昭和20年、30年代の鶴崎地区は大変革の時代でした。その移り変わる鶴崎地区の姿を残そうと旧鶴崎市地区の小中学校でつくっている社会科の研究サークルが、郷土資料集をまとめていました。それが「鶴崎の歴史と地理」です。(その経緯は第一回に記しています。)

第一回は高田校区中心の編集でしたが、第2回以降は鶴崎地区全体をジャンル別に分けて整理しアップをしたいと思います。
第2回は昭和20、30年代の鶴崎地区の学校 です。

昭和20、30年代の鶴崎地区

長い間続いた1町7村が20年ほどの間に鶴崎市になり、また大分市となっていきます。

Ⅰ・行政の変遷

1・ 1935年(昭和10年)頃は1町7ヵ村

①鶴崎町 ➁三佐村(昭和13年合併)  ③別保村(昭和13年合併)  ④桃園村(昭和19年合併) (三ツ川、千歳は大分市に合併)
⑤明治村 ⑥高田村 ⑦川添村 ⑧松岡村

2・ 1945年(昭和20年)頃は1町4ヵ村 (終戦時)

①鶴崎町(鶴崎・三佐・別保・乙津) ②明治村 ③高田村  ④川添村 ⑤松岡村

3・ 1954年(昭和29年)合併 鶴崎市

 鶴崎市となる。

4・ 1963年(昭和38年)合併

6市町村が合併して大分市となる。

Ⅱ・[参考] 校区別世帯数と人口 (昭和35年国勢調査時)

昭和35年10月から約70年後の令和8年1月を比較してみると、ほぼ変わらない校区と、別保、明治のように7,8倍に増加した校区もあります。そこでは大きな団地ができ、ベッドタウン化しています。

校区別世帯数と人口 (昭和35年国勢調査時)

校区名戸数(戸)人口(人) 昭和35年10月令和8年1月備考
三佐校区9032196240646024600
鶴﨑校区18453857411179687376
別保校区53712831389267218107
明治校区80921442230437426174明治北+明治
高田校区4431193126024536684
川添校区4381117114622635417
松岡64316661757342311806
昭和35年5618134561429927755 80164

[参考] 校区別人口数の動向(1991年~2025年)

当サイトに載せている「「鶴崎地区の八校区」どうなっているの?」より抜粋しました。

👉鶴崎地区の八校区」どうなっているの?

平成3年平成7年平成12年平成17年平成22年平成27年令和2年令和6年令和7年
校区1991年1995年2000年2005年2010年2015年2020年2024年2025年
三佐4,6944,8265,0015,0174,9524,8454,7924,5214,487
鶴崎8,3838,7348,2368,2698,1437,8407,5437,4947,397
別保14,05016,01316,71217,02017,19917,76218,15418,33818,324
明治6,6417,1339,72310,05210,72712,03813,54014,30214,300
明治北9,87811,75911,24711,60711,72011,91711,96812,00111,929
高田5,1005,8226,2666,3926,4826,5456,5486,6926,671
川添6,4987,2887,2786,9036,4066,1195,7815,5215,426
松岡4,3504,1614,0645,5747,5689,16610,24511,36111,574
合計59,59465,73668,52770,83473,19776,23278,57180,23080,108

<考察>
明治校区、松岡校区が2000年ごろから急に増え始めています。

Ⅲ・校区別小学校児童数、中学校の生徒数の推移

小学校の児童数の推移 及び中学校の生徒数
年度三佐小学校鶴﨑小学校別保小学校明治小学校高田小学校川添小学校松岡小学校桃園小学校合計
昭和28年6279623376333553255264454210
昭和29年6449593556673653405344294293
昭和30年65210083616833923515443991
昭和31年64810723667243953705764151
昭和32年65311093707554203725634242
昭和33年68111524087844304035734431
昭和34年67411883947834203925734424
昭和35年64511653877294003655374228
昭和36年61311333576653563335073964
昭和37年57510643745843243044563681
令和7年 200 324 966 1836 383 160 8964765

<写真クリックで拡大>

三佐小学校
鶴崎小学校
別保小学校
明治小学校
高田小学校
川添小学校
松岡小学校

<考察>
戦後のベビーブームにより増え続けた児童数も、昭和33年、34年をピークに全校区にわたって
減り始めます。

しかし、昭和40年代に入り、新産都、新日鉄、昭和電工の進出により、次々に宅地や大型団地がつくられ、それに伴い、その団地のつくられた明治、松岡、別保では人口が大幅に増えていきます。それと並行し児童の数も増えていきます。

