これは少し時間がかかるため、修正、追加をしながら遂次アップしています。               

鶴﨑地区の歴史年表

鶴﨑地区の歴史を年表と共に振り返ってみましょう。この地区は多くの藩に分かれ独自の歴史を歩んできました。しかし、また互いに交流をしながら歩んできました。その様子を歴史年表の中で感じてください。
[追加項目があれば逐次追加していきたいと思います]

なお、縄文時代、弥生時代、古墳時代は省略しています。
※洪水に関しては多いため、主な洪水のみをアップします。 

「鶴崎地方歴史年表」,「高田村志」その他郷土史を参考
ふるさと松岡・三佐の歴史年表

平安時代以前(794年以前)

時    代地区出    来    事
591年川添 日羅が九六位山に圓通寺を建てる
645年大化の改新
710年平城京に都が移される 奈良時代の始まり
713年風土記の編集を始める。現存しいる風土記風土記(常陸国・出雲国・播磨国・肥前国・豊後国)                      
752年奈良の大仏
755年高田高田最古のお寺の補陀寺が天台僧[壇叟]により開かれる
798年、天台僧同運によって開かれたという説もある。

平安時代(794~1192)

時 代地区         出        来        事
 794年  平安京に都が移される
821年明治猪野に八坂神社がたてられる
859年明治小池原に八坂神社がたてられる
974年鶴崎国宗の天満社をたてる
1016年藤原道長摂政になる
1172年明治二目川に水分社(みくまりしゃ)を建てる
1185年平家滅亡(壇ノ浦の戦い)
1190年1198年明治溝口左衛門尉永繁(ながしげ)が高田の荘を領し、猪野に居住する。                                                  
           
1190年~1199年高田高田若宮八幡社創建
1192年源頼朝が征夷大将軍になる(鎌倉に幕府を開く)

鎌倉時代[1192~1333(1336)本格的な武家政権による統治が開始した時代である。

年 代                                                       地区                  出    来    事                                                                                  
1192年             鎌倉幕府が成立                                                                                             
1196年大友能直 おおともよしなお】豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行となる。 1593年大友 義統(おおともよしむね)まで大                                                   友氏が400年続く。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
横尾の若宮八幡社、秋葉社(鶴崎) 永安寺(乙津) 長興寺等多くの社寺を建てる
1196年高田             紀新太夫行平】能直に扈従(こしょう)として豊後に入る                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
 〃松岡御手洗神社が建てられる
 〃松岡平通俊が大友氏入国の際の軍功により海部郡毛井を与えられ毛井氏と称する
1208年高田  紀行平が後鳥羽上皇のご番鍛冶となる                                         
1222年高田紀行平が亡くなる
1236年松岡平林頼宗が承久の乱の功績により毛井の地頭職となる
1240年三佐海潮寺をたてる
1268年松岡平林親継が毛井の地頭頭になる
1274年【3代目大友頼泰】豊後国に下向(これより本拠を豊後に置くようになる)
 〃文永の役
1281年弘安の役
1285年全体【豊後図田帳】大友頼泰の鎌倉幕府へ豊後国の調査をし上書した。その中に初めて高田の荘という文字が使われる
1308年松岡長興寺がたてられる。
1321年鶴崎国宗の東厳寺がたてられる
1333年鎌倉幕府滅亡 後醍醐天皇建武の新政
1335年高田「豊後州高田住友行」の銘刀は初代藤原友行の作である
1336年南北朝時代が始まる
1336年松岡毛井の地頭職平林頼澄が足利尊氏の命を受けて玖珠城を攻める
1338年足利尊氏が室町幕府を開く

室町時代(~1573)   戦国時代( ~1602年)

1333年鎌倉幕府を倒し、1338年足利尊氏が征夷大将軍になる。室町時代の開始年次は1333年、1336年、338年と諸説あり。
室町時代の応仁の乱(1467)から日本が統一されるまでの乱れた時代を戦国時代と言い、室町幕府が倒れ、織田信長、豊臣秀吉の時代を安土桃山時代という。

年 代地区  出   来   事
1338年足利尊氏が幕府を成立                                            
1358年鶴崎龍興寺をたてる
1382年鶴崎家島の天満社をたてる
1387年高田興聖寺が曲の手(かねのて)に建てられる数度の焼失の後、現下徳丸に再建される 
1405年明治横尾の天神社をたてる
森町に専想寺
1455年明治横尾の法雲寺をたてる
1467年~1468年応仁の乱
1485年松岡浄雲寺真宗となる
1486年松岡平林四郎が大友政親から高田の荘成松名の内の知行を許される 松岡の一大地主
1500年高田徳丸惟貞が大友親治から高田の荘徳丸名扇の内の知行を許される。
 〃三佐野坂神社創建
1527年国宗の神護寺をたてる
1532年明治二目川百手まつりを始める
1543年ポルトガル船が種子島に漂着。鉄砲が伝わる
1550年大友二階崩れの変が起こり、大友義鎮(宗麟)が大友家の家督を継ぐ。
1551年フランシスコ・ザビエルが府内を訪れ、義鎮がキリスト教の布教を許可する。
1553年このころよりキリシタンの伝道が始まる                                                                                         
1560年鶴崎戸次鑑連が大友宗麟をいさめるため、京都から踊り子を招いたのが鶴崎踊りの起源である                              
1571年別保大友宗麟が𠮷岡宗観に命じて永安寺を建てさせる
1573年室町幕府が滅びる(いくつかの説がある)
1573年~1591年鶴崎下鶴崎の春日社(姫の宮)をたてる
1576年織田信長が安土城をたてる
1577年全体間別調(まべつちょう 現在の国勢調査の類)がおこなわれ、その中に門前、別保、成松、徳丸、猪野、三ツ川、種具等の名前が出ている。
1578年大友軍、日向国高城にて島津軍と戦い大敗する。(耳川の戦い)
1580年松岡高田のキリスト教伝導所ができ、松岡にもキリスト教が広まる
1582年本能寺の変
1582年大友宗麟 4人の少年使節をローマーにつかわす
 〃三佐柴山両賀がたびたび戦功をたてる (1600年まで)
1585年全体高田の荘の洗礼1300名とあり、キリシタンが増える
1586年~1587年全体豊薩合戦 豊後と薩摩のあいだで戦争が行われる 鶴﨑地区の多くの神社、寺が焼かれる。
1587年鶴崎寺司浜の戦がある
1587年鶴崎願念が光福寺を立てる
1586年~1614年高田高田鍛冶統行は藤原姓、仲摩新五郎という。
1590年豊臣秀吉全国を統一
1592年高田高田の衆が多数、大友義統に従って鶴崎より舟に乗り朝鮮に渡る
1593年松岡池ノ上、成松、松岡、真萱が早川長敏の領地となる
松岡毛井、大津留は福原直高の領地となる
1594年全体(参考)家島・森町・小池原・猪野・葛城の大部分、大津留・毛井・広内・宮河内が臼杵領になる。
1596年大地震が起きる(瓜生島が沈む)
 〃松岡天満社が建立される
1597年松岡毛井、大津留が太田一吉の領地となる
1598年三佐海潮寺を三佐薬師堂にたてる
1600年関ケ原の戦い
1600年松岡毛井、大津留 稲葉臼杵領となる

