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新年に合わせ、数十年たち文字が見えづらくなっていた神社の歴史を伝える由緒看板が新しくなりました。この正月には再度読み直し、高田の氏神である高田若宮八幡社の歴史を再認識しましょう。
また、おみくじを取り付ける台も又新しくなりました。台はステンレスで作られその上に朱塗りをしています。また台の上にはおみくじの保護のためか屋根も付けられています。新しい台におみくじを結べば今年は良い年になるかもしれませんよ。
由緒看板 【画像クリック拡大】
由緒書き (看板の文字の割り付けに合わせています)
郷社若宮八幡社
祭神
大鶴鵜命(仁徳天皇)他に大物主命・豊受姬命
「水波能賣命・相 殿に金刀比羅神・稲荷神
鎌倉時代の初期建久七年(二九六)豊後国守護大友能直が鎌倉鶴岡
八幡宮より御分霊を勧請し丸亀字亀甲に創建、応永元年(一三九四)
大友第十一代 親世は高田荘(現在の東大分- 日岡・桃 園・三佐・鶴 崎別保
明治・高田・川添の鶴・迫・大在 の志 村 の地)全部を神領とし氏神とした
のでここに大規模な社殿が造営される事となった。天正十四年(一五八六)薩摩
軍の兵火にかかり、御神体・縁起書・宝物の一部を除き焼失。翌十五年小詞
を営んだが寛永二年(一六二五)九月の大洪水のため流出し、この時御神体は
大字南榎ヶ瀬の古木に留まったのでここに仮社殿を営んだ。寛永六年-
肥後藩主加藤忠広が神 殿を現在地鵜の鶴に営み、やや旧観に復 した。
すでにこの頃当社では高田手永(鶴崎・志村・川添・高田・門前・竹中に
於ける民政の執務者)の宗廟として篤く尊崇されていたが、その後範域
縮小して語琶洲一円の氏神となり更に鶴崎に剣八幡社が創建されると
当村のみの氏神となった。
正德三年(一七一三)社僧が神殿を改築したが社地が低く度々洪水にあい、且つ
小規模になった事をなげいて天保十一年(一八四○)常行の庄屋首藤理左衛門は-
社地を現在の高さに築上げ同時に建物の新築大造営を果したが安政元年
(一八五四)の大地震で大被害をうけた。現在の神殿は明治二十三年六月に、また
明治四十三年に神薬殿・旧社務所等が整備された。
| 現在の拝殿は平成八年十月、八百年祭斎行にあたり造り替えられた。また、
平成十八年の八百十年祭にあたり、玉垣・参道・駐車場等の大規模整備が
行われた。令和二年には、神殿屋根の葺き替えが行われ現在に至る。
祭礼はもと年三回だったがのち春秋の二回となり現在は三月二十八日と
十月一十二日である。明治四十一年神饌幣帛料供進社に指定され、十月十二日の
祭礼には毎年郡より供進使が参向した。