〈協会HP〉
👉大分県ウォーキング協会
👉協会各イベント情報
〈当サイト〉
👉大分を歩こう

<参考>別府湾ウォーキング協会」と「泉都ウォーク」
今日は「別府湾ウォーキング協会」が主催の「泉都ウォーク」に参加さてていただいたので、それについて紹介させていただきます。
「別府湾ウォーキング協会」は、大分県別府市を拠点に活動しているウオーキング団体です。
日本ウオーキング協会および大分県ウオーキング協会の傘下団体(支部)として、別府市内やその周辺地域で定期的なウォーキングイベントを開催しています。

1. 「泉都ウォーク」 👉協会各イベント情報

そして主な活動が毎月第3日曜日に開催されている「泉都(せんと)ウォーク」です。
別府市内を中心に、日出町や杵築市など別府湾沿いのエリアを歩きます。
会員以外でも、当日受付で気軽に自由に参加できるのが特徴です。

由布、鶴見岳がみえる別府公園に集合してきました。
令和5年1月 温泉蒸し卵

1月4日、今年もウォーキング初めとして別府市内の神社五社をめぐる第226回泉都ウォークに参加しました。別府公園に集合し別府市内の主要な神社五社を初詣するという企画です。2日、3日は雪が舞う寒い日が続きましたが、今日は打って変わっての最高のウォーキング日和でした。
 参加者は別府公園に集合し、9時15分から出発式が行われました。別府ウォーキング協会の古荘会長の挨拶の後、甲斐副会長が各神社の説明、神社の参拝の仕方などを説明後、全員で三三拍子の掛け声をあげスタートしました。今日は150名以上の参加者ということで、10㎞の2班と5㎞の3藩に分かれてのスタートです。
ゴール後には、この大会の一つの目玉、温泉地獄蒸し卵をいただき解散しました。

五社巡りコース

別府市内五社詣で

出発式

泉都ウォークの特徴は会員よりも一般参加の方が多いのが特徴です。今日はテレビ局の取材もあり皆さん力が入っています。

受付です
次々に集まってきます
出発式
出発式 古荘会長の挨拶

柔軟体操も終わり出発です。

①吉弘神社

最初に参拝するのは吉弘神社です。

慶長5年(1600)9月、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原(いしがきばる)合戦において、西軍石田三成に見方して挙兵した大友義統の家臣・吉弘統幸(よしひろ むねゆき)を祀る神社です。
吉弘統幸は、大友氏の有力な家臣で「豊後最強の武将」とも称されました。石垣原の戦いで吉弘統幸は、黒田官兵衛の軍と戦い、壮絶な討死を遂げました。その勇猛さと潔さは敵方の黒田軍からも称賛され、戦いの後、彼の死を悼んで石垣原に墓が建てられました。これが神社の始まりです。

②石垣神社

境内由緒書より
御由緒板によると「この地は、大昔より山神社(大山津見命)の鎮座する社地でした。ここの、平安時代の朱雀天皇の承平七年(937年)九月十三日、医薬の祖神と崇められた少彦名命を出雲国の午間天神社より勘請して此所に祀り人々の無病息災を祈願してきました。時代は下って、室町時代の後柏原天皇の文亀三年(1503年)夏の大旱魃の祈りに菅原神(菅原道真公)に雨乞いをしたところ大雨に恵まれました。村人たちは大いに喜び同年九月二十四日、この境内に菅原神を合祭しました。以来、産土神として篤く尊崇されつづけてきました。

③野口天満神社

由緒書き:天正5年(1577)の創建といわれ、古くから別府北方大境村の鎮守として崇められてきました。慶長4年(1599)に社殿を造営、享保の大水害の後、神社は再修され、又、堅固な堤防を築いたので永く神域が護られ、村民は天満神社の御神徳に感謝し地鎮めの宮相撲を行ってきました。
 明治6年村社となり、昭和17年には供進指定神社に列せられました。社地は明治、大正、昭和の3代にわたり整えられ、現在は近郷14町内の氏神として護持されています。

今年の茅の輪くぐりです

この神社には茅の輪くぐりがあります。この数年この茅の輪くぐりは松の内の1月7日までのため撤去されていました。しかし、今年は早かったため茅の輪くぐりに間に合いました。過去の茅の輪をアップします。

2019年1月6日撮影

2020年1月5日撮影

④八幡朝見神社

別府の神社といえば朝見神社です。

<神社の説明文より抜粋>

八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建されました。 豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志しました。家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着いたしました。

能直公は龍ヶ岡に社地を定め十月九日御鎮座申し上げました。現在の乙原の地であり、豊後八幡宮七社の一であります。 鶴岡八幡宮の社家、福田土佐守源高政が神輿の供をして着任すると、能直公は高政を神主とし、子孫相継ぎます。その後、真応二葵未年(一二二三)、福田をあらためて神(こう)と称し現在にいたっています。守護職大友氏の歴代の尊崇厚く、この年大友親秀公は朝見庄のうち千三百石を神領に寄進しています。

神社までの参道

夫婦杉(めおとすぎ)

参道の石段を登りついた先に2本の巨大な杉があります。2本の杉が寄り添うように天に向かって真っ直ぐ伸びている姿から、いつしか「夫婦杉」と呼ばれるようになりました。
この2本の杉の間を二人で通り抜けると、結ばれる(幸せになれる)という言い伝えがり、カップルや夫婦はもちろん、良縁を願う方々が多く訪れます。

境内からは別府が一望できます

参道には干支が描かれています

参道の石畳に描かれているものを踏むと縁起が良いといわれ、干支の写真を撮りながら歩いたのですが、「盃」と「ひょうたん」なのだそうです。その写真は撮っていません。
 「盃」と「ひょうたん」は古くから、見つけて踏むと「大変縁起が良い」とされており、参拝者の楽しみの一つとなっています。
瓢箪石(ひょうたんいし)

  • 無病息災や魔除け、また「六瓢(むびょう)」にかけて無病を願う意味があります。

盃石(さかずきいし)

「運をすくい上げる」という意味や、おめでたい行事の象徴として縁起物とされています。

参道に描かれていた干支

⑤八坂神社 

創建は養老元年(717年)と伝えられており、1300年以上の歴史を誇ります。 元々は疫病退散を願って、京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請(神様の分霊を迎えること)されたのが始まりです。当初は乙原(おとばる)地区にありましたが、1192年に現在の朝見地区へ移されたといわれています。
別府市内で最も古い歴史を持つ神社の一つとして知られています。

神殿横には竜が彫られています

ゴールでの温泉蒸し卵

ゴールで温泉蒸し卵をいただきました。海地獄で作ったというだけで何か美味しく思えました。