👉高田村志を読む<明治以降の歴史> 
「高田村志」は大正時代初期に書かれたものですが、高田村是は明治末期の記録です。「高田村志」以前の資料ということで「高田村志」にも引用されています。

👉高田村是(第1回)
この章は、村是が書かれた当時の大分郡高田村の地形と成り立ちの記録です。大野川とその支流に挟まれた平坦な土地柄や、当時の村の範囲、そして常に水害に見舞われていた様子が描かれています。また、高田の土地や気候・物産 村の現状と将来の展望についても述べられています。

現況の部(その1)

          総論

本村は大分郡の東部に位置し地勢平坦にして一つの丘陵なく、東は大野川の本流を隔てて北海部郡川添村に望み、西は大野川の支流を隔てて別保村に境し、南は松岡村に接し、北は鶴崎町に連なる。恰(あたか)も楕円形にして東西およそ十三町、南北およそ二十五町、全面積三百五十八町七反(たん)八畝(はっせ)二十一歩(ぶ)を有し、大字鶴瀬、丸亀、下徳丸、関園、常行、南の6つに分かれ、民家は各部落に集団し、農耕を以て生業となす。
大野川の本支流は本村に隣接する松岡村の一部すなわち大字大津留と本村とを包囲せるを以て洪水氾濫せば村内の家屋は挙(あ)げて浸水し農作物の損害尠(すくな)からざることあり。


十三町 : 約1.42km  (町は60間(けん)であり、メートル法では約109.09m)
二十五町: 約2.73km
全面積三百五十八町七反八畝二十一歩:約 355.8 ha  約 3.56㎢

挙げて:「残らず」「ことごとく」「すべて」


現在文に  (高田の地勢、位置・地区)

本村(明治村)は大分郡の東部に位置しており、地形は平坦で丘ひとつありません。 東は大野川の本流を挟んで北海部郡川添村を望み、西は大野川の支流(乙津川)を隔てて別保村と境を接しています。また、南は松岡村に隣接し、北は鶴崎町へと連なっています。

村の形はあたかも楕円形のようで、東西は約1.4km(13町)、南北は約2.7km(25町)あります。総面積は約356ヘクタール(358町7反余り)におよび、村内は鶴瀬、丸亀、下徳丸、関園、常行、南の6つの大字(地区)に分かれています。民家はそれぞれの集落に集まっており、人々は農業をなりわいとして暮らしています。

大野川の本流と支流は、本村と隣接する松岡村の一部(大字大津留)を包囲するように流れています。そのため、ひとたび洪水が起きれば村内の家屋はすべて浸水し、農作物の被害も決して少なくありません。

参考 村と大字の変遷

・地域(6つの大字)

この時代の変遷を高田の歴史の中の高田村と高田村長について書いた一文をここにあげておきます。

高田村は江戸時代から長く続いていた印象があります。しかし、実際は明治22年から昭和29年の65年間です。それまでは、亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸村・南村・常行村・関門村・堂園村の9村にわかれていました。そして明治8年には今の自治会に近い6村に合併します。1887年(明治21年)市制町村制が1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、高田の6村丸亀村鶴瀬村、下徳丸村・南村・常行村 関園村が合併し、大分郡高田村になります

そのため、この村是が書かれた当時、明治22年以降のため、それぞれが村ではなく大字の6つの地域名になっており、全体で高田村となっていました。

1・鶴瀬 2・丸亀 3・下徳丸 4・関園  5・常行  6・南


現況の部(その2)

         
            総論

然れども古来治水事業稍完きを以て耕地して荒燕に帰せしむることは比較的甚だ少し地味は全村沖積土より成りて肥沃なり。

気候は極暑にありては摂氏(せっし)三十四、五度、極寒に至りては零下3、4度位なり。
道路は里道縦横に貫通し車馬を通し得へきを以て不便を感ずることなし。

 物産中価麥額の第一位を占むるものは裸麦 〇〇不明 伯仲の間に居りこれに亜く(つぐ)ものは牛蒡、小麦、陸米、大豆、大根、青芋(さといも)、粟、甘藷(かんしょ サツマイモ)、茄子(なす)のじゅんいにして工産品は鍛工類と清酒の外みるべきものなし。

