※<2025年の3月23日>に取材したものですが、他の取材に追われアップするタイミングを失していました。あれから1年が過ぎ、また3月が来ました。
この機会に森町若宮八幡宮の絵巻物をアップしたいと思います。(なお、絵巻物だけではなく仏像等もあったのですが絵巻に集中してしまいました)
あれから一年がたち、説明もできないため絵巻物だけでもご覧ください。なお、これほどのものが別保の若宮八幡宮に残っていたことに驚かされました。
「ご開帳神事」
大分市森町に鎮座する若宮八幡宮では、33年に一度の式年大祭の中間(17年目)にあたる年に、慣例によりご神像や仏像(千手観音像)を同時に公開する「ご開帳神事」が執り行われます。 そしてその年が2025年でした。
説明によると、江戸時代の豊薩の戦火までは境内に神宮寺があり、神宮寺の本尊は千手観音とされておりましたが、現在は大分市千歳の東海庵にてお祀りされており、この度のご開帳神事にあわせ、一時おかえりになります。神仏習合が色濃く残るご開帳神事ですが、式年大祭に限り受け継がれております。
(私の興味で仏像よりも絵巻物のみになって申し訳ありません。)






森町の若宮八幡宮では17年に一度という絵巻物の御開帳が午後1時から3時まで開催されました。いつもは見ることのできない御開帳ということで、高田の春季例大祭とが重なっていたため、高田の神事が終わり次第出かけてみました。森町八幡宮は乙津川を挟み高田若宮八幡社御旅所の対面にあります。森町の若宮八幡宮の春季例大祭は神楽のみだったようですが、秋季例大祭は大人神輿や大人山車が何基も出て大規模で華やかなものだそうです。
神社では宮総代の方が受付をされており、神社の拝殿には絵巻物がテーブルに展示されていました。受付の方に写真撮影の確認を取るとOKということで急いで絵巻物の写真を撮らせていただきました。慌てて撮ったためうまく撮れておらず後で後悔しています。
森町若宮八幡宮

◆祭神:大鷦鷯尊・菅原道真公
◆配神:天忍穂命・大物主命
◆由緒
大鷦鷯尊は建久七年(1197)豊後の守護職大友能直公が府内下向のみぎり鎌倉鶴ヶ丘八幡宮より御分霊を奉じて当時の鎮座地横尾字岩舟に御奉斎申し上げた神である。
配祀の天忍穂命は天照大神の御子神で明治四年横尾字小森から合祀されたものである。大物主命は大国主命の別名で大正二年大字森町から合祀されたものである。
菅原道真公は明治十七年大字横尾江又から合祀されたものである。以上の神々が明治四十年森天神社(御祭神は菅原道真公)と合併になる以前の若宮八幡宮の御祭神である。
御社殿については昭和四十年六月乙津川改修工事により若宮八幡宮は移転を余儀なくされ、時を同じくして森天神社も御社殿が老朽化し改築が望まれていたので首尾よく合併の話がまとまり、ここに両社合祀となり森天神の境内に若宮八幡宮の御社殿を移築したものである。
この御社殿は天正の戦乱時に兵火に逢って全焼し御神体は一時桃園千歳の地に御遷宮となり、寛文年間氏子の手により御社殿竣工するに及んで本宮に御遷幸となり、その後臼杵藩稲場公の庇護を蒙り修理を重ね今日に至っている。従ってこの御社殿は約三二〇年を経過している。尚旧社格は郷社である。
由緒を少し簡易にしてみたいと思います。
<由緒>
当社八幡宮は相模の国(神奈川県)の鎌倉鶴岡八幡宮の御分霊を祀ったものと言われ、建久年間(1190年~1198年)に国主の大友能直によって創建され、初めは大分市大字横尾字岩船にあって岩船八幡宮として鎮座していました。しかし昭和40年に乙津川改修工事により移転を余儀なくされ、森天神(現在の地にあった)も老朽化により八幡宮との合併の話がまとまり森天神の境内(現在の地)に若宮八幡宮の御社殿を移築しました。 森天神社は、天文11年(1542)6月創建されました。天正14年(1586)大友、島津の戦乱(豊薩戦争)の兵火で焼失(高田の神社、お寺の大半も焼失しています)、その後村民によって寛永5年(1628)再興された社でした。
森町若宮八幡宮の春季例大祭の様子



時代絵巻物の御開帳会場



絵巻<写真クリックで拡大>






絵巻一連
























