<鶴崎地区の歴史>二十三夜祭 加藤清正と法心寺
7月23日は鶴崎の法心寺で毎年二十三夜祭が開催されます。今年は夕涼みに二十三夜祭に行ってみました。 なぜ、名古屋尾張の加藤清正が九州熊本の大名になったのか、また、飛び地の鶴崎<高田の荘>を熊本藩に取り込んだのか。どうして […]
<常行自治会> 国土交通省による防災講演会(水害への備え)
👉高田の歴史 7月23日(日曜日)常行自治会主催による防災講演会が高田校区公民館で開催されました。 残念ながら私は私用で参加できなかったため、仲摩常行自治会長に写真等の取材をお願いしました。過去に多くの水害にあってきた高 […]
<高田公民館 資料室>⑧高田神楽調査資料 高田にも地元の人が舞う神楽があった!
高田若宮八幡社の秋季例大祭(秋祭り)では、小池原神楽神楽が舞われている。しかし、かっては高田にも常行の人たちが中心となり神楽を舞う人たちがいたのである。残念なことに、その神楽も高田大水害により、神楽の衣装や小道具が流され […]
<高田公民館 資料室> ⑦昭和18年大水害 鶴瀬堤防決壊時写真・鶴瀬今昔概略図
昭和18年高田大水害時の堤防が決壊した写真が高田水害と言えば必ず出てきます。公民館の資料の中にその当時の整理中の写真が出てきました。貼り合わせ中の3枚の写真や、撮影個所不明の写真が30枚ほど出てきました。残念ですが、合成 […]
<高田公民館の歴史資料> ⑥高田の集落名 番地の時代、地名がなつかしい。
前回アップした字名の後、集落の図面等が見つかったので、これもアップしたいと思います。なお、まだ途中だったのか、常行・南等一部ないところがあります。 完成したものではありませんが、一つの資料としてアップしたいと思います。な […]
<高田の歴史>高田村村長 13代 <明治から昭和29年鶴崎市まで>
高田村と村長 高田村は江戸時代から長く続いていた印象があります。しかし、実際は明治22年から昭和29年の65年間です。それまでは、亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸村・南村・常行村・関門村・堂園村の9村にわかれ […]
<高田公民館の歴史資料>資料室発掘 何が出てくるかわからない! ⑤高田の自治会の境、その中の小字知っていますか。
かって、このホームページに高田の地名の変遷をアップし、高田の村名の変更や、小字について書きましたが、その小字が実際には高田のどのあたりを指すのだろうか、と悩んでいました。 しかし、今回公民館の資料の中に大字別の小字名 […]
<高田公民館の歴史資料>資料室発掘 何が出てくるかわからない! ④ 乙津川 高田橋から鶴崎にかけて堤防はなかった!
👉高田びわのす通信 TOP 👉大分市高田校区自治会 👉大分市高田校区まちづくり協議会 👉高田校区公民館 👉高田の歴史 高田の多くの人は乙津川、大野川に堤防のあることは当たり前だと思っている。私も最近まではそう思っていた […]
<「高田村志」を読む>第八章 學校 2・学校の沿革
※これからは極力意訳を少なくし、本文を尊重したものにしたいと思います。文語体では表現できない言葉の味わいが表現できると思います。 また、全て載せることはないと思う部分もありますが、できる限り歴史資料として残していきたいと […]
<グラウンド・ゴルフ交流会>コロナ明け、今年の七夕杯は「荻の里」
今年の七夕杯はコロナ明けの景気づけに、竹田市荻町の「荻の里」で実施しました。 私は行けなかったのでG・G同好会会長の熊井さんに写真を送ってもらいました。このすがすがしい集合写真。「荻のさと温泉」にたっぷり浸かった後の写真 […]