                 中学校の生徒数の推移
年  度鶴崎中学校大東中学校川添中学校東陽中学校合  計
昭和28年10205801631763
昭和29年11386381851961
昭和30年12327121852129
昭和31年10737321851990
昭和32年10147321901936
昭和33年8948421736
昭和34年8798641743
昭和35年9809361916
昭和36年116310992262
昭和37年129111262417
令和7年・8年  約733 約1234  398 約2365

30年代の教職員の推移
 年  度 小学校中学校合   計
教員数事務員教員数事務員  教員 事務員
昭和28年12466221868
昭和29年12756621937
昭和30年11356821817
昭和31年11556321787
昭和32年11555921747
昭和33年11745421716
昭和34年12245411765
昭和35年12146311845
昭和36年11737021875
昭和37年11137521865

Ⅳ・各学校の沿革

※この文中に出てくる(現在)とは昭和30年代を意味します。
 事項の太字は鶴崎地区歴史年表を参考に追加したものです。
 今後追加する部分についても太字で記入しようと思います。

小学校

明治5年、学制が公布される。
明治40年、小学校令改正により義務教育6ヵ年となる 明治41年小学校義務教育が6年に延長される
昭和16年(1941年)小学校名を村立国民学校と改称する (他校も同じ)
昭和22年(1947年)校名を国民学校から小学校とする。 村立小学校と改称する 小学校内に新学制により村立の中学校ができる。後、鶴﨑市、大分市により鶴崎市立、大分市立とかわっていく。 
各学校にPTAが発足する

●三佐小学校の沿革

資料:三佐小学校沿革誌・創立80周年記念誌

西  暦    年 号事      項
1874明治7年 1月旧中川氏のお茶屋跡を学校として創立する。
1881明治14年家島分場を創設する。
1901明治34年5月校舎を新築する。
1901明治34年7月三佐小学校西校舎2階建をたてる
1909明治42年5月校地203坪を買い入れ、2教室を建築する。
1910明治43年5月21日家島より通学する児童が、 渡船 転覆し12名溺死する。
1911明治44年2月再び家島分教場を開く。
1912明治45年7月増樂校舎 (4教室 現在の南校舎平屋)の落成式をなす。
1913大正2年高田農業補習学校を小学校に併設する。(他校も同様)
1934昭和9年木造2階建校舎(現在の職員室のある2階) を新築する。
1936昭和11年三佐小学校北校舎木造二階建て10教室を新築
1943昭和18年三佐村が鶴崎町に合併する 4月
町立三佐小学校になる
鶴崎町立北中学校を設立
1949昭和24年6月JRC(青少年赤十字) に加盟する。
1951昭和26年北中学校(三佐)と南中学校(別保)を統合して鶴崎町立鶴崎中学とする。
1952昭和27年6月2日講堂の落成式をする。
1958昭和33年7月10日給食室ができる
1962昭和37年7月31日丸川の新運動場の埋め立てを完了する。
   1972昭和47年三佐小体育館完成

●鶴﨑小学校の沿革

1860万延元年毛利空桑がお茶屋の中に「成美館」をたてて教育し、後「有終館」にても子弟を教育する。
1872明治5年1月16日成美館を改めて町立の鶴崎学校と称した。
1885明治18年1月10日新築校舎の落成式
1887明治20年4月鶴崎尋常小学校と改称する
1888明治21年鶴崎高等小学校を設置する。
1903明治36年5月成美館を解屋して校舎を改築する。
1924大正13年1月16日西校舎を増築する。
1928昭和3年1月4日奉安殿並びに北校舎の増築をする (昭和20.8爆砕して現存しない)
1935昭和10年7月12日講堂並に北校舎教室増築落成する。
1939昭和14年7月西校舎平屋建2棟落成する。
1942昭和17年5月南校舎2階4教室が落成する。
1945昭和20年8月9日空爆により北校舎2階建14 堂倒壊する
1950昭和25年5月4日2階建8教室を新築落成する
1951昭和26年北中学校(三佐)と南中学校(別保)を統合して鶴崎町立鶴崎中学とする。
1959昭和34年7月11日プールを建設する (25X12m)
1961昭和36年4月30日鉄筋コンクリート3階建校舎を新築する(第一期工事)
1962昭和37年2月18日鉄筋コンクリート3階建校舎を新築する(第二期工事)
 1974昭和49年鶴崎小学校体育館が竣工する
 2012平成24年
鶴崎小学校北校舎建て替え工事開始(4F)  11月
[参考]鶴崎小学校要覧
鶴崎小学校沿革誌

