭和初期までは大野川左岸では関園から鶴崎まで、乙津川右岸では、高田橋から鶴崎までは堤防らしい堤防はなかった。

【台風26号】国土交通省資料より
昭和18年9月 台風第26号は沖縄の南海上をゆっくり北上していたが、18日昼にその向きを北東に変え、19日の昼には奄美大島の西部を北東に進み、宮崎県の西部から高知県四国の足槢岬に上陸しました。この台風の接近のため、下流平地部及び中流部で大雨が降り、本川水位は増大し、下流部の堤防は至るところで越流破堤し、鶴崎(つるさき)町を中心とした平地部は浸水し大被害が生じました。

鶴瀬の破壊箇所(高田公民館・建設省資料)

昭和18年9月20日の洪水時の水位表

上徳丸の水位標
下徳丸の水位標

関門の水位標

なお、現在関門の水位標は高田校区公民館内に移設しました。