江戸時代(1603~1867)265年間

1603年徳川家康が征夷大将軍になる。

年 代地区出   来   事
1601年                 ~1632年               全体            6月 旧鶴崎、高田、種具、迫が肥後領となる                                                                                              
    加藤氏後細川氏となる                                                                                                                                                        
1601年~1611年鶴高加藤清正が多くの土木工事をする                                                      
(堀川を開く 裏川の埋め立て、大野川の石垣など)                                                                                            
1603年徳川家康が江戸に幕府を開く
1603年全体大地震が発生する              
1603年~1607年全体加藤清正が領内の検地をする
1604年        明治渡辺宗覚、家康より葛城村を賜る
1605年全体7月10日~20日 大洪水がある
1606年全体8月21日大洪水がある
1608年松岡毛井が龍泉寺が建立される
1610年高田高田に1600人のキリシタンがふえる
1611年全体6月24日 加藤清正病没(53歳) 
加藤忠広が跡を継ぐ
1614年全体キリシタンの大追放が行われる。
1614年三佐柴山重成が亡くなる(44歳)
1615年豊臣氏が滅ぶ
1615年~1623年鶴崎小中島の天満社をたてる
 〃三佐釘宮風塵が海原に塩田をつくる
1618年鶴崎加藤忠広が鶴崎街の地割をする。
1623年鶴崎乙津が幕府領となる
 〃徳川家光が将軍となる
 〃三佐三佐、海原が岡領(竹田 中川氏)となる
1625年高田9月大洪水がある
【若宮八幡社】 亀甲にあった社殿が洪水により流出
1626年三佐岡藩が三佐に御茶屋と船着場を造る。
1629年高田【若宮八幡社】加藤忠弘(熊本藩2代目藩主)が現在の鵜の瀬に社を再建する。
1632年鶴高熊本藩主加藤忠広が改易される
1632年鶴崎細川氏の乗船「波菜之丸 なみなしまる」が新造される 千石船 長さ33m幅8m
1632年鶴高豊前小倉藩主細川忠利が肥後熊本藩52万石に転封される之より高田は細川領になる  
1632年鶴高細川忠利が領内の検地をする
1633年鶴崎寺司の大音寺をたてる
1634年鶴崎舟入場ができる
松岡池ノ上 成松、真萱、松岡が松平忠昭領となる
1658年松岡池ノ上 成松、真萱、松岡が幕府領となる
1660年松岡毛井、松岡の境争いが盛んになる
1635年鶴崎福正寺をたてる
1637~1638年明治【島原の乱】細川領の鶴崎地区も参加する。
1637年葛城のキリシタン5名が処刑される
1638年葛城のキリシタン14名が処刑される
1644年高田常行の常仙寺 刀鍛冶藤原行長の寄進をもとに日秦により建てられる
1646年鶴崎国宗の剣八幡宮を立てる
1647年全般中島・門前・家島・葛城の一部 成松・池ノ上が延岡領になる
1655年三佐野上筑後が家島の庄屋になる
1658年全般大洪水発生 亀甲村は非常な災害を受ける
1659年高田常行神社常行枯木天神が創建される
1660年鶴崎鶴崎で大火がある
 〃明治横尾に法雲寺を再建する
1660年三佐熊沢藩山が中川公に招かれ三佐港に着き竹田に行く
1661年三佐円龍寺を円光寺に改称する
1662年高田一乗寺 法心寺の日達により建てられる
1664年高田能仁寺 細川綱利により建てられる
1665年高田雲歩が能仁寺の住職となる
1666年松岡池ノ上、成松が幕府領となる
1668年全般鶴崎地方の多くのキリシタンがとらえられる
1661~1672年キリシタンに対する取り締まりが最も厳しかった時代である。
1669年高田刀工藤原行長が死ぬ。常行の常仙寺は1644年この行長の喜捨によって出来たお寺で同寺には行長の木像や位牌がある。                      
1682年松岡池ノ上、成松が日田藩領となる
1686年松岡池ノ上、成松が幕府領となる
1691年三佐三佐海原の治水工事をする
1693年三佐三佐のお茶が火災となる
1705年三佐三佐の大火(218件が焼ける)
1707年大風雨・洪水あり。(高田風土記の亀甲村の条に「どて切れ70間(約127m)程にて流家13件、倒家96~97間ありし」と)なおその後も洪水に対する表記は多数あるが割愛する。                                                      
1711年三佐三佐で大火がある
1712年松岡池ノ上、成松が牧野延岡藩領となる
1723年三佐中川久忠等が三佐沖で暴風にあう。
1729年鶴崎海上安全のために鶴崎に住吉社をたてる
1730年鶴崎鶴崎で大火がある
1732年全般享保の大飢饉がある。
1742年松岡国学者 増穂残口がなくなる(86歳)
1747年松岡池ノ上、成松が内藤延岡藩領となる
1751年高田興聖寺数度の移転の後現下徳丸に移転される
1751年鶴崎鶴崎で大火がある
1756年三佐三佐で舟火事がある 船26そう 舟倉庫 人家
1758年首藤治郎兵衛 岩丸家の長男として生まれる
1759年鶴崎細川重賢が徳島と志村の間(現在の鶴崎橋とJRの鉄橋の間)に堰をもうける                                      
1761年明治紀行平の540年忌にあたり、明治二目川に供養塔が建てられる。(現在地 横尾字二目川鍛冶屋 現在は変わっているかもしれません)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
1763年鶴崎儒学者 秋山玉山がなくなる(62歳)
1764年~1780年三佐刀鍛冶 藤原冬貫が三佐に居住する
1769年鶴崎三浦梅園が鶴崎に来る
1783年松岡笹尾溜池ができる
1789年松岡大野川通船が盛んに利用され、主に船本地区の人が担う
 〃井の元溜池ができる
1797年高田毛利空桑 大分郡常行村に生まれる
1798年高田紀行平  刀工行平の墓が関門仲間に建てられる
 〃松岡大谷溜池ができる
1799年全般豊後国志の編集員がくる
 〃松岡真萱、松岡が島原藩預かり地となる
1803年豊後国志が完成する
1810年全般伊能忠敬 第二次の鶴崎地方を測量をする
1811年別明臼杵で一揆があり、森町、横尾、毛井等の庄屋や役所が破壊される
1813年(1814年)全般高田風土記 高田手永の地誌が編纂される
1814年鶴崎儒学者 沖蘭室が亡くなる(51歳)
1817年鶴崎鶴崎で大火がある
1820年高田岡松甕谷 丸亀(上徳丸)に生まれる
1822年三佐三佐で踏み絵が行われる
1824年鶴崎画家 手島君山が死ぬ
1626年三佐3月三佐の御茶屋ができる
1824年高田毛利空桑が私塾を常行に開く
1830年~別保この頃、別保地区では染物業が盛んであった
1834年鶴高毛利空桑藩命により鶴崎に移転する。
1835年鶴崎細川氏の波奈之丸が焼ける
1837年高田富豪首藤次郎兵衛がなくなる(79歳)治郎兵衛は高田の常行の人 長八、義道ともいう。熊本、臼杵、府内、杵築、延岡の各藩に御用達をなし、献金をなす                                                                                                                                                                                          
1838年乙津後藤守只が亡くなる(67歳)乙津の豪商で後藤碩田の父です
1840年鶴崎1835年に焼失した波菜之丸を新造する。
1841年高田岡松作右衛門高田手水の惣庄屋岡松作右衛門が亡くなる(68歳)
1849年高田高田鍛冶勝衡が死ぬ
1850年高田岡松真澄高田手水の代官惣庄屋岡真澄が亡くなる(68歳)
1853年鶴崎鶴崎で大火 町家の過半数が焼ける
三佐後藤其道(通称 清八)が亡くなる
1859年全般コレラが流行する
1860年鶴崎毛利空桑が御茶屋跡に私塾<成美館>を開く
1862年全般大洪水がある
1864年全般長州征伐に多数が参加する。
1867年熊本真萱、松岡が熊本藩預かり地となる
1867年【徳川慶喜】大政奉還をする

