大野川合戦祭りが11月8日(土曜日)かって戸次川の戦いがあった大南大橋近くの大野川河川敷で開催かれました。
👉大野川合戦祭りに寄せて 戸次川合戦と鶴ヶ城(歴史を知りたい方はこちらを)
大野川合戦祭りイベントスケジュール
これは会場入り口で主催者からいただいたパンフレットです。
今日は10時から1時まで午前中を楽しみました。

令和7年大野川合戦祭り
さあ、入場です。

見物客
10時から開始ですが、人であふれています。





出店です
大南地区からいろいろな郷土料理が出店しています。
だんご汁
一杯500円。我慢できずに買ってしまいました。


吉野の鶏めし・ほうちょう
大南地区の吉野の鶏めしは有名ですが、「ほうちょう」もここ戸次が発祥地です。
吉野の鶏めしは江戸時代末期に猟師が雉や鳩などの鳥肉を使って作ったのが始まりとされています。
ほうちょうは名前の由来は、戦国大名・大友宗麟がアワビの腸に似せた麺を家臣に献上されたことから「鮑腸」と名付けたとされています。


地元の海産物も売られています
地元の大野川でとれたアユや地元の山で採れたシイタケです。


手作り甲冑の展示場もありました。
大南地区では「大南甲冑教室」が活動しており、地域住民による本格的な手作り甲冑制作が行われています。
今日は手作り甲冑の展示がされていました。帰るときに甲冑を着ている見物客らしき人を見かけたので着用体験も行われていたのかもしれません。



その他 多くのパネル展示や資料展示がありました。
国土交通省河川工事事務所の展示パネルもありました。河川課では会場の草刈りや会場設置の協力をしてくれたそうです。
また、地元からは大野川合戦祭りのもととなっている戸次川の戦いの資料との展示もされていました。
遠くからは福岡から戸次川の戦いに参戦した立花家の資料も展示されていました。
※豆知識 立花道雪[戸次道雪]
「大友宗麟」のナンバー2となる「立花道雪」(たちばなどうせつ)は、1513年(永正10年)に大友氏の支流の戸次氏当主、「戸次親家」(べっきちかいえ)の嫡男として生まれました。
戸次という名があるように、大分市戸次が道雪の本拠地であり生誕地でした。ただ、男子が生まれず養子をとった家の名前が立花だったため、立花道雪となったようですが、生涯、戸次道雪で通したようです。

大野川合戦祭り イベント
上戸次 子供神楽クラブ
上戸次子供神楽クラブは、深山流神楽(みやまながれかぐら)の伝統を受け継ぐ、地元の小学生を中心とする子供たちによるクラブです。平成11年にクラブ活動として始まり、約140年の歴史を持つ深山流神楽の伝統を守り続けています。
カメラの望遠用を車に撮りに行く間に終わってしまい、ゆっくり見ることができずに終わってしまいました。申し訳ありません。

吉野臥竜梅太鼓ジュニア
吉野臥竜梅太鼓は春の吉野梅まつりで開催されていますが、午前中はそのジュニア版です。小学校4年生から中学3年生までで構成されています。大人に負けない迫力がありました。今にも出陣していきそうな力強い太鼓の音が大野川をバックにした戸次川の戦いの地に響き渡ります。



大南相撲甚句の会
相撲甚句とは相撲取りが唄う「ハア〜 ドスコイドスコイ」という力強い合いの手が組み合わさって、リズム感があって耳に心地よく聴こえる相撲界独自のものと思っていました。しかし、今日聞いていて相撲関係だけでなく、戸次の地名や風物、名物などを織り込んでいたり、娘を送り出す母の心情を唄うものなどがありました。そしてその独自のリズムと掛け声が日本人の心に何か伝わってくるものがありました。



騎馬疾走
六頭の馬が会場を疾走しました。この馬は九重の九重の牧場で育てています。
そのうちの一頭は中央競馬で走り、武豊も乗っていたそうです。今は老後をこの牧場で余生を送っています。
また、他の馬も映画「関ケ原」など映画にも出ました。甲冑をつけてこの距離を走るイベントはないそうです。
戦国時代の「戸次川の戦い」が再現されているような雰囲気になってきます。






今日はこの騎馬疾走が終わって引き上げました。


