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高田の歴史(カテゴリー別)

高田村史   <高田村志、高田風土記、輪中のさと 等の歴史書関係 >

高田村史(鎌倉から江戸へ)
高田小学校
高田村志  (高田の歴史書)
高田風土記 (細川藩高田の荘の地勢記録)
輪中のさと (昭和48年までの高田史)
その他関連書籍

高田の歴史 最近20件の表示

※ 20件までの表示をしています。
《高田の歴史・七輪のまちづくり》歴史標柱とポイントの概要》       <更新> New!!
<高田の巧み>能面打ちに80歳からの挑戦 丸亀の高田 守さん(86歳)
<高田の巧み>能面を作り続けて10年 南の鶴田隆一さん(85歳)
<鶴崎地区の中の高田>「鶴崎地区の八校区」どうなっているの?
高田校区の人口と戸数の推移 「令和6年度 高田の動向を知る」         (自治会別を含む)
<高田校区自治会>高田の水難者慰霊祭 令和6年 宝塔様
<大野川水害対策協議会>令和6年 高田小学校四年生とのアユ放流体験学習
<高田の歴史>高田校区 歴代自治部会長 <昭和29年~平成28年まで>
<大分を歩く>「ふるさとの歴史教室」九六位山 圓通寺(樹齢1400年のイチョウもある)を訪ねる
<大分を歩く>鶴崎剣八幡宮 春の例大祭(けんか祭り)
<高田の歴史を語る>南の安部吉郎さん(91歳)、南渡り拍子を語る。そして高田の歴史も……
〈高田若宮八幡社〉春雨の中、春季例大祭
<南渡り拍子保存会>3月24日春季例大祭に合わせ山車の準備です
<南渡り拍子保存会>少しずつ伝統文化も引き継がれています
<高田の地図>違いわかりますか? 大正7年・昭和5年・昭和23年  昭和48年・昭和63年
[改定版] 乙津川 分流提(溢流堤)
<高田のスクラップ①>渕健児 元大分県議会副議長・細川候御座船 波奈之丸
<高田七輪のまちづくり>昭和18年水害の水位標、高田校区公民館に設置される
<高田の歴史を語る>鶴瀬の川崎庸夫さん(93歳)、昭和18年大水害を語る。
<船本の渡し> 船本の渡し・大野川乙津川分派

年度別高田の歴史  <年度別ではなく年別です>

大友氏滅亡後大分は多くの藩に分断してしまいました。そしてその中でまた細かく分断したのが、わが高田周辺です。(高田は肥後細川藩です)まず、鶴崎は三佐(岡藩領) 家嶋(臼杵藩領) 千歳(延岡藩) 乙津(天領)と入りくんでいます。高田周辺も 高田風土記(1800年 文化年間)によれば 臼杵藩は 丹生 岡 延命寺 金谷 毛井新田 横尾 森村 森町村 大津留村 毛井村 等 幕府領松岡村になっています。(今でも知られている村をあげています)
それ以外の鶴崎、大在、坂ノ市、佐賀関、野津原、竹中などは、肥後熊本藩の飛び地でした。
〈当ホームページ 高田の歴史-高田村史内より抜粋〉
ー省略ー
そして熊本藩は行政の中心として肥後領内に手永をもうけました。手永とは熊本藩が藩内の行政区として管内を五十三手永に区画し、各手永御代官兼御惣庄屋を置いて手永内のおける一切の民生を行わせていました。
大分では九重、野津原、谷村、高田、関の五か所の手水がありました。(熊本藩の参勤交代の通路にあたると思います )高田手永は現在の高田ではなく、わかりやすく言えば昔の鶴崎市ほどの広い地区でした。そして<高田会所>はその民生の執務所でした。会所の長を御代官兼御惣庄屋といいます。そしてそれが設けられていたのが高田の上徳丸にある高田会所跡です。
高田はこの地域の行政の中心的位置にあったのです。
〈当ホームページ 高田の歴史-人物(岡松甕谷)より抜粋〉
歴史は知れば知るほど奥が深く面白いものだと思います。

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