明治時代・大正時代

年号地区出   来   事
1868年明治元年江戸を東京と改め、都を移す。
1869年明治2年毛利空桑等が有終館を設立
1870年明治3年有終館解散する
1871年明治4年廃藩置県により 大分県になる 各藩は次のようになる(熊本県、岡県、延岡県、臼杵県、日田県)
 〃鶴崎地区は大分県に。
 〃松岡廃藩置県により、
真萱村、松岡村<日田県>・池ノ上村、成松村<延岡県>  大鶴村、毛井村<臼杵県>
大分県が成立後、松岡は大分県に属す
 〃三佐7月 廃藩置県により家島は臼杵県  三佐・海原は岡県になる。 11月に大分県になる

1872年
明治5年学制が公布される
 〃成美館をあらためて町立の鶴崎学校とする
 〃大分県支庁(鶴崎出張所)を鶴崎に置く
 〃大分県支所をやめ、大区制をとる
1873年明治6年大区制をやめ、小区制をとる
 〃明倫堂を明倫学校として開校 高田小学校の始まり
 〃毛利莫が大分県師学校長となる
 〃鶴崎に蚕業試験場を設置する
1874年明治7年川添小学校は金谷小学校として創立する。
 〃三佐小学校が中川藩御茶屋跡にできる。
1875年明治8年(明治8年)町村の合併が行われる。丸亀村(亀甲村・上徳丸村) 鶴瀬村(大鶴村・鵜猟河瀬村)
 〃(明治8年)町村の合併が行われる。鶴崎町、国宗村、寺司村、鶴崎村が合併して鶴崎町になる。
 〃松岡池ノ上村、成松村、真萱村、松岡村が合併して松岡村となる
3月大小区域の改正 松岡村、大津留村、毛井村は第三大区大12小区に属する
 〃鶴崎警察署の前身、第3屯所を置く
 〃別保小学校は皆春小学校、森町小学校と別々に創立する。
 〃明治小学校は猪野小学校、横尾小学校と別々に創立する。
 〃松岡小学校が創立する。(菰田の民家で)
1875年 〃第三大区(大分郡) (第11小区)  関園村・常行村・南村・下徳丸村・丸亀村・鶴瀬村となる。)
1876年明治9年明倫学校後の明治学校を高田小学校と改称
1877年明治10年
西南戦争で西郷軍が鶴崎を襲撃する。官軍の輜重部を本村高田に置き、糧食を常行の首藤百門より調達
 〃松岡小学校の分校が毛井にできる
 〃家島で大火が発生
1878年明治11年大小区制をやめ、郡町村を編成する。
1879年明治12年コレラが流行する
 〃高田高田小学校は校地を下徳丸字屋敷に移して2階建4教室を建てる
1882年明治15年鶴崎後藤碩田が死ぬ(73歳)
1884年明治17年鶴崎毛利空桑没す88歳
 〃鶴崎小中島が鶴崎町に合併する。
 〃鶴崎亀立(鶴崎市役所の東)に芭蕉の句碑をたてる
1885年明治18年三佐山村富太郎が県下で初の紅綬褒章を受ける
1886年明治19年松岡御手洗神社の境内に松尾芭蕉の碑を建てる
1887年高田高田尋常小学校に改称する
1888年高田駐在所が下徳丸に開設される
1889年明治22年高田町村制施行 高田村になる 
高田5月15日興聖寺で初めての高田村議員集会 議員定数12名
 1889年明治23年高田第一回村会
明治猪野村、横尾村、小池原村、葛城村を合併し、明治村となる
1889年 〃松岡松岡村・毛井村・大津留村の三村が合併し、松岡村になる。
1890年 〃松岡薬師堂(菰田)に芭蕉の句碑をたてる
1851年~1891年松岡安藤石友が句碑を建て、俳誌を発行する。
1891年明治24年別保五厘社をたてる
1892年明治25年高田高田村役場が下徳丸に建てられる
 〃松岡俳人安藤石友が死ぬ(68歳)
明治25年別保別保小学校が現在に位置にでき、二つの小学校を統合する。
明治25年川添広内分教場ができる
1893年明治26年
10月14日
高田明治26年高田大水害がおきる。 後に水難横死生徒(8名)の碑が建立される高田村では溺死84名、流出家屋93、牛馬の死するもの14頭 
明治26年成松二又溜池ができる
大分銀行が開業する
1894年日清戦争がおきる高田村から31名が出征
1895年明治28年高田岡松甕谷亡くなる(76歳)
1896年明治29年明治
別保
明治 大分水路の工事を始める
1897年明治30年大分区裁判所鶴崎出張所ができる(管轄は鶴崎、三佐、桃園、別保、明治)
 1897年明治30年高田高田村の人口は2825人です。
 〃三佐三佐漁業組合設立
1900年明治33年1896年に着工した明治・大分水路ができる
1901年明治34年高田岡松参太郎が法学博士となる
1904~1905
日露戦争がおきる高田村から81名出征
1901年明治34年7月31日高田小学校では校地を拡張し、木造二階建六教室を新築
 〃三佐三佐小学校西校舎2階建をたてる
その間、興聖寺で授業をする
1902年明治35年松岡小学校が現在の位置に移設し、校舎を新築する
 1903年明治36年小学校創立30周年記念式を行う。 (10月13日)
1906年明治39年法心寺の本堂が竣工する
佐賀関で精錬所が創業する。(のちの佐賀関精錬所
1907年明治40年筒井百平が富士山頂で我が国初の寒中気象観測をする
 〃若宮八幡社拝殿新築落成のため、開帳祭が執り行われる
 〃画家河合琶江が亡くなる(86歳)
1908年明治41年相馬城陽が亡くなる(63歳)
  〃松岡菰田成松の間の耕地整理が完成する
明治41年12月31日 松岡村の戸数600戸 人口3,145人
1908年小学校義務教育が6年に延長される
明治猪野小学校、横尾小学校が合併し、明治村立尋常小学校を設立する。
1909年明治42年高田12月 高田村の戸数437戸 人口は2553人
  〃高田小学校増築落成式を行う。
松岡県道弓立線開通(旧道)
1910年明治43年高 全高田尋常小学校が高等科を置き、高田尋常高等小学校に改称 (他校も同様)
 〃荒木燕之の碑を皆春神社の傍に移す
 〃三佐家島からの通学児童12名 渡し舟の転覆で溺死する
1911年明治44年松岡松岡警察官駐在所が松岡門前蔵園に設置する
1912年大正元年高田8月6日高田に初めて電灯がつく その記念碑が若宮八幡社境内にある
 〃明治45年三佐三佐小学校南校舎木造平屋建て4教室新築する。
1913年大正2年高全高田農業補習学校を小学校に併設する。(他校も同様)
1914年大正3年大分・坂ノ市間にバスの運行が始まる
大正3年鶴崎鶴崎町役場の庁舎ができる
大正3年4月1日全体鶴崎駅が開業する (日豊本線 大分,神崎間開通) 高城、鶴崎、坂ノ市駅が開業
大正3年第一次世界大戦(日独戦) 高田村より7人出征
 〃三佐三佐の耕地整理ができる
 〃松岡大久保溜池ができる
松岡松岡に初めて電灯がつく
1916年大正5年鶴崎耕地整理組合の揚水工事を始める。
 1917年大正6年高田役場新築落成式  前の役場は駐在所として利用
1919年大正8年河村幹雄が理学博士になる。
1920年大正9年高田[高田村志]発行  久夛良木儀一郎 中村寿徳 小手川又吉
第一回国勢調査を実施
 1921年大正10年県道編入の許可が下りる
1920年大正9年6月高田実業銀行設立 (資本金50萬円) 初代頭取 首藤親人 二代目 首藤宝吉 三代目 首藤勝美
大正11年先哲祭が始まる>岡松、毛利先生の追悼式
鶴瀬より鶴崎町に至る新道が開通
1923年大正12年関東大震災が起きる。
 〃日豊本線が全通する。
1924年大正13年9月旧高田橋開通
1925年大正14年高川12月10日金谷渡しが県費による公用渡しとなる
1925年大正14年昭和元年昭和元年 小学校が現在の位置に移転
移転時の授業
1年、高等2年    興聖寺
高等一年・三年    役場
4年、5年       平林利一氏方
2年、6年       常仙寺


 1926年大正15年 昭和元年
 12月26日崩御
11月3日(明治節) 新校舎の落成式
1926年大正15年3月松岡で耕地整理の記念碑を建てる

昭和時代

昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号である。世界恐慌から満州事変へと戦争の道を進む。昭和の前半は暗い時代である。しかし、戦後の昭和は第二次世界大戦での敗戦からの過酷な戦後復興を迎える。高度成長時代、東京オリンピック、そして、オイルショック。
昭和は、第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることができるようだ。
そして、鶴﨑地区もその歴史の中で生きていく。

