<2026-05-15>

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大分市八幡にある柞原(ゆすはら)八幡宮に参拝しました。柞原八幡宮は平成30年から本殿のほか4棟の修理事業を総事業費9億9千万円の工事費で7年をかけ今年の3月に終了しました。早く見てみたいと思っていたのですが、5月15日に鶴崎ふるさと歴史教室、6月7日に大分市市民ウォークが柞原八幡宮の参拝をするためそれに参加することにしました。しかし、写真をゆっくりと撮りたかったため下見がてらに先に柞原八幡宮を参拝しました。

柞原八幡宮は豊後の一番格式の高い「一の宮」です。
「一の宮とは」
一の宮とは何なのだろうと調べると、それぞれの国(大分では豊後の国)で一番格式の高い神社ということです。しかし、豊後の国では西寒田(ささむた)神社柞原神社のどちらが一の宮かと明治時代になるまで争ってきたそうです。そして現在ではその2社が一の宮となっています。どちらの神社も一の宮と表記されています。また大分には宇佐神宮があるのではと思いますが、宇佐神宮は豊前の国の一の宮になります。また、全国に約4万社ある「八幡宮」の総本宮でもあります。

国の重要文化財
柞原八幡宮は本殿・拝殿・楼門など10棟が国の重要文化財に指定されています。江戸後期から明治期に再建された建築群で、宇佐神宮を模した独特の「八幡造」が特徴です。また、宝物殿は、神社に伝わる刀剣・仏像・古文書などの文化財が収蔵・展示されており、国の重要文化財が6点保存されています。


<参考>西寒田(ささむた)神社

👉西寒田神社のフジの花

(2022₋4₋30撮影)

柞原八幡宮

柞原八幡宮の上り口に柞原八幡宮の由緒略記が掲げられていたのでそれを見てみたいと思います。

豊後一の宮 (国指定 重要文化財)

柞原八幡宮 由緒略記

御祭神
   仲哀天皇 (帯中日子命)タラシナカツヒコノミコト 
   応神天皇 (誉田別命)ホンダケノミコト
   神功皇后 (息長帯比女命)オキナガタラシヒメノミコト
主な祭典
   例大祭(三月十五日)
   夏越祭(七月三十一日)
   浜之市(九月十四日~二十日)

当宮は平安時代の天長四年(八二七)に宇佐神宮より御分霊を勧請(かんじょう 神仏に祈り願ってこちらに来てもらうこと)し、承和三年(八三六) 国司により社殿を造営。爾来、皇室も厚く尊崇せられた。
嘉承(一一〇八)には、勅使の参向(天皇からの使いの者が来ること)があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。(社殿敷地の四至(境目)が確定され、その範囲内の税(年貢や公事など)が免除された。)
仁平三年(一一五三)には、鳥羽法皇が六十歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。(鳥羽法皇が60歳の御賀(長寿の祝い)に際し、柞原神宮で祈願を行い、神領(しんりょう 神社の領地 社領)を定めたという伝承です)
元暦元年(一一八四)には、源範頼(みなもとののりより)が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友、竹中、日根野)、
武家の崇敬も非常に厚く近世には、社家二百余、坊舎三十を数えた。御本殿は嘉永三年(一八五〇)に再建された。壮麗な八幡造り。
参道途中に建つ南大門は、「日暮門」(ひぐらしもん)と称し、壁面には二十四孝にじゅうしこう 中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物等の彫刻が施され、門の横には樹齢千年の天然記念物の大楠が聳(そび)えている。
宝物館には太刀、甲冑、金銅仏等重文六点他を所蔵。



豊後国(大分県)の最高格式である「一の宮」に指定された歴史ある神社です。827年(1200年ほど前)に宇佐神宮の分霊を勧請して創建され、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀る、厄除・開運の神として厚い信仰を集める神社です。

《参考》
神功皇后(じんぐうこうごう)は仲哀天皇の皇后です。仲哀天皇が亡くなった後、息子の応神天皇が即位するまでの間の70年間近く、摂政として実質的に国のトップに立ちました。

源氏の氏神応神天皇は弓の達人であったことや、母・神功皇后と共に出陣したという伝説から、武勇の神として崇められました。平安時代以降、清和源氏をはじめとする武士たちから厚く信仰され、全国の八幡神社(大分県の宇佐神宮や京都府の石清水八幡宮など)の主祭神として祀られ武運や国家を守る神様として信仰されました。
豊後の国では柞原八幡宮は大友氏とも関係が深かったと考えられます。

柞原八幡宮を参拝します

①参道登り口

かんたん交差点から4kmほどいくと柞原八幡宮の参道入り口が見えます。
そこには柞原八幡宮のバス停、手水舎が入り口の右側にあります。この手水で浄めた後、登っていきます。
駐車場はここに10台ほど、50mほど先に第3駐車場があり、300mほど先に進むと、無料駐車場と看板がありそこを右に曲がるとすぐに大きな駐車場があります。そのまま進むと境内の宝物庫のところに20台以上停められそうな駐車場があります。
ただ、上までの道路は狭く運転が苦手な人は下に停めた方が無難だと思います。

