私の知り合いから「補陀寺の檀家ですが仏壇の整理をしていたら、補陀寺について書かれた資料があったので何かの役に立てればともってきました。」と下記のような資料を持参されました。
補陀寺だけでなく、仏教、大友氏などを日本史と比較しながら書かれており、面白い資料だと思い記事にしてみることにしました。ただ誰が書いたものかを確認しアップしたかったのですが、補陀寺の檀家の方数人に依頼し調べてもらったのですがわからなかったため、補陀寺の檀家の資料としてアップすることにしました。作者がわかれば記名させていただきたいと思います。
なお、編集しアップしているためオリジナルとは少し変わっています。

「高田村志」 に書かれた補陀寺
※「高田村志」原文のままアップしますが、わかり易いように注釈を入れてみたいと思います。
また、年号は紀元で書かれているため、西暦に変更しています。
慈雲山補陀寺は大字関園字寺脇にあり。本村において開設最も古き梵刹〈梵刹ぼんさつ お寺のこと〉実にしてに今を距る(距 へだたる)こと約一千二百年前第四十六代孝謙雲山補陀寺は大字関園字寺脇にあり。本村において開設最も古き梵刹〈梵刹ぼんさつ お寺のこと〉実にしてに今を距る(距 へだたる)こと約一千二百年前第四十六代孝謙天皇の天平勝宝<てんぴょうしょうほう 元号>七年<755年 奈良時代>天台僧同連開基にかゝると伝えらる。(一説に延暦十七年<えんりゃく17年 798年平安時代>天台僧檀叟の開基とす)開祖の関係によりてによりて往昔は天台宗に属し、本尊は今境内北隅にある観音堂に安置せらるる観世音菩薩行基の作と称す)ならしが、天正<1573年から1592年まで>以後臨濟念に改宗し、現時京都花園妙心寺の末寺にして、本尊は釋迦牟尼佛なり。
応徳元年(1084年)失火によりて堂字炎上せしが、建仁三年(1203年)当国主 大友能直当寺観世音菩薩に祈願するところありて、寺領千石を寄進し、七堂伽藍
<「七堂伽藍(しちどうがらん)」 その建物群の主要な建物>の建立あり。次で建長の頃(1250年ごろ)定岩和尚中興して甚だ盛観を呈し、境内の如きも二千四百坪を占めたりといふ。然るに大友氏の末葉<まつよう 一つの時代の終わりごろ>薩州<さっしゅう 薩摩>勢の乱入に際し、不幸にも其の兵火にかゝりて、天正十四年(1586年)堂塔伽藍を始め宝物記録等悉く烏有に帰す<うゆうにきす 火災にあい丸焼けになる事>。此の時本尊 観世音は寺僧喜運危険を冒して猛火の中より之を取出し、百堂川に沈めて隠匿せしかば、幸に此の災禍を免るるを得たり。かくて当寺に於ける天台宗法焼失せしかば、爾後<じご それ以来>臨済宗に改宗し、元和元年(1615年) 正満和尚堂宇を再興せり。時に前記百堂川に沈められたる観世音、不思議にも川上三里余りを隔つる竹中村字端登奮岩屋金淵より出現し、恰も<あたかも まるで>三十年目にして再び当山に鎮守せらるゝに至る。文久二年(1862年)大洪水のため、堂宇大破し、今日現在のものは、明治四年嶺長和尚の再建にかゝるなり。境内五百七十一坪、老樹多し。
「高田村志」 に書かれた補陀寺をわかり易く
これは檀家の方が作成されたものです。

補陀寺年表&歴史年表
※檀家の方が書かれたものを少し編集してアップしました。
補陀寺年表&歴史年表その1 〈弥生卑弥呼~鎌倉時代まで〉
西暦 | 年号 | 時代 | 年表 | 補陀寺他年表 | ||
184 | 弥生時代 | 邪馬台国は卑弥呼が治める(生涯未婚、 魏の明帝から親魏倭王の称号を受ける) | ||||
538 | 百済聖明王により日本に仏教伝来 (朝鮮半島=百済、新羅、高句麗) | |||||
607 | 飛鳥時代 | 法隆寺建立 「西院伽藍」 中門、 金堂、 五重塔、 大講堂 「東院伽藍」 夢殿、 伝法殿 | ||||
推古天皇 | 遣隋使 (小野妹子) 中国の制度、 文物を学びとる | |||||
630 | 推古天皇 | 第一回遣唐使 | ||||