西暦和暦地区出   来   事
  〃 〃別保青年訓練所を 別保小学校に設置する。 <他校も同じ>
  〃 〃鶴崎警察署と改称する
  〃  〃この頃、御真影奉安殿を各学校で建設する
 1927年 昭和2年別保別保小学校新築校舎(2階建8教室)ができる
1928年昭和3年高田「財団法人奨順社」設立 
 :昭和井路組合に加入
1929年昭和4年高田【先哲祭】 毛利、岡松、行平の先哲祭をする 2月22日
  〃1945年(昭和20年)2月22日まで毎年行われた
1929年  〃全般大野川の改修工事が始まる(現在も継続中)大野川幹川(戸次~海  右岸19.35km) (竹中~海 左岸18.2km)
乙津川(松岡~海 左右岸9.14km)
  〃  〃松岡松岡郵便取扱所を開設する
 1930年昭和5年明治明治小学校に吉野桜50本を植える
  〃  〃松岡松岡郵便取扱所が松岡郵便局となる
1931年昭和6年8月30日高田高田小学校の2棟が焼失する。
5年生以上は堂園の平林利一さん方の養蚕室を借りて授業
  〃高田県道下徳丸より上徳丸に至る新道開通
1932年昭和7年全般大分県立鶴崎工業学校を設置する。
1932年高田4月28日 前年焼失した高田小学校が新築される
  1933年昭和8年高田高田橋より駐在所前までの県道拡張工事が実施される。
 1934年昭和9年室戸台風がくる
 1935年昭和10年鶴崎橋ができる(長さ311m 幅5.5m コンクリート橋)
  〃 〃鶴崎小学校の講堂ができる
 1936年昭和11年明治明治小学校平屋建て4教室を移転改築して講堂とする
三佐三佐小学校北校舎木造二階建て10教室を新築
  〃 〃高田村少年消防隊が結成される(他校も同じ)
  〃 〃松岡松岡郵便局が松岡字蔵園に新築移転する
トキハデパートが開店する
1937年昭和12年鶴崎7月、(日本染料製造株式会社 日染)現住友化学KK 鶴崎工場が設置される
  〃 〃日華事変始まる
  〃 〃松岡松岡公会堂が竣工する
 1938年昭和13年鶴崎住友化学専用引き込み線が鶴崎駅からできる
1939年昭和14年鶴崎(日染)現住友化学大分製造所が操業開始する
  〃 〃桃園鶴崎桃園村が鶴崎町に合併する
  〃 〃 別保別保小学校の学校林ができる
 1940年昭和15年松岡松岡小学校皇紀2600年を記念して学校林をつくる
1941年昭和16年太平洋戦争が始まる
1941年全体小学校名を村立国民学校と改称する (他校も同じ)
  〃 大分町村組合立東部青年学校ができる
1942年昭和17年全般昭和井路工事が始まる
  〃 〃全体布靴の配給券が配られるようになる
豊州新報社と大分新聞社が合併して大分合同新聞社となる。
 1943年昭和18年三佐三佐村が鶴崎町に合併する 4月
町立三佐小学校になる
鶴崎町立北中学校を設立
  〃  〃全体竹やり訓練が始まる
1943年昭和18年9月18日昭和18年の大水害が起きる  鶴瀬の堤防が破壊、高田橋が流失

降水量 604.5ミリ  最高水位 7m584
流出家屋 17戸   溺死者 14名

流失家屋
     鬼子母神堂、鶴林一男、金丸喜十郎、金丸次雄、馬場 磨
     宇藤高市、野田七五三吉、丸崎一三、松林悦治、佐藤照彦
     野田芳雄、工藤久江、一乗寺、佐藤益三、東 武
     村谷サカエ、村谷又四郎  (計17戸)

溺死者  金丸喜十郎他4名(男児2名 女児2名)
     村谷サカエ他2名(女児2名)
     村谷又四郎
     馬場シナ
     馬場春男
     工藤久江
     東格太郎
     東 イエ
           (計14名)


 1943年昭和18年高明別大洪水のため、高田橋が流される
  〃 〃鶴崎大洪水のため、鶴崎中学が流される
  〃 〃明治明治小学校 どんぐりを供出する
 1944年昭和19年松岡食料のためイナゴ取りをする 供出量 5貫(18.75㎏)
 1945年昭和20年鶴崎空爆により鶴崎小学校の北校舎二階建て14教室が破壊される
大分市大空襲により中心街がほぼ全焼する
 〃太平洋戦争が終わる
  〃12月9日 農地改革指令発令


農地改革

    昭和20年11月23日現在の耕作者へ
    当時高田村の耕地面積 243町歩余り
    自作地 108町歩余り  小作地135町歩余り

   解放後
     自作地 221町歩余り  小作地25町歩余り
     (計 246町歩余り) 25年8月1日現在

    自作農       236戸
    自作兼小作業    126戸
    小作兼自作業     18戸
    小作農        12戸          
            計 392戸

   昭和26年経営状況
    総戸数   392戸
    総人口   2,463人
        (一戸当たり 6人) 
    
    総面積  246町歩余り
        (一戸当たり 6反強) 