➁ホルトノキ

入り口の階段を上がっていくと、すぐに右手に大木が見えてきます。神社では杉やクスノキが多いがホルトノキとは珍しい。これは大友宗麟の時代にポルトガルから入ったのを植えたといいます。そのためポルトガルの木からホルトノキと言うそうです。大分駅南にあるホルトホールもこのホルトを使っているそうです。
また大分県指定の特別保護樹木および大分市の名木に指定されています。

参道の右の白っぽい巨木です



この木は享禄から天文のころ、豊後国主大友宗麟が盛んに外船を引き、神宮寺浦(今の春日浦)において外国貿易を営んだ際、ボルトガル人が持って来て移植したものなのでその名をとって樹の名前としたと言う。

樹高  25m
幹周  4.8m
樹齢  400m


③南大門(日暮門 ひぐらしもん)

参道入り口と本殿との中間地点あたりにこの南大門があります。
南大門は、龍・花・鳥・聖人、中国の「二十四孝」の物語などが極めて繊細に彫刻されており、"一日中見ていられる"ことから、別名「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれています。


下側から上側を望む

上側から下側を望む

南大門の彫刻

④柞原神社の天然記念物 クスノキ

南大門の傍には樹齢約3000年ともいわれる大きなクスノキがあり、国指定の天然記念物になっています。
(国指定天然記念物)全国屈指の巨木です。
高さも約30mありますが、それより根元の大きさと力強さです。これは私が今まで見た中でも一番大きく感じました。

大楠は樹高30m、根周りは34m、地上2mの根周りは19mもあり、幹の下部は空洞になっており、大人が十数人が入ることができる。
わが国でも有数の巨木であり、大正11年3月に国に指定を受ける。
平成元年、環境庁巨木調査にて全国七位。

境内 (社務所前西門から本殿へ)

深い柞原の森の中に鎮座する社殿は壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国の重要文化財に指定されています。

今年の3月で復旧工事が終わったそうですが、これは第一期工事です。
第一期工事は 本殿、西宝殿、東宝殿、八王子社、宝蔵の五施設でした。
第二期工事では申殿、拝殿、楼門、南大門(日暮門)、西門、東・西回廊を行うそうです。
しかし、その工事の期間は施設を見学できなくなること、また国からの補助は出ますが別途資金が必要なこと等で時期は未定とのことです。

一期工事中の様子


南門を通り、参道を上がっていくと西門に行く道と楼門に行く道に分かれます。楼門からは直接境内には入れないため帰りによることにします。
参道を上がっていくと社務所がありその前に西門があります。そこからは境内が見えてきます。
境内に入ると左手に西宝殿、本殿、東本殿があり、右手には回廊があります。
残念ながら本殿側は入れず、境内から撮れる写真だけを撮影しました。
 後日、鶴崎ふるさと歴史教室に参加した時は、八幡宮の長澤禰宜が境内の説明や歴史、今回の改修工事等について詳しく説明をしてくださいました。また写真撮影はできませんでしたが、本殿側にも入ることができ、その完成したばかりの鮮やかな本殿に感動させられました。

⑤境内への入り口に西門

正面に申殿と拝殿

左側に西宝殿・東宝殿と本殿

本殿の区画に入っては写真が撮れないため、境内側からのみの写真となります。

西宝殿側


東宝殿側

境内に入り、右側に回廊

回廊の上り口で一休憩。


天井画(天井絵)

貴重な絵ですが、時代とともに色あせています。これを長澤禰宜に尋ねると復旧するとすれば多額な資金が必要になるということだそうです。

大友宗麟公奉納開運大太鼓

回廊の階段をあがり、拝殿に行く途中にあります。自由にたたいて開運を祈るそうです。
 ただキリシタンだった大友宗麟と神宮の関係はどうだったか歴史の謎を感じます。

⑥ 楼 門

境内の中側からは直接に門の正面は見ることができないため、ここを出た後別ルートの山道から向かいます。ここへの石の階段は急なため、しっかりと手すりを掴みながら上がってください。

楼門への道

⑦ 宝物殿

柞原八幡宮は本殿・拝殿・楼門など10棟が国の重要文化財に指定されており、この宝物殿には国、県指定の文化財とともに、刀剣・仏像・古文書などで6点が国の重要文化財に指定されています。
 この宝物殿は正月の三が日しか見学できないようになっていますが、鶴崎ふるさと歴史教室の依頼で見学ができました。

駐車場の端に宝物殿とトイレがあるのですが、最初宝物殿とトイレを勘違いしていました。右はトイレ

「幸福の扇石」

参道の石畳に、扇の形をした石が2ヶ所埋め込まれています。この石を踏んで願い事を唱えると、願いが叶うという言い伝えがあります。
 ただ、長澤禰宜の話ではどこに扇石があるかなど知らずに踏む必要があると言っています。
また、ちまたでは二か所と言っていますが、長澤禰宜の話では三か所あるそうです。

扇石1

扇石2

扇石


石段と深い森に包まれた雰囲気の良い参道