645 | 大化元年 | 皇極天皇 | 大化の改新(中大兄皇子・中臣鎌足(藤原) が蘇我氏を滅ぼす) | |||
663 | 天智2年 | 天智天皇 | 白村江の戦い(日本・百済連合対唐・新羅連合) 水軍戦敗北大敗 | 百済滅亡 | ||
672 | 弘文元年 | 弘文天皇 | 壬申の乱(大海人皇子が大友皇子を滅ぼす) 藤原氏衰退 | 皇位争い | ||
701 | 大宝元年 | 弘文天皇 | 大宝律令制定(最初の国家基本法典) 古事記712年 | 大化の改新完成 | ||
710 | 和銅3年 | 奈良時代 | 平城京に遷都 (中国唐の長安の都城を模した方形の都市) | 唐より高僧・ 鑑真を招く (742) | ||
752 | 勝宝4年 | 孝謙天皇 | 東大寺大仏開眼供養 (聖武天皇が行) 日本書紀(720年) | 奈良の大仏 | ||
755 | 勝宝7年 | 孝謙天皇 | 大分市大字関園寺脇に天台宗の僧檀叟補陀寺開基着手 | 慈雲山補陀寺開基着手 <高田で最も古い寺> | ||
794 | 平安時代 | |||||
798 | 延暦17年 | 大分市大字関園寺脇に天台宗の僧同連補陀寺開基 | 慈雲山補陀寺開基落慶 | |||
805 | 延暦24年 | 桓武天皇 | 最澄天台宗を比叡山延暦寺に開く(思想=天台数学) | |||
805 | 大同元年 | 桓武天皇 | 空海真言宗を高野山金剛峰寺で伝える (思想 =密教) | |||
838 | 承和5年 | 仁明天皇 | 遣唐使太宰府より出発 (最後の遣唐使) 894年菅原道真廃止申し立て、派遣廃止) | |||
901 | 延喜元年 | 醍醐天皇 | 藤原道真太宰府に流される(左大臣藤原時定の策略) | |||
903 | 延喜3年 | 醍醐天皇 | 藤原道真太宰府の配所で死去 (太宰府天満宮で祀られる) | |||
1011 | 寛弘8年 | 三条天皇 | 紫式部 「源氏物語」 なる (夫藤原宣孝死後10年で完成全54巻) | 臨済宗の開祖栄西 (1141~1215) | ||
1057 | 天喜1年 | 後冷泉天皇 | 宇治平等院鳳凰堂建立 | |||
1083 | 永保3年 | 白河天皇 | 後三年の役 (奥州豪族清原氏一族の内乱 (~1087) | 源義家が平定する。 | ||
1084 | 応徳元年 | 白河天皇 | 大分市大字関園寺脇の慈雲山補陀寺が全焼する | 慈雲山補陀寺全焼 | ||
1156 | 保元元年 | 後白河天皇 | 保元の乱(後白河天皇VS崇徳上皇 天皇の勝利) | |||
1159 | 平治元年 | 二条天皇 | 平治の乱(平清盛VS源義朝、 清盛勝利平家全盛時代) 源義経誕生1159年 | |||
1180 | 治承4年 | 安徳天皇 | 源頼朝伊豆に挙兵 「博多どんたく」 (1179年) | 山内首藤俊(つねとし) 母は頼朝の乳母 | ||
1184 | 寿永3年 | 1184年一の谷の戦い、1185年 | ||||
1185 | 文治元年 | 鎌倉時代 | 屋島の戦い、壇ノ浦の戦い 平家滅亡 | 岡城築城 (緒方惟栄) 1185 | ||
※鎌倉時代に関しては1185年や1192年などいくつかの考えがある。 |
補陀寺年表&歴史年表その2 〈鎌倉時代~江戸時代〉
西暦 | 年号 | 時代 | 年表 | 補陀寺他年表 | ||
1187 | 文治3年 | 鎌倉時代 | 源義経、 陸奥の藤原秀衡のもとに逃れる | |||
1189 | 文治5年 | 〃 | 藤原泰衡が源義経 (1159~1189) を殺害 | |||
1191 | 建久2年 | 〃 | 栄西帰朝し臨済宗妙心寺でひろめる (思想 =禅) | |||
1192 | 建久3年 | 〃 | 源頼朝鎌倉幕府ひらく | |||
豊後国初代守護=大友能直 塔・金堂・講堂・鐘楼 経堂 ・僧房 ・食堂 豊後国王大友能直は補陀寺観世音菩薩に祈願され 七堂伽藍の建立 補陀寺に寺領千石を寄進し、 七堂伽藍を建立する (寺の規模が大きくなる) | ||||||
