大分市高田と鶴崎地区の他の校区とのつながりを調べます。

2024年
〈鶴崎地区の歴史〉新聞で見る 金谷の渡し・百堂の渡し から川添橋へ

👉百堂・金谷の渡し 昭和30年代前半まで高田と川添の間には橋がなく、橋を利用しようとすれば鶴崎橋か白滝橋まで回らなければなりませんでした。唯一渡る手段として、百堂と金谷にあった渡し舟です。 しかし、この渡し舟も手漕ぎの小 […]

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2024年
〈鶴崎地区の歴史〉鶴崎踊り保存会 創設100周年記念式典にて

〈2024₋06₋10〉 「鶴崎踊り保存会 創設100周年記念式典」が6月9日3時から鶴崎公民館(集会室)で開催されると鶴崎の友人からLINEがあり早速行ってみました。3時から開式の挨拶、関係者の表彰式、県知事、市長、市 […]

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2024年
<鶴崎地区の中の高田>「鶴崎地区の八校区」どうなっているの?

※*七輪 (三佐、鶴崎、別保、明治、高田、松岡、川添)の7校を言っていましたが、明治は明治北が増え、8校区になりました。 8校区で検討してみました。 平成から令和6年までの鶴崎地区の世帯数、人口の動向はどうなっているのか […]

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2024年
<大分を歩く>「ふるさとの歴史教室」九六位山 圓通寺(樹齢1400年のイチョウもある)を訪ねる

「ふるさとの歴史教室」は、鶴崎公民館での歴史の講話や県内、県外の歴史の地を訪ねるバス旅行、鶴崎地区内の野外研修を行っています。 そして今回は野外研修として九六位山の円通寺を訪ねました。(※「ふるさとの歴史教室」に参加する […]

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2024年
[改定版] 乙津川 分流提(溢流堤)

👉高田びわのす通信 TOP 👉大分市高田校区自治会 👉大分市高田校区まちづくり協議会 👉高田校区公民館 👉大分市高田の歴史  👉昭和18年大水害を川崎氏が語る 乙津川分流提 昔の溢流提 乙津川分流提のことを地元では(私は […]

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2024年
<回覧>鶴崎地域まちづくリ ビジョンフォローアップ会議通信 №5

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2024年
<船本の渡し> 船本の渡し・大野川乙津川分派

👉高田びわのす通信 TOP 👉大分市高田校区自治会 👉大分市高田校区まちづくり協議会 👉高田校区公民館 👉大分市高田の歴史  高田周りの百堂の渡し、金谷の渡しは見て回っったが、松岡の船本にある船本の渡しも見たくなり、訪ね […]

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2024年
<つるさき七輪街づくり>つるさき七輪ふれあいウォーク 5年ぶりに開催

👉高田びわのす通信 TOP 👉大分市高田校区自治会 👉大分市高田校区まちづくり協議会 👉高田校区公民館 👉大分市高田の歴史  つるさき七輪の街づくり推進委員会主催のつるさき七輪ふれあいウォークが5年ぶりに開催されました。 […]

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2024年
〈高田を歩く・高田の歴史〉臼杵街道(岩舟(舟戸)の渡しから金谷の渡しへ) 

1・乙津川になぜ渡しが必要だったのか 輪中の高田を挟む両河川に正式な橋が架かったのは昭和30年代になってからです。(それまでにも高田橋については沈み橋や短い橋はあったようです。 川添橋完成     昭和32年(1957年 […]

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2024年
〈高田の歴史・人物〉紀行平の供養塔が明治二目川に建立されていた。

紀新太夫行平の供養塔が高田の関門だけでなく、明治の二目川にもある、ということを聞いていたので、今回、明治公民館を訪ね、紀行平供養塔の建立先を教えていただき供養塔を訪れました。また、紀行平の供養塔については明治校区郷土史の […]

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