1946年昭和21年9月4日鶴瀬の大野川溢流提が竣工する()工費は1000万円
1947年昭和22年高田下徳丸郵便局が開局する(局長 山崎誠一)
別保鶴崎町立南中学校を設立する(別保小内にて)
三佐鶴崎町立北中学校を設立する(鶴崎高女にて 三佐)
1947年  〃校名を国民学校から小学校とする。 高田村立高田小学校と改称する 小学校内に新学制により高田村立高田中学校ができる
三佐鶴崎町からの分村運動が起きる
 1947年  〃松岡松岡農業協同組合ができる
  〃  〃明高松川明治、高田、松岡、川添にて村立大東中学校ができる
1947年  〃高田高田農業協同組合を設置する 初代組合長 得丸忠人
  〃4月30日戦後初めての市町村長選挙が実施される
5月1日 中村壽徳 村長に就任
1948年昭和23年明野明野の呼び名について治と猪を取って明野とする。
  〃  〃鶴崎鶴崎小学校で給食が始まる
1948年全般県立鶴崎高等学校を設立する。
1948年全般各学校にPTAが発足する
 1949年昭和24年川添川添中学校独立校舎を新築する。
  〃  〃鶴崎鶴崎中央公民館を設置する。
 1950年  昭和25年川添川添村が北海部郡から大分郡に編入される
  〃  〃鶴崎鶴崎高等家政英学校が開校する
  〃  〃松岡松岡小学校に講堂ができる(木造の平屋建て)
  〃  〃鶴崎鶴崎中央公民館の改築ができる
  〃  〃鶴崎鶴崎駅舎を新設する
  〃明・高・松大分郡東部組合立大東中学校が明治・高田・松岡の三中学合併が合併し、金の手にできる。 
1951年昭和26年 〃昭和26年3月12日大東中学校新校舎が落成(金の手)
高田高田小学校の講堂ができる
三、鶴・別北中学校(三佐)と南中学校(別保)を統合して鶴崎町立鶴崎中学とする。
別保別保小学校南校舎(木造二階建て 6教室)ができる
松岡ルース台風で松岡小学校の校舎(南校舎 二階建て 4教室)が転倒する。
松岡松岡公民館ができる
 1952年昭和27年三佐三佐小学校の講堂ができる
  〃  〃全体鶴崎、明治、高田、松岡、川添に教育委員会ができる
1953年昭和28年高田高田公民館を設置する 初代館長 小手川 又吉
松岡松岡小学校北校舎(二階建て8教室)ができる
川添川添中学校講堂の落成式をする
鶴崎鶴崎中学の鉄筋校舎ができる
高崎山自然動物園が開園
 1953年昭和28年2月2日NHKテレビ放送開始
1953年全体昭和井路の試験通水がされる
1954年昭和29年 昭和30年鶴崎市になる (初代市長 佐藤常雄)
(鶴崎町、明治村、高田村、松岡村、川添村が合併)
1954年校名を鶴崎市立高田小学校と改称する (他校も同じ)
松岡高田乙津川溢流堤の位置を松岡大津留字天神ヶ鼻に決まる。
1955年に反対運動が広がるが、昭和31年に施工が決定。
昭和31年4月~昭和34年 518,300,000円
  〃    昭和29年三佐鶴崎家島橋ができる(177m・幅4m、木造)
 1955年昭和30年全体市営火葬場ができる
  〃  〃別保鶴崎乙津橋ができる(長さ252m・幅8m 鋼構橋)
桃園・他桃園地区(乙津を除く)が大分市に編入される。
  〃  〃別保別保小学校に講堂ができる
  〃全体国勢調査実施 鶴崎市の人口は27,982人
  〃  〃高田鶴瀬に水難者慰霊塔を建立
  〃  〃別保別保森町で火災がある(4棟 15世帯)   
  〃  〃別保鶴崎中島橋ができる (長さ203m・幅3.5m 木造)
1956年昭和31年高田高田若葉幼稚園開園  園長 小手川又吉 保母茨城キクヱ
  〃高田旧常行公民館落成式
高田若葉幼稚園開園 (常行公民館内) 園長 小手川又吉 保母茨城キクヱ
  〃  〃鶴崎鶴崎商工会議所が堀川で開所する
全体鶴崎市庁舎(鉄筋4階建て)の竣工式をする
小鳩幼稚園の開園式をする
全体市営塵芥焼却場の落成式をする
1957年昭和32年3月川添橋ができる幅5.5m 延長274m
  〃  〃鶴崎鶴崎中学の給食室、体育館ができる
  〃松岡高田松岡・高田小学校の給食室ができる
全体「鶴崎市史」人物編を編集する
1957年  〃全体第一回別府毎日マラソンが(出発別府駅、折り返し鶴崎橋)が行われる
  〃  〃松岡乙津川分流工事(溢流堤をつくる工事)において土地収用法が適用する
1957年  〃全体大分鶴崎臨海工業地帯造成計画案が正式に決まる
 1957年  〃別保別保橋の改修ができる(長さ203m、幅3.9m 木造)
1957年鶴 全体鶴崎パルプKK鶴崎工場を設立する
 1958年昭和33年鶴崎鶴崎郵便局舎の起工式をする
全体天皇、皇后両陛下が御来県・鶴崎市内をご視察になる