1195 | 建久6年 | 鎌倉時代 | 建久6年鎌倉時代 栄西は日本で最初の禅寺 | |||
1203 | 建仁3年 | 土御門天皇 | 北条時政執権となる (政所・侍所の両別当職の実権) | |||
1219 | 健保7年 | 順徳天皇 | 源実朝公暁に殺される頼朝の次男28歳。 源氏滅亡 | |||
1221 | 承久3年 | 承久の乱(後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して起こした乱) 幕府軍鎮圧 | ||||
1224 | 元仁1年 | 後堀川天皇 | 親鸞浄土真宗を西、 東本願寺開く (思想 =浄土) 法燃浄土宗を知恩院で唱える (思想= 浄土) | |||
1227 | 安貞1年 | 道元帰国し曹洞宗を永平寺で開く (思想=禅) | 1249年~1255年<鎌倉中期> 定厳和尚が中興 境内敷地2400坪に興隆 | |||
1253 | 建長5年 | 後深草天皇 | 日蓮、日蓮宗を身延山久遠寺で唱える ( 思想=法華 ) | |||
1274 | 文永11年 | 後宇多天皇 | 文永の役(蒙古軍クビライ日本来襲 ・ 900隻3万の兵) | |||
1281 | 弘安4年 | 〃 | 弘安の役(博多の沿岸に迫る。 暴風で船団は壊滅) | |||
1324 | 元亨4年 | 後醍醐天皇 | 正中の変(後醍醐天皇が幕府打倒を計画) | |||
1331 | 元徳三年 | 〃 | 元弘の変10月(後醍醐天皇が再度幕府討伐を計画し失敗) | 大友氏足利氏に属する 応仁の乱の影響が各地に広がる (大友領国内の大小名は府内入りし 大友家の検閲を受け忠誠を誓う) | ||
1333 | 元弘3年 | 南北朝時代 新田義貞鎌倉を攻め落とす。 鎌倉幕府滅亡 | ||||
※鎌倉幕府が滅んだのち、後醍醐天皇が自ら政治をおこないましたが、わずか2年で失敗に終わりました。後醍醐天皇は奈良の吉野に移り(南朝)、尊氏は京都に別の天皇を立てて(北朝)征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。足利氏の幕府がつづいた約240年間を室町時代といいます。一方、南朝と北朝が各地の武士を味方につけて長い間争った期間を、特に南北朝時代といいます。(この争いは60年ほど続きますが、それを一つにまとめたのが三代将軍足利義満です。)これらを考えると、室町時代は鎌倉滅亡後の1333年から足利氏が信長に追放された1573年までの240年間が室町時代になると思います。また、室町時代の中期になると地方の守護大名争いなどが起き、1467年の応仁の乱と続き、下剋上の戦国時代が始まります。ここに秀吉や信長などがでてきます。100年ほど続きます。 | ||||||
1358 | 正平13年 | 後村上天皇 | 正平13年 後村上天皇 4/30 足利尊氏死去 (戦場での負傷が悪化化膿)54歳 | |||
1368 | 正平23年 | 長慶天皇 | 足利義満三代将軍になる。10歳 (花の御所、 寝殿造り1378年) | |||
1397 | 応永4年 | 後小松天皇 | 1342年 足利義満金閣寺造営、 北山文化 | |||
1419 | 応永26年 | 対馬に朝鮮兵が来航し、 九州探題が撃退 (応永の外冠) | ||||
1467 | 応仁元年 | 後土御門天皇 | 応仁の乱勃発(~1477まで) (武家の跡目相続争いが激化) | |||
1476 | 文明8年 | 〃 | 鶴崎城 (吉岡長増=大友義鑑、 義鎮に仕える)=鶴崎 | |||
1496 | 明応5年 | 戦国時代 | 蓮如、大阪石山別荘を築く (石山本願寺=浄土真宗) | |||
1510 | 永正7年 | 後柏原天皇 | 薩摩・大隅・日向の三国が争う 豊後参り | |||
