今回を以て「大分郡高田村是」の解釈を終わらせたいと思います。
明治時代(明治42年〜44年)の高田村の発展に向けた熱い意志と、調査に関わった方々の生々しい記録が伝わってくる非常に貴重な資料でした。「高田村志」は大正の初めに書かれたものですが、「高田村是」は明治末に書かれたもので「高田村志」の一部に採用されていると思われる部分もあります。
なお、当時の高田の諸データーは省略しました。
 この高田村是は亀甲の江藤正光さんから資料提供を受けたものですが、私の手から離れた後は公民館に渡してほしい、とのことでした。
データーや高田村是の現物を見たい方は公民館でご覧ください。(8月以降を予定しています)

データーの一つとしてこれだけはアップしておこうと思います。戸口です。

在籍」と「現住」の違いは、「戸籍や帳簿上に登録されている人(本籍・籍がある人)」か、「実際にその場所に住んでいる人(実態)」という登録上の基準の違いです。当時では、人が移動しても本籍を動かさないことが多かったようです。

区分
(明治42年12月末日)
人    数 (人)平均一戸当たり
人口(人)
戸 数 男  女   計  
在 籍5401605159532005.93
現 住4371274127925535.84
令和7年1月30933206346566712.16

これから言えることは、明治42年に比べ現在では戸数が約6倍増えたのに対し、人口は約2倍にしかなっていません。
これは一戸当たりの家族人数が明治42年では6人近くいたのに対し、現在では2人しかいないことです。
家の数は増えたのに、子供の数は減っているということでしょうか。



※原本はこの記事の最後にまとめて編集しています。

     高田村是【将来の部】  風紀矯正

風俗矯正1

                風俗矯正1

世間の人はともすれば表面的な文明に惑わされ、質素勤勉という美風良俗を捨てて、いたずらに虚栄心に駆られて贅沢や遊興に耽り、田園生活の高潔さを忘れて都市の喧騒を追いかけるに至っている。

農村の疲弊は年ごとに甚だしいものがある。今にして目を覚ますことがなければ、ついに国の根本の動揺を招くことになるだろう。恐れ多くも[明治天皇から]戊申詔書(ぼしんしょうしょ)が発せられたことは、誠に恐縮の至りではないか。

私たちは、どんなに苦しいときであっても、たゆまず努力し、飾りを捨てて実質につく志を忘れてよいだろうか(いや、忘れてはならない)。

今、この悪い風習を正すための一助として、「善行者表彰規程」および「時間恪守(かくしゅ)規約」を設け、これを励行すべきである。

高田村善行表彰規程

                高田村善行表彰規程
第一条 本規定は、住民の勤倹力行(きんけんりょくこう:無駄を省き努力すること)を勧め、華美遊惰(かびゆうだ:派手で怠惰なこと)を戒めるためにこれを設ける。

第二条 本規定により褒賞すべき者は、次の通りとする。

  1. 農事の改良や増殖に熱心で、他の模範となるべき者
  2. 家業に精励し、他の模範となるべき者
  3. 使用人として忠実かつ勤勉なる者
  4. 孝行な子、または節操の固い妻として、他の模範となるべき者
  5. その他、模範となるべき善行のある者