 〃全体昭和33年5月15日  高田橋ができる幅5.5m 延長192m 溶接版桁橋
 〃高田高田地区の干害が甚だしい
 〃三佐三佐小学校に給食室ができる
1958年 〃昭和33年11月  昭和井路の完工式が行われる  昭和17年1942年着工
      秋に初めての稲が採れる。
      水路延長80km 隧道数178 受益面積 約1,935ha
      9億円の工事費
 〃全体昭和33年 川添中学校を大東中学校に統合する。
  〃 〃明治横尾の下郡平治氏が鶴崎市長に当選する
  〃 〃三佐海原橋ができる(長さ101m・幅4.5m 木造)
  〃 〃川添川添小学校新校舎(二階建て 6居室)ができる
  〃 〃松岡大津留の工業用水工事の起工式が行われる
 1959年昭和34年昭和34年  大野川に新溢流提完成乙津川分岐
  〃 〃松岡龍泉寺の移転落成式をする
松岡大津留から住友化学繻子井口まで工業用水を試送する
  〃 〃鶴崎鶴崎小学校のプールができる(長さ25m 幅12m)
  〃 〃三佐三佐漁業権補償が妥結する。(88677万円)
 〃全体鶴崎臨海工業地帯建設事業起工式を鶴崎高等学校体育館で行われる。
 〃松岡工業用水道工事起工式を大津留の現地で行う。
 〃松岡鶴崎市の上水道起工式を松岡で行う
NHK大分放送局、大分放送(OBS)がテレビ開局。
1960年昭和35年三佐大分鶴崎臨海工業地帯の港湾浚渫工事が始まる
三佐(国勢調査) 世帯数903世帯 男2196人 女2406人 合計4602人
徳島橋ができる(長さ30m 幅15m コンクリート橋)
全体市の上水道ができる
明治明治小学校に給食室ができる
鶴崎7月鶴崎商店街に照明灯がつく
全体大東中学に特別教室ができる
明治明治小学校新校舎ができる(平屋建て 8教室)
川添川添小学校に給食室ができる
明治猪野郵便局が開局する 
松岡大津留橋ができる(長さ161m 幅3.5m コンクリート橋)
1960年昭和35年全体鶴崎市農業協同組合を設立する。(本部を下徳丸に置くが後に森に移転する)
   理事 中村九十九  毛利輝雄
 〃全体国勢調査を実施する。 高田の世帯数443戸 男性1,193人 女性1,260人 合計2,453人)
1961年昭和36年高田昭和36年  毛利空桑の墓県文化財の指定を受ける
  〃 〃三佐5月 家島開閉橋ができる
  〃 〃大分総合職業訓練所が開所する
  〃 〃臨海工業埋立第一号地の引き渡し式がある
  〃 〃鶴崎鶴崎中学校にプールができる
 〃全体鶴崎工業高等学校が設立される
  〃 〃鶴崎鶴崎小学校の新校舎(鉄筋コンクリート3階建て)の第一期工事が終わる
  〃 〃明治小池原遺跡の発掘調査をする
  〃 〃鶴崎鶴崎工業高等学校の起工式がある
  〃 〃明治天然塚にあった二豊学園が移転する
1962年昭和37年全体大東中学のグラウンドができる
  〃 〃市内の電話を自動式(ダイヤル式)に切り替える
  〃 〃鶴崎鶴崎小学校の新校舎(鉄筋コンクリート三階建て 9教室 )
  〃 〃光福寺の本堂が焼ける
  〃 〃三佐三佐小学校の新運動場ができる
 〃鶴崎九州石油株式会社が正式に許可される
  〃 〃全体大東中学校の運動場ができる
 〃 〃全体昭和井路高田地区水利組合 すべての孫線完了
     開田面積 51町歩余り
1963年昭和38年昭和38年   六市町村が合併し大分市になる 人口216,130人 (初代市長 上田 保)
     (大分市・鶴崎市・坂ノ市町・大南町・大分町・大在村)
三佐7月12日 大分鶴崎地区新産業都市指定
三佐三佐郵便局新築移転
三佐太刀振神社境内に戦没者慰霊殿建立
 〃昭和38年  鶴崎消防庁舎が完工する。
 〃昭和38年 国立大分高専の開校式及び入学式が鶴崎高校の体育館で行われる。
 〃鶴崎昭和38年 毛利空桑記念館ができる
 〃大東中学校の体育館の起工式を行う
1964年昭和39年昭和39年  東京オリンピックが開かれる
三佐三佐小学校新校舎第一期工事完成
三佐二号地に昭和電工進出決定 協定に調印
マリーンパレスがオープンする
1965年昭和40年明野団地の起工式を現地で行う。第一期計画 昭和40年~45年 戸数6,000戸 人口24,000人 総工費42億円
 〃 〃三佐三佐小学校新校舎第二期工事完成
 〃 〃三佐8月7日 三佐小学校プール落成
 〃 〃三佐県道鶴崎~三佐線完工(3月)
1966年昭和41年高田昭和41年  高田の農家(15戸)で電熱を利用した促成栽培が始まる
 〃 〃全体大分国体(第21回)開催される