1534 | 天文3年 | 後奈良天皇 | 勢場ヶ原の戦い(大友義鑑VS大内義隆) 大内氏九州より撤退 | |||
1541 | 天文10年 | 〃 | ポルトガル船、豊後に漂着。 大友二階崩れの変(後継者争い) | (大友義鑑が家臣から殺される ) | ||
1543 | 天文12年 | 〃 | ポルトガル船種子島に漂着、 鉄砲伝来 | |||
1553 | 天文22年 | 〃 | 川中島の戦い (甲斐の武田信玄VS越後の上杉謙信の合戦) 5回 | |||
1560 | 永禄3年 | 正親町天皇 | 5/19 桶狭間の戦い (今川義元2万5千VS織田信長3千 義元打死) | 大友宗麟九州6か国支配 (筑前・筑後・肥前 ・肥後 豊前 ・ 豊後) | ||
1567 | 永禄10年 | 〃 | 鶴崎踊り (1560年) 京都から舞子を呼ぶ | |||
1570 | 元亀元年 | 〃 | 姉川の戦い(信長・家康VS浅井・朝倉 浅井朝倉連合を破る) | |||
今山の戦い (大友親貞vs龍造寺隆信) | ||||||
1571 | 元亀2年 | 〃 | 信長比叡山延暦寺焼討 | |||
1572 | 元亀3年 | 三方ヶ原の戦い(徳川家康VS武田信玄 家康大敗) 信玄陣中で病死 | ||||
1573 | 安土桃山時代 | |||||
1575 | 天正3年 | 安土桃山時代 長篠の戦い(織田信長・徳川家康連合VS武田勝頼武田大敗) | ||||
1578 | 天正6年 | 11月 | 耳川の戦い (島津義久、大友義鎮を破る) | 大友・龍造寺・島津の三強並立 | ||
1582 | 天正10年 | 6月 | 本能寺の変 (明智光秀信長を本能寺で殺す) 嫡男信忠死 | (羽柴秀吉中国大返し) | ||
1583 | 天正11年 | 10年2月~11年4月 | 賤ヶ岳の合戦 (秀吉VS 柴田勝家) 勝家自害 (茶々、初、 江=救出) | |||
1584 | 天正12年 | 3月 | 小牧・長久手の合戦 (豊臣秀吉VS織田信雄・徳川家康) → (双方和解) | 龍造寺隆信討死 (1584) 鍋島直茂実権握る | ||
1585 | 天正13年 | 四国平定 (秀吉関白となる) | ||||
1586 | 天正14年 | 12月 | 戸次川の戦い(島津義久VS長曾我部元親=豊臣秀吉) 12/12 | 七堂伽藍、 宝物、 記録兵火にかかり焼失 鶴賀城 (戸次川合戦地) 1586 | ||
1587 | 天正15年 | 寺司浜の戦い(妙林尼、 乙津川で島津軍攻略) 3/8 | 戦乱により兵火にかかり天台宗法が焼失 | |||
1590 | 天正18年 | 正親町天皇 | 北条氏滅亡、秀吉の天下統一成る黒田如水豊前中津の領主となる | 臨済宗に改宗 | ||
1592 | 文禄元年 | 〃 | 文禄の役(~96) (豊臣秀吉、 明及び朝鮮征伐15万軍団上陸 | |||
1593 | 文禄2年 | 後陽成天皇 | 大友豊後国滅亡(大友義統山口本国寺に幽閉され剃髪「宗厳」とした) | |||
豊後国第22代当主大友義統 (よしむね) (宗麟の嫡男) 文禄の役で朝鮮鳳山城より戦場敵前逃亡 (小西行長合流出来ず) 秀吉激怒、 401年間の大友氏滅亡 | ||||||
1597 | 慶長2年 | 後水尾天皇 | 慶長の役(~98) 第一軍~第八軍総勢12万 (朝鮮の船団軍強い) | |||
1598 | 慶長3年 | 〃 | 豊臣秀吉没 (58歳) (朝鮮から撤退ほぼ完了) | |||
1600 | 慶長5年 | 〃 | 関ヶ原の合戦(東軍徳川家康VS西軍石田三成 東軍圧勝) 9/15 (天下分け目の戦い) | |||
石垣原の戦い (大友義統が大友家再興を計る) 1600年9月13日 旧大友家臣たちが岡藩の旗印を使う 東軍の黒田如水と速見郡で対決する (如水圧勝) | ||||||