第三条 各区長は、その区内に前条の各項に該当すべき者の有無を、毎年12月20日までに村長に申告すべきである。

第四条 村長は区長の申告に基づき調査を完了し、正当と認める者へは翌年1月中に褒賞を授与する。

第五条 表彰はその行為を考慮し、賞状または金品を併せて授けるものとする。

第六条 表彰者の氏名は、新聞その他の方法により方社会に公表すべきである。

高田村 時間恪守(かくしゅ)規則

        高田村 時間恪守(かくしゅ)規則

第一条 本村に居住する者は、本規約を履行すべきである。

第二条 本規約は、時間を厳守することを目的とする。

第三条 時間の正確さを知らせるため、各区は適宜の方法を設け、鐘を鳴らす、あるいは板を叩くなどの合図を行うべきである。

第四条 無届にて公私の会合に遅刻し、あるいは欠席したときは、10銭以上1円以下の過怠金を差し出させる。

第五条 各区内における励行は、当該区長がその責任を負う。

第六条 全村にわたるものは、村長が督励(とくれい)の任にあたる。

第七条 各区の励行より生じる過怠金は、その区において適宜に処分すべきである。

第八条 全村の励行より生じる過怠金は、村長において村会議員あるいは区長に相談し、これを処分すべきである

     高田村是【将来の部】  公開堂設立

               公会堂設立
産業の発達は地理や資本等の関係によるものもあるといっても、その原動力はすなわち人為(人間の力)であり、いわゆる「地の利も人の和には及ばない」のである。今や文明の進歩は、人為をもって天の働きをも凌ぐものがある。私たちが共に奮励努力したならば、どうしてできないことがあろうか(きっとできる)。益々奮って勤勉に財産を治め、村の富力を増進し、国家に貢献するところがなければならない。
しかしながら、人の勤労には限りがあるものであり、常に心身を労してこれを慰安する時がなければ、とても永続するものではない。ゆえに産業に極力尽力させると共に、半面では慰安を与える方法を設け、少しも労苦をいとわないための策を講じ、そして田園生活の爽快さを感じさせ、自主独立の本義を味わおうと望むならば、それは田園生活に求めざるを得ないことを自覚させることが目下の急務とするところである。これらの設備がないために、青年の男女をして酒色に耽らせるに至り、農村の経済は萎縮して(土地や財産の)併合という弊害を醸し、生活困難に陥って農村を嫌い、都市の迷い子と化し、田園の荒廃は至るところで益々甚だしいものがある。ゆえに、このための施設として適当なるものは「公会堂の建設」である。
そうして、これを村内の一般の諸集会に使用することは勿論、各種の娯楽機関を備え、また安価にて会食の便を与え、公会堂に行けば解決しない用事はないというようにし、冠婚葬祭などすべて多数が集合する場合にはかなり公会堂を利用させ、これによってこれらに要する器具等を共用するに至れば、またこれによって経済上の利益を得、かつ村民の協同心を養成する上においても効果は少なくないはずである。要するに、公会堂設立という急務は、他の産業発達策を講じる急務と相まって、決して軽重(優先度の差)があるわけではなく、利用を適切にするならば、その効果は実に枚挙に暇(いとま)がないのである。
以上をもって、7か月間の実行(計画)の一つとしてここに記す。

         高田村是【結論】 

◎ 結論1

シェイクスピアは「言う人は実行する人ではない(口ばかりの者は行動が伴わない)」と言った。実にその通りであり、私たちはまさに「不言実行」の本分を尽くさなければならない。

そもそも、この村是(村の指針)で述べている内容は、私たちが身勝手な弁明を好んで詳しく並べ立てたものではない。一つひとつの事象や物事を数値に基づいて問いかけ、その答えを導き出したものであり、これこそが本村の「自然の声(真の声)」なのである。 この声に共鳴し、一致団結して行動することこそが私たちの責務である。

しかしながら、この声は決して私たちの手足を縛り、すべての行動を指示するような命令ではない。また、村のあらゆる課題をすべて網羅し、最終目的を一つに決定づけたものでもない。優先順位や物事の順序(緩急)をよく考慮した上で、「今後7年間で実行すべき大綱(基本的な計画)」を選定したに過ぎないのだ。

日々の細かな実務や事象に至っては、住民一人ひとりが細心の注意を払い、自らの両手と両足(実行力)に頼らざるを得ない(自主的な行動が不可欠である)。

◎ 結論2

このように個々人が細心の注意を払うことで得られる成果は、表や数値として綺麗に整理して示すことはできない。しかし、「塵も積もれば山となる」のことわざの通り、むしろ前に掲げた数値上の計画よりも、はるかに絶大な利益をもたらすことは確実である。要するに、いわゆる「不言実行」によって求めなければならない(得られる)ものは、大変多いのである。
 ここで、村是を実行することで得られる利益のうち、数字として表れる見込み(年額または7年間の増収見込み)を示すと、以下の通りである。