●別保小学校の沿革

1875明治8年皆春小学校 と森町小学校が別々に発足する。
1887明治20年皆春尋常小学校 、森町尋常小学校と改称する。
1892明治25年7月13日現在の位置に校舎を建て2つを統合して別保尋常小学校となる。
1912明治45年別保尋常高等小学校と改称する。
1927昭和2年2月1日別保小学校新築校舎(2階建8教室)ができる
1939昭和14年9月1日学校林ができる(佐藤雄氏寄付)
1947昭和22年4月1日鶴崎町立別保小学校と改称する。
1951昭和26年9月29日2階建6教室 (現在の南校舎) 新築する
北中学校(三佐)と南中学校(別保)を統合して鶴崎町立鶴崎中学とする。
1955昭和30年7月15日講堂ができる。
1959昭和34年11月30日給食室ができる
1961昭和36年11月16日宿直室ができる。
       2023令和8年別保小学校150周年記念式典を開催
「別保小学校要覧」
「別保小学校沿革誌」

●明治小学校の沿革

  1875明治8年明治小学校は猪野小学校、横尾小学校と別々に創立する。
1908明治41年1月10日2階建て10教室を現在地に新築。猪野、横尾小学校が合併し、明治村立尋常小学校を設立
1914大正3年1月平家建4教室 (現在の講堂の家) 増築する。
1925大正14年平家建4教室 (本館) を増築する
1936昭和11年9月大正3年増築の平家建4教室を移転改装して講堂とする。
1939昭和14年5月東側山林を開拓して学校圏をつくる
1958昭和33年7月31日第50回開校記念事業として校門及び西側土手の改修並びに学習園の改修をする。
1960昭和35年3月5日給食室ができる。
1960昭和35年3月10日平家建3教室 (南校舎) ができる
1961昭和36年1月31日北便所並びに渡り廊下 (本館と北校舎との間)
  1971昭和46年明治西小学校が開校し、明治小学校より分離する。 後、明野西小学校になる
  1978昭和53年明治小学校が児童数1547名 学級数38の大分県一の大規模校となる
  1983昭和58年明治北小学校が開校し、明治小学校と分離する。 児童486名が転校する。
  2008平成20年明治小学校100周年記念事業を開催する
「明治小学校要覧」
「明治小学校沿革誌」

●高田小学校の沿革

高田小学校の沿革
1873明治6年8月15日明倫堂を村立の明倫学校として開校する。
1876明治9年明倫学校後の明治学校を高田小学校と改称
1879明治12年08月1日校舎を改築する。
1887明治20年高田尋常小学校に改称する
1893明治26年10月14日大洪水のため児童8名溺死する。
1901明治34年3月31日校地を730坪に拡張し、2階建 6教室一棟を新築する。
1909明治42年9月9日二階建て校舎を増築する。
1910明治43年高田尋常小学校が高等科を置き、高田尋常高等小学校に改称 (他校も同様)
1923大正12年高田小学校に保護者会ができる。(他校も同じ)
1931昭和6年5月30日高田小学校の2棟が焼失する。
5年生以上は堂園の平林利一さん方の養蚕室を借りて授業
1932昭和7年4月28日前年焼失した高田小学校が新築される
1943昭和18年9月20日大洪水のため児童4名が溺死する。
1947昭和22年校名を国民学校から小学校とする。 高田村立高田小学校と改称する 小学校内に新学制により高田村立高田中学校ができる 各村も同様
1951昭和26年8月20日講堂の落成式をする。
1953昭和28年4月創立80周年記念事業 (植樹と図書館)
1957昭和32年11月15日給食室ができる。
1969昭和44年高田小学校の北校舎落成式を行う
1975昭和50年(昭和50年)高田小学校の校舎を増築する。

●川添小学校の沿革

1874明治7年1月7日金谷小学校として創立する(代官所を校舎とする)
1874明治7年5月23日種迫小学校を創設する
1875明治8年広内分校設立(金谷小学校の分校)
1876明治9年広内村、丹川村、川添小学校より分離
1887明治20年金谷簡易小学校と改称
1892明治25年7月1日広内分教場が発足する。
1910明治43年4月1日宮河内 ・種迫小学校が合併して川添尋常小学校となる。
種迫小は種迫分校となる。広内はそのまま
児童数本校205 種迫分98 広内分38
1914大正3年高等科設置  川添尋常高等小学校となる
1950昭和25年1月1日北海部郡より大分部に挿入される。
1953昭和28年9月1日講堂ができる。
1954昭和29年4月1日鶴崎市に合併のため鶴崎市立小学校と改称する。
1958昭和33年11月30日新校舎2階建 6教室ができる
1958昭和33年12月20日川添中学校後に移転する、
1959昭和34年4月18日種迫分校を廃校し、本校に統合する。
1960昭和35年10月10日給食室ができる。
1972昭和47年広内分校廃校式
1984昭和59年川添小学校の建設
鉄筋三階建と四階建て校舎 8億5千万円を投じて竣工