 人情は一般礼節を重んじ質素勤勉の美風梛内他町村に遜色なきがごとし。

 

  稍完き:  完全までとは言えないけれど

  梛  : 「〜の中(うち)」という意味



現代文に (高田の土地⊡気候・物産)

しかしながら、古来より治水事業がほぼ完璧に行われてきたため、せっかく耕作した土地が荒れ地に戻ってしまうようなことは比較的ほとんどありません。土質は村全体が沖積土(川の流れによって堆積した土砂)で構成されており、非常に肥沃です。

気候については、もっとも暑い時期で摂氏34、5度、もっとも寒い時期には零下3、4度くらいになります。

道路は里道(村道)が縦横に貫通しており、荷車や馬が通ることができるため、不便を感じることはありません。

物産の中で、価格や収穫量において第一位を占めるものは「裸麦(はだかむぎ)」であり、〇〇(不明の部分)、と勢いを二分しています。これに次ぐものは、ゴボウ、小麦、陸稲、大豆、大根、里芋、粟、サツマイモ、ナスの順となっています。工業製品については、鍛冶職人による金物類と清酒のほかには、特筆すべきものはありません。

人情(気風)については、一般的に礼儀を重んじ、飾り気がなく勤勉であるという美徳があり、郡内の他の町村と比較しても引けを取らないようです。


現況の部(その3)

          総論

(一部上の続き)
神社は郷社若宮八幡社(大字南鵜鶴鎮座)及び無格社常行社(大字常行字非樋の口鎮座)天満社(大字丸亀字中鶴鎮座)の二社あり。
寺院は曹洞宗能仁寺、林山州興聖寺、補陀寺、日蓮宗常仙寺、一乗寺の五ケ寺あり。
敬神の念深く仏教の感化また偉大なり。
 本村が農業主体の土地たることは争うべからざる実況なりと雖も、耕地として水田なくまた、農業の父母とも言うべき林野なきは普通農村と大いに趣を異にする所にして将来の企画もとより意を用ゆべき点なりとす。
 以上は本村現在の概況にして今、これを戸口、土地、耕作、貸借、貯蓄、財産、負摣(ふさ 負債)、生産、消費、の各部に区別し以て村の実力を査定し、過不足の因て生ずる所を察し、将来計画の資に供す。

言葉の意味
実況: 実際のありさま。偽りのない現状

資に供す(しにきょうす)」とは、一言で言うと「(何かの)役に立てる」
将来計画の資に供す
この部分は、主に「現在行っている調査や分析の結果を、未来の計画を立てるための判断材料やデータとして役立てる」ということです。

現在文に  (村の現状と将来の展望)

1. 信仰と文化

村内には、郷社の若宮八幡社(大字南鵜鶴)をはじめ、常行社(大字常行)、天満社(大字丸亀)の3つの神社があります。 また、寺院については曹洞宗の能仁寺・興聖寺・補陀寺、日蓮宗の常仙寺・一乗寺の計5か寺が存在します。 住民の信仰心は厚く、神仏の教えが深く浸透している地域といえます。

2. 農業と土地の特殊性

本村が農業主体の村であることは疑いようのない事実です。しかし、一般的な農村とは大きく異なる点があります。 それは、「水田がほとんどないこと」、そして農業の基盤となるべき「林野(山林)を持たないこと」です。この特殊な土地条件は、今後の村の振興計画を立てる上で、最も留意すべき課題です。

3. 今後の調査と計画

以上の概況を踏まえ、現在は以下の項目について詳細な調査を進めています。

  • 人口・世帯数(戸口)
  • 土地利用・耕作状況
  • 貸借・貯蓄・負債などの財務状況
  • 資産・生産性・消費傾向

これらのデータから村の「実力」を客観的に評価し、何が不足しているのか、その原因はどこにあるのかを分析します。その結果を、将来の村づくりを支える貴重な資料として活用していく方針です。