1967年昭和42年高田昭和42年  関門に[開田記念碑]が建てられる
三佐4月1日 九電火力大分発電所着工
  〃 〃高田昭和42年11月3日 得丸武男  勲五等雙光旭日章(きょくじつそうこうしょう)受章
1968年昭和43年全体大東中学校のプール開きをする
1969年昭和44年高田高田小学校の北校舎落成式を行う
3月4日 市と九電の間に郊外覚書を交わす 3月17日発電所火入れ式
6月4日 石油コンビナート完工式
 〃高田昭和44年  小手川善次郎翁頌徳碑の除幕式善次郎氏は高田出身、宮崎県高千穂町で呉服商を営み、郷里のため多くの土地その他を寄贈した。
 〃松岡松岡に東芝IC工場を建設することに決定する。
  〃 〃アポロ11号が月に到着 人類が初めて月に立つ。
  〃 〃松岡大津留地区の県工業用水第一期拡張工事が完成 給水能力 25万トン/日 事業費約20億円
  〃 〃松岡豊州パイル株式会社ができる
1970年昭和45年鶴崎鶴崎警察署を大分東警察署と改める
三佐三海橋完成 臨海産業道路着工
  〃  〃明治キリシタン殉教記念公園が開園する
  〃昭和45年  大阪万博が開かれる   よど号ハイジャック事件がある
  〃鶴崎昭和45年  毛利空桑旧宅及び塾跡 県文化財の指定を受ける
  〃鶴崎昭和45年  現鶴崎橋が開通する
  〃  〃松岡 松岡に東芝大分工場ができる
  〃  〃 〃博陽工業株式会社大分工場が完成する
  〃  〃 〃梅林建設株式会社機材整備工場が完成する
  〃  〃 〃松岡郵便局が松岡字辻の下に移転する
テレビ大分(TOS)が開局する
1971年昭和46年明治明野(昭和46年)明野団地に明野ショッピングセンターが開店する。
明治明治西小学校が開校し、明治小学校より分離する。
新大分空港が安岐町に開港する
1972年昭和47年明治大分市明野出張所ができる
  〃全体昭和47年  大分東郵便局が大東中学跡地にできる
  〃  〃明治明野東小学校が開校する
  〃  〃明治明野中学校が開校する
三佐三佐小体育館完成
三佐5月20日 大分東警察署に移転(三佐)
全体大分市内7農協が合併 大分市農協が発足
1973年昭和48年高田昭和48年  高田小学校開校百周年記念式典が行われる
三佐1月30日 松原緑地造成工事起工式
 〃5月10日 住友化学から刺激臭ガスが流れる
  〃 〃昭和48年  第一次オイルショックが起きる
ジャスコ、ニチイ、ダイエーが大分市街地に相次いで開店する
  〃川添(昭和48年)九六位山キャンプ場を開く。
1974年昭和49年三佐県、市は住友化学に対し、大気汚染防止法を適用 全面操業停止命令(5月11日)
 〃6月7日 松原緑地の完工式
 〃住友化学農薬製品倉庫が大火をおこす(8月12日)
 〃三佐公民館建設(住友化学寄贈)
1975年昭和50年高田(昭和50年)高田小学校の校舎を増築する。
  〃 〃明治横尾の佐藤益美氏が大分市長に当選
  〃 〃明治横尾浄水場が完成する
  〃 〃松岡3月 県道鶴崎ー大南線が開通する
(国勢調査) 世帯数1380世帯 男2810人 女2681人 合計5491人
1976年昭和51年高田昭和51年4月19日  公立高田幼稚園が新設される
 〃昭和51年昭和井路の改修工事が完成し、完工式並びに「昭和井路の碑」が戸次で行われた。
 〃高田大分市立高田幼稚園が新設され入園式が行われた。
1978年昭和53年第二次オイルショックがおきる
明治明治公民館が竣工する
明治明治小学校が児童数1547名 学級数38の大分県一の大規模校となる
全体大東中学校の新校舎が現在地に竣工し移転する。
 1980年昭和55年三佐(国勢調査) 世帯数1516世帯 男2493人 女2552人 合計5045人 
1981年昭和56年高田昭和56年 渕健児(下徳丸) 大分市議会議員初当選(以来5期18年間つとめる)
 1983年昭和58年明治明治北小学校が開校し、明治小学校と分離する。 児童486名が転校する。
1984年昭和59年松岡松岡公民館竣工(松岡農協2階より移転)
三佐三佐南区画整理事業始まる
1985年昭和60年鶴明昭和60年  毛利空桑記念館が開館する。
 1986年昭和61年明治高尾山自然公園が開園する。
1987年昭和62年鶴崎昭和62年  国鉄鶴崎駅がJR鶴崎駅になる
1988年昭和63年全般昭和63年  大分市立東陽中学校が下徳丸に新設される
      生徒数858名  職員数45名
1988年昭和63年  青函トンネル・瀬戸大橋 開通
1989年昭和64年昭和64年・平成元年   1月7日昭和天皇崩御 1月8日から平成になる