●松岡小学校の沿革

1875明治8年10月6日荻田の民家を使用して創立する。
1877明治10年松岡小学校の分校が毛井にできる
1878明治11年両校を合併して字谷川に校舎を建てる。
1902明治35年7月21日校舎を現在の位置に決め、校舎改築する
1907明治40年8月平屋建て3教室を増築する
1912大正1年11月2階4 教室を増築する
1924大正13年平屋建4教室 (現在の南校舎)を建てる。
1933昭和8年10月26日2階建4教室を増築する。 (ルース台風により全壊)
1940昭和15年4月9日皇紀2600年を記念して学校林に植樹する。
1950昭和25年7月19日講堂並公民館ができる
1951昭和26年10月14日ルース台風のため、南教室二階建て4教室が倒れる。
1953昭和28年7月21日新築校舎( 2階建て8教室  現在の北校舎)ができる。
1957昭和32年9月17日給食室ができる。
2023令和5年高田小学校150周年式典が開催される。

中学校

鶴﨑中学校の沿革

1947昭和22年4月23日新学制により南 ・北中学校として発足する
1951昭和26年9月1日統合して鶴崎中学校となり現在の位置にきめる
1951昭和26年11月14日鉄筋コンクリート3階建校舎を新築する。
1953昭和28年9月30日鉄筋コンクリート2階建校舎ができる。
1954昭和29年4月1日鶴崎市立鶴崎中学校と改称する。
1956昭和31年8月20日運動場を拡張する。
1957昭和32年3月20日給食室ができる
1958昭和33年3月31日体育館ができる
1959昭和34年4月1日特殊学級を開設する。
1959昭和34年12月4日健康学校県第1位の表彰をうける。
1960昭和35年11月21日学校給食優良校として文部大臣表彰をうける。
1961昭和36年1月27日健康優良学校県第1位の表彰をうける
1961昭和36年11月10日プールができる

●大東中学校の沿革

1947昭和22年4月23日明治、高田、松岡、川添にて村立大東中学校ができる
1950昭和25年12月大分郡東部組合立大東中学校が明治・高田・松岡の三中学合併が合併し、金の手にできる。 
1951昭和26年3月12日大東中学校の校舎ができる。
1951昭和26年4月4日現在の校舎で授業を開始する
1953昭和28年4月6日運動場の埋め立て工事竣工する
1956昭和31年1月28日創立5周年学校祭をする
1958昭和33年3月19日学校林を宮河内につくる
1958昭和33年9月1日川添中学校を統合する
1958昭和33年10月16日2階 4教室ができる
1961昭和36年2月16日二階廊下ができる。
1961昭和36年3月31日普通教室4教室ができる
1962昭和36年3月13日運動場ができる。
1963昭和37年大東中学校の体育館の起工式を行う
1978昭和53年大東中学校の新校舎が現在地に竣工し移転する。

昭和63年  大分市立東陽中学校が下徳丸に新設される
      生徒数858名  職員数45名
      大分市立大東中学校から分離

高等学校

●鶴崎高等学校の沿革

1906明治39年7月10日私立工業徒弟養成所を設置する
1923大正12年4月1日大分県立工業学校分校となる
1392昭和7年4月1日大分県立鶴崎工業学校となる。
1948昭和23年4月1日鶴崎工業学校 、中学校、女 学校3校を統合して、 大分県立鶴崎高等学校を設置する。
(鶴崎町立鶴崎中学校の設置は昭和17)
1950昭和25年4月1日大分県立東豊高等学校となる
1953昭和28年4月1日大分県立鶴崎高等学校となる 。(坂ノ市校舎、佐賀関校舎は東豊高校となる)
1961昭和36年4月1日大分県立鶴崎工業高等学校を設置し、工業科を独立校とする。
2010平成22年大分県立鶴崎高校100周年記念式典挙行

●鶴崎工業高等学校の沿革

1906明治39年7月10日私立工業徒弟学校(鶴崎工業学校の前身)が設立される。
1923大正12年4月1日大分県立工業学校分校となる
1932昭和7年4月1日大分県立鶴崎工業学校を設置する。
1948昭和23年4月1日鶴崎工業学校 、中学校、女 学校3校を統合して、 大分県立鶴崎高等学校となる。
1950昭和25年4月1日大分県立東豊高等学校となる。
1953昭和28年4月1日大分県立鶴崎高等学校となる 。(坂ノ市校舎、佐賀関校舎は東豊高校となる)
1961昭和36年4月1日大分県立鶴崎工業高等学校を設置し独立校となる。
機械、電気、建築、化学工学、蚕業デザインの5科をおく。
1961昭和36年12月30日新校舎の起工式を大字葛木字向の現地で行なう。