項目金額
裸麦(はだかむぎ)2,200円 10銭 6厘
小麦1,084円 70銭 7厘
蔬菜(野菜類)1,750円
養蚕(ようさん)4,230円 50銭
鍛工(鍛冶・金属加工)870円 38銭
産業組合984円
合計12,222円 52銭 3厘

しかしながら、7年後における人口増加は、現況部の第一覧に記述した通り、188名に達する見込みである。

◎ 結論3

この増加した人口に対する生活費の増大はもちろんのこと、生活水準の向上に伴う出費もかなり大きくなるはずである。さらに、時代の進展に伴う税負担や公的負担の膨張も、一層大きくなっていくことは避けられない。

これらの増加分を事前に予測し、詳細に計算してみると、先ほど挙げたような「生産増収(約1万2千円)」だけでは、とてもではないが生活や村の財政を支えきれないことが明白である。

したがって、当初の予測以上の成果を上げない限りは、今の余裕などあっという間に吹き飛び、生活の困窮へと転じてしまうのは当然の理である。

ここにおいて、住民一人ひとりの注意と警戒(危機感)に頼る部分が最も大きいと言える。私たちは共に時代の進展を見据え、苦労を厭わず挫けずに一生懸命励み(拮据黽勉)、人に遅れをとらないことを強く心に誓い、独立自営の道を実践する覚悟を持とうではないか。

◎ 調査日誌摘録

  • 明治42年(1909年)11月10日 村会議員および各区長を集め、中村村長より「村是調査」の趣旨と要項を説明し、あわせて調査の順序や方法を示した。 中村村長は各大字(集落)へ自ら出張し、集まりやすい場所に村民を集めて村是調査の趣旨と方針を懇切丁寧に説明した。そして、各戸ごとの調査に際して滞りなく回答ができるよう、あらかじめ準備を整えさせることに努めた。
  • 明治42年(1909年)11月20日 村役場の職員を中心として、帳簿やデータによる机上調査に着手した。
  • 明治42年(1909年)12月10日 各家庭を直接訪問する現地調査(戸別調査)に着手した。
  • 明治43年(1910年)3月5日 一度は調査の完結を迎えたが、調査員に支障(病気や事故等)が生じたため、当面の間調査を一時中止することとなった。
  • 明治44年(1911年)11月10日 越えて翌年、改めて調査の最終完結を迎えた。 この間、井尻第二課長や郡書記の小野氏が、調査監督としてそれぞれ2回出張・視察された。

【調査開始】 明治42年11月20日

【調査完結】 明治44年11月10日

  • 調査係長 兼 主任(村長): 中村 四郎
  • 調査専務(収入役): 首藤 喜重
  • 調査専務(書記): 金丸 浅喜
  • 調査専務(書記): 重藤 鎮平

これで『高田村是』の解読が地域のデーター部分を除いて完結しました。
明治末期、中村四郎村長をはじめとする役場の方々や地域の方々がデータを集め、村の未来(7年計画)を描こうとした熱量がひしひしと伝わってきました。こういう活動を見て吾人(この原文によく出ていました 私達、吾々を意味します)も何か地区のために頑張ばねばと思わずにはいられませんでした。

高田村是【将来の部】 風紀矯正(原文)