これ以降は作成中!

平成時代

1989年平成元年       年号を平成と改める
1990年平成2年松岡船本大橋開通(全長351m 総事業費 19億1000万円)
 〃三佐(国勢調査) 世帯数1428世帯 男2301人 女2456人 合計4757人 
1992年平成4年三佐三佐郵便局 区画整理のため移転する
1993年平成5年三佐市立三佐幼稚園区画整理のため現在地に移転新築
 〃           Jリーグ開始  10チームにて        
1998年平成10年高田高田公民館大字南に新築移転
明治葛城の仲道俊哉氏が参議院議員に当選する
1999年高田大野川防災センター落成式(平成11年)平成8年~平成10年
大分スポーツパーク 「ビッグアイ」が完成
2001年平成13年明治松岡明治、松岡の境界に大分自動車道、国道197号線南バイパスが開通する
2002年サッカーワールドカップが開かれる
「完全学校週五日制」が実施される。
2004年平成16年高田平成16年  関門及び堂園雨水排水ポンプ場ができる
マリーンパレスが「うみたまご」の名称でリニューアルオープンする
2005年平成17年 高田堂園・関門雨水排水ポンプ場ができる
平成の大合併で佐賀関町、野津原町が大分市と合併する。
2006年平成18年明治「明治ふれあいまつり」を実施する
全体大分市地域まちづくり活性化事業の一環として「つるさき七輪の街づくり事業」が始動する
2007年平成19年全体校区七輪のまちづくり協議会発足
2007年平成19年高田高田校区歴史散策マップ作成
2007年平成19年高田第一回琵琶の州ウォーキング大会
2008年平成20年明治明治小学校100周年記念事業を開催する
2009年平成21年高田川添JA東陽支店発足 高田・川添が合併
2011年平成23年東北地震が発生する
2013年平成25年高田渕健児県議亡くなる(享年73歳)
2016年平成28年熊本地震が発生する
2019年平成31年ラグビーワールドカップが開かれる
2019年平成31年(令和元年)消費税が10%になる

令和時代

2020年令和2年1月15日令和2年 新型コロナウイルスが流行する。 1月15日 日本で初めての確認
2021年令和3年7月23日2020東京オリンピック開催(1年遅れの開催) 
2021年令和3年 多くの行事、イベントが中止される。 常行自治会長 首藤規行氏が亡くなる。11月
2021年令和3年10月14日岸田内閣発足 
2022年令和4年年2月24日 ロシアウクライナに侵攻する。 
2022年令和4年4月2日高田(南)高田グラウンドの完成、安全祈願祭 
2022年令和4年7月8日安倍晋三元首相 銃撃され死亡
2022年令和4年11月20日 高田先哲祭100周年記念行事が開催される。
2023年令和5年2月28日「大分市 協働のまちづくり大賞」で大賞を受賞
2023年令和5年4月09日 大分県知事に佐藤樹一郎氏初当選 20年ぶりの交代
2023年令和5年5月~9月 高田別保鶴崎新中島橋関連の仮設道路工事始まる
2023年令和5年10月~令和6年5月新中島橋護岸工事始まる
2023年令和5年10月26日高田 ドラッグモリ 大分高田店が堂園にオープン
2023年令和5年11月11日高田高田小学校150周年式典が開催される。