<高田の歴史を語る>南の安部吉朗さん(享年91歳)、南渡り拍子を語る。そして高田の歴史も……
※12月15日亡くなりました。謹んで哀悼の意を表します。 《故安部吉朗さんに捧ぐ》半年ほど前の4月に安部さんに南渡り拍子について教えていただきたい。良ければ「高田のびわのす通信」に載せたい。と申し込むと快諾してくださり、 […]
〈高田の歴史・人物〉紀行平の供養塔が明治二目川に建立されていた。
紀新太夫行平の供養塔が高田の関門だけでなく、明治の二目川にもある、ということを聞いていたので、今回、明治公民館を訪ね、紀行平供養塔の建立先を教えていただき供養塔を訪れました。また、紀行平の供養塔については明治校区郷土史の […]
高田の刀鍛冶について [高田 浩己] 卒寿祝いに捧ぐ。
高田長寿会第三部会では先月に卒寿を迎えた高田浩己先生の誕生日祝いを行いましたが、今月の長寿会定例会議で記念の集合写真を撮影しました。この卒寿の記念に何かないかと探したところ、30年以上前に「高田ふるさと講座」で、高田の刀 […]
<高田の歴史 ふるさと講座>紀行平 「鬼の井戸伝説」堂園 田中早苗氏 作]
平成9年のふるさと講座に紀行平の「鬼の井戸」について下記のように記されている。 行平が高田で仕事場としていたのは関門の矢熊という所。いまでも「鬼の井戸」と呼ばれるものが残るが、住宅建設予定地のような場所にあり、いつ消滅す […]
<高田の歴史>高田村村長 13代 <明治から昭和29年鶴崎市まで>
高田村と村長 高田村は江戸時代から長く続いていた印象があります。しかし、実際は明治22年から昭和29年の65年間です。それまでは、亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸村・南村・常行村・関門村・堂園村の9村にわかれ […]
《「高田村志」を読む》 第三章人物 7・岡松甕谷
👉高田びわのす通信 TOP 👉大分市高田校区自治会 👉大分市高田校区まちづくり協議会 👉高田校区公民館👉大分市高田の歴史 「高田村志」を意訳するにあたり<再度記載> 「高田村志」は大正九年に書かれた高田の歴史、地理、人物 […]
《「高田村志」を読む》 第三章人物 6・毛利空桑
👉大分市東部(旧鶴崎市・鶴崎地区を中心に) 第三章人物 6・毛利空桑を読む前に 第三章人物 4で書いた毛利太玄の息子が毛利空桑です。毛利空桑は高田の三哲、紀行平・毛利空桑・岡松甕谷の一人として高田ではよく知られています。 […]
《「高田村志」を読む》第三章人物 4・毛利太玄(毛利空桑の父)
第三章人物 4・毛利太玄を読む前に 高田の三哲として紀行平、毛利空桑、岡松甕谷の三人が挙げられ、またよく知られている。しかし、大正の初めに書かれた「高田村志」の中に出てくる高田の人物としてその3人以外に3人の名前が挙げら […]
<「高田村志」を読む>第三章 人物「紀新太夫行平」
紀新太夫行平 <参考> 紀行平の「「高田村志」第二章人物 紀行平」に入る前に、紀行平を年表にまとめてみたいと思います。紀行平については詳細な記録は少なく、伝説に基づくものが多いような気がします。それらをもとに作成してみた […]
《高田の歴史》第三回 岡松甕谷 <高田信一>
以前、高田信一氏が亡くなられた時に、高田信一氏を偲んで下記の三部作をアップしましたが、分けて記事にしてほしい、という要望があり、その記事を3回に分けてアップしたいと思います。なお、今回アップにあたり、誤字の修正、注釈等を […]