風俗矯正

世人動もすれば皮想的文明に罔惑(もうわく)し、質素勤儉美風良俗を棄て、徒に虚栄心に驅られ奢侈遊逸(しゃしゆういつ)に耽り田園生活ノ高潔なるを忘れ都市の紅塵を逐に至り。
農村ノ疲弊年毎に甚だしきものあり。今にして警醒(けいせい)する所なくんば遂に国本の動揺を来すべし。畏くも(かしこくも)戊申詔書(ぼしんしょうしょ)の煥發(かんぱつ)せられたる豈(あに)恐懼の至りならずや。
吾人造次に顛沛二自彊不息去華就実の志向を忘ル可けんや。
今この弊風(へいふう 今の世の中にある良くない風州や悪習)を矯正するの一助として善行者表彰規程及時間恪守規約を設け之を励行すべし。


高田村善行表彰規程

第一条
本規定は住民の金倹力行(きんけんりょくこう)を奨め、華美遊惰(かびゆうだ)を戒飾せんが爲めにこれを設く


第二条
 本規定により褒賞すべきもの次の如し
 1・農事の改良増殖に熱心し他の模範となるべき者
 2・家業に精励し他の模範となるべき者
 3・僕婢の忠実勤勉なる者
 4・孝子、貞婦として他の模範となるべき者
 5・その他模範となるべき善行ある

第三条
 各区長はその区内に前條の各項に該当すべきものの有無を毎年十二月二十日限り(までに)村長に申告すべし

第四条
 村長は区長の申告に基き調査を遂げ、正当と認めるものへは翌年一月中に褒賞を授与す

第五条
 表彰はその行為を斟酙(しんしゃく)し、褒状若しくは金品を併せ授くるものとす。

第六条
 表彰者の氏名は新聞その他の方法に依リ社会に公表すべし

高田村時間恪守規則
  • 第一条
    本村に居住するものは本規約履行すべし
  • 第二条
    本規約の時間を恪守するを以て目的とす
  • 第三条
    時間ノ正確を報するため各区適宜の方法を設け鳴鐘若しくは撃板をなすべし
     ※鳴鐘  鐘を鳴らすこと 
      撃板  木、板をたたいての合図
  • 第四条
    無届にて公私の会合に遅刻し或は不参したるときは、拾銭以上壱円以下の過怠金を出たさしむ
  • 第五条
    各区内の励行は当該区長その責に任ず
  • 第六条
     全村に亘るものは村長督励の任に当たる
  • 第七条
     各区の励行より生ずる過怠金は其の区の適宜に処分すべし
  • 第八条
     全村の励行より生ずる過怠金は村長において村会議員若しくは区長に諮りこれを処分すべし

高田村是【将来の部】  公会堂設立(原文)

公会堂設立
産業の発達は地理資本等の関係に因るものありといえども、原動力は則ち人為にしていわゆる地の理も人の和に如かざるなり。今や文明の進歩は人為を以て天工を凌ぐものあり。吾人相共に奮励努力せば豈に能はざるの事あらんや。益々奮って勤倹産を治め、村の富力を増進し国家に貢献する所なかるずべからず。
然れども人の勤労限りあるものにして、旦タ心身を労し之を慰安するの時なくんば敢て永続するものにあらず。故に産業に極力尽碎せしむると共に半面慰安を与えるの方法を設け、敢て労苦をいとわざるの策を講じ而して田園生活の爽快を感ぜしめ、自主独立の本義を味わんと欲せば田園生活に求めざるべからざることを覚らしむるは目下の急務とする所なり。之れ等の設備なきが為、青年の男女をして酒色に耽らしむるに至り。農村の経済萎縮して兼併(けんぺい)の弊を醸し、生活困難に陥り農村を厭い、都市の迷児と化し、田園の荒廃至る所益々甚だしきものあり。故にこれが施設として適当なるものは公会堂の建設なり。
而して之を村内一般諸集会に使用するは勿論各種娯楽機開を備へ、また低廉にして会食の便を与へ、
公合堂に至らば事の弁ぜだるものなく事辨冠婚葬祭等総て多数集合の場合にはかなり公会堂を利用せしめ、以てこれ等に要する器具等を共用するに至らば又以て経済上の利益を得且つ村民の協同心を養成する上に、於ても効果少なからざるべし。要之公會堂設立急務は他の産業発達策を講ずるの急務と相俟(あいまって)敢て軽重あることなく利用宜しきを得ば其の効果は実に枚挙に遑(いとま)あらざるなり。
以て、七ヵ年間に実行の一つとしてここに誌す(しるす)。

