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高田の歴史(カテゴリー別)
- 大分市高田水害の歴史
- 大分市高田の神社・仏閣
- 高田の古跡(石碑・慰霊塔等)
- 高田の偉人・人物
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- 風俗・地理・言語
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- 高田の産業(作成中)
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- 高田公民館歴史資料室
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高田の歴史 最近20件の表示
※ 20件までの表示をしています。
〈堂園 おしゃべりサロン〉 今回は川祭りに合わせ河童(かっぱ)を作成
〈便利手帳〉高田校区 大分バス 路線バス時刻表 (2024年4月1日改正版)
〈鶴崎地区の歴史〉新聞で見る 金谷の渡し・百堂の渡し から川添橋へ
〈鶴崎地区の歴史〉鶴崎踊り保存会 創設100周年記念式典にて
<高田の農業史>新聞で見る高田の農業 〈昭和30年代〉
大分市内小学校の設立年比較表 (高田小学校150周年に寄せて) 《更新》
《高田の歴史・七輪のまちづくり》歴史標柱とポイントの概要》 <更新>
<高田の巧み>能面打ちに80歳からの挑戦 丸亀の高田 守さん(86歳)
<高田の巧み>能面を作り続けて10年 南の鶴田隆一さん(85歳)
<鶴崎地区の中の高田>「鶴崎地区の八校区」どうなっているの?
<高田校区自治会>高田の水難者慰霊祭 令和6年 宝塔様
<大野川水害対策協議会>令和6年 高田小学校四年生とのアユ放流体験学習
<高田の歴史>高田校区 歴代自治部会長 <昭和29年~平成28年まで>
年度別高田の歴史 <年度別ではなく年別です>
大友氏滅亡後大分は多くの藩に分断してしまいました。そしてその中でまた細かく分断したのが、わが高田周辺です。(高田は肥後細川藩です)まず、鶴崎は三佐(岡藩領) 家嶋(臼杵藩領) 千歳(延岡藩) 乙津(天領)と入りくんでいます。高田周辺も 高田風土記(1800年 文化年間)によれば 臼杵藩は 丹生 岡 延命寺 金谷 毛井新田 横尾 森村 森町村 大津留村 毛井村 等 幕府領松岡村になっています。(今でも知られている村をあげています)
それ以外の鶴崎、大在、坂ノ市、佐賀関、野津原、竹中などは、肥後熊本藩の飛び地でした。
〈当ホームページ 高田の歴史-高田村史内より抜粋〉
ー省略ー
そして熊本藩は行政の中心として肥後領内に手永をもうけました。手永とは熊本藩が藩内の行政区として管内を五十三手永に区画し、各手永に御代官兼御惣庄屋を置いて手永内のおける一切の民生を行わせていました。
大分では九重、野津原、谷村、高田、関の五か所の手水がありました。(熊本藩の参勤交代の通路にあたると思います )高田手永は現在の高田ではなく、わかりやすく言えば昔の鶴崎市ほどの広い地区でした。そして<高田会所>はその民生の執務所でした。会所の長を御代官兼御惣庄屋といいます。そしてそれが設けられていたのが高田の上徳丸にある高田会所跡です。
高田はこの地域の行政の中心的位置にあったのです。
〈当ホームページ 高田の歴史-人物(岡松甕谷)より抜粋〉
歴史は知れば知るほど奥が深く面白いものだと思います。