高田村是【結論(原文)


◎結 論1
沙翁(しゃおう シャークスピア)曰く、言う人は行う人にあらずと。実に然り、吾人(ごじん 我々)は將に不言実行の本分を尽くさざるべからず。
而して本編説く所のもの敢て自弁を好んで縷述(るじゅつ 詳しく述べること)するにあらず。事々物々数の上に問いこれが答えをもとめたるものにして之れ即ち本村の自然の声なり。これに付和雷同すべきは亦吾人の責務なり。然れどもこの声敢て吾人の一挙手一投足をことごとく号令するものにあらず。総ての村是を網羅し、木村最終の目的を定めたるものにあらずして緩急順序を酌量し七ケ年間に実行すべきたいけいを選定したるに過ぎず。万般の細事に至っては須らく各自の綿密なる注意に訴え、その双手に倚り両脚に俟たざるべからず。

◎結 論2
この周到なる注意に依って得るのものは之を整然表示する能わずと雖も塵積んで山をなすの諺の如く寧ろ前各項に計上せるものより層多大なる利益あるや必せり。要するに所謂不言実行に求めざるべからざるもの甚だ多し。
今村是実行上得る所の利益の数字に現われたるものを示さば
裸麦      貳千貳百圓拾參錢六厘
小麦      壹千八拾四圓七拾錢七厘  
蔬菜(そさい)  壹千七百五拾円
養蚕      四千貳百參拾圓五拾錢
鍛工      八百七拾參拾八錢
產業組合    九百八拾四円

にして計金壹萬貳千貳百貳拾貳円五拾貳錢参厘となる。然れども七ケ年後に於ける人口増加は現況部第一覧の一に記述せるが如く百八十八人を算するに至るべし。

◎結 論

この増殖人員に對する消費の要求は勿論、生活程度の昮進(こうしん)も亦甚だ少なからざるものあるべく加之時運(時のめぐりあわせ)の進展に伴う負担膨脹も亦益々多きを加うる必せり。これ等の増加を予測して詳細積算する時は如上増収にて之を支ゆる能はざるは瞭然たり。
故に予期以上の効果を収るにあらざれば現今の余裕は怱(おろそか)にして不足に変ずるや当然なり。於玆乎(ここにおいて)各自の注意警戒に俟(ま)つ所のもの最も多き所以にして吾人相共に時
勢の進運に鑑み拮据黽勉(きっきょびんべん 苦労しながら、くじけずに一生懸命つとめはげむこと)で人後に落ちざらんことを懸頭し、独立自営の道を実践する覚悟なかるべけんや。

高田村是【調査日誌摘録】 (原文)

◎調查日誌摘錄

明治四十二年十一月十日村会議員各区長を集め中村村長より村是調査の主旨要項を説き且つ調査順序方法を示したり。
中村村長は各大字部落に出張し 最寄村民を便宜の場所に集め、村是調査の趣旨方針を懇示し各戸調査に際し恙(つつが)なく応答の準備を為さしむるに努めたり。
明治四十二年十一月二十日より村役場吏員を主幹とし机上調査に着手せしめ、同十二月十日より各戸に就き現在調査に着手し、而して明治四十三年三月五日を以て完結を告げたるも、調査員に故障を生じたる為め当分中止したるに依り越て明治四十四年十一月十日調査の完結を告ぐるに至る。此間 井尻第二課長郡書記小野主任調査監督に出張せられしこと各二回なり。


明治四十二年十一月二十日 調查着手
明治四十四年十一月 十日 調查完結

         調查係長兼主任 村 長  中村四郎
         調查専務    収入役  首藤喜重
                 書 記  金丸淺喜
                 書 記  重藤鎮平