※安土桃山時代 この時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの大名が台頭し、戦国時代から江戸時代への過渡期とされる1573年から1603年までの約30年間 ただし、この時代の考え方には織田信長が足利義昭を奉じて京都に上洛した1568年、室町幕府が滅亡した1573年からなど、始まりに諸説があります。 また、終わりは関ヶ原の戦いで家康が勝った1600年まで、という説と、1603年家康が征夷大将軍になった1603年という説があります。 |
補陀寺年表&歴史年表その3 〈江戸時代〉
西暦 | 年号 | 時代 | 年表 | 補陀寺他年表 | ||
1603 | 慶長8年 | 江戸時代 | 家康 江戸幕府を開く (以後264年日本を支配第1代~第15代) | |||
1614 | 慶長15年 | 後水尾天皇 | 大坂冬の陣 (徳川家康が豊臣氏を滅ぼした戦い) | |||
1615 | 元和元年 | 〃 | 大坂夏の陣 (同上) 豊臣秀頼、 淀自刃、 豊臣氏滅亡 | 補陀寺の正満和尚、堂宇を再興 観世音菩薩30年ぶり戻る | ||
1616 | 元和2年 | 〃 | 徳川家康没 4/17, 75歳(東照大権現) 武家諸法度発布 | |||
1637 | 寛永14年 | 3代家光 | 島原の乱 (天草キリシタン一揆) 1 | |||
1657 | 明暦3年 | 5代綱吉 | 江戸大火、江戸城本丸、二の丸焼失 | |||
1685 | 貞享2年 | 6代家宣 | 徳川綱吉、生類憐みの令発布(子息徳松を早世) | |||
1702 | 元禄15年 | 東山天皇 | 忠臣蔵(播州播磨赤穂藩藩主浅野内匠頭城内刃傷沙汰) | |||
1716 | 享保元年 | 8代吉宗 | 紀伊藩主、 徳川吉宗将軍になる 12/14 吉四六さんが活躍 | |||
1717 | 享保2年 | 大岡忠相江戸町奉行になる (天一坊事件1728年) | ||||
1732 | 享保7年 | 9代家重 | 享保の大飢饉(前年冬以来天候不順 5,6月まで雨低温) | 近世三大飢餓 ・京保の大飢餓1732 ・天明の大飢餓1782 ・天保の大飢餓1833 | ||
1751 | 宝暦1年 | 10代家治 | 徳川吉宗死(1684~1751) | |||
1774 | 安永3年 | ご桃園天皇 | 杉田玄白 前野良沢 「解体新書」 (刑場で解剖し観察 葛飾北斎 (1760~1849) | |||
1782 | 天明2年 | 天明の大飢饉(全国的飢饉天候不順災害疫病死者10万人) 天明2年~8年 | ||||
1821 | 文政4年 | 伊能忠敬 「大日本沿海興地全図」完成 | ||||
1833 | 天保4年 | 仁考天皇 | 天保の大飢饉~1839 | |||
1837 | 天保8年 | 12代家慶 | 大塩平八郎の乱 | |||
1840 | 天保11年 | 〃 | アヘン戦争勃発(英国VS中国) | |||
1853 | 嘉永6年 | 13代家定 | 米国使節ペリー浦賀来航 | |||
1855 | 安政2年 | 孝明天皇 | 安政の大地震 (午後10時~明方まで) 倒壊家屋1万5千戸、死傷者7千人) | |||
1858 | 安政5年 | 14代家重 | 安政の大獄(尊王攘夷派の志士に対する弾圧) | |||
1860 | 蔓延1年 | 孝明天皇 | 桜田門外の変(大老井伊直弼尊攘派に暗殺される) | |||
1862 | 文久2年 | 〃 | 坂下門外の変 (老中安藤信正尊攘派に負傷される) | |||
旧高田村全域、大洪水で補陀寺の堂塔大破し流出す慈雲山補陀寺全壊大破 | ||||||
1863 | 文久3年 | 〃 | 薩英戦争(英艦隊7隻錦江湾に来航市街地へ艦砲射撃) | 新撰組結成 1863年 | ||
1864 | 元治1年 | 〃 | 蛤御門の変(長州藩VS会津・桑名・薩摩の諸藩 長州大敗 | |||
1867 | 慶應3年 | 15代慶喜 | 大政奉還 (徳川政権及び位記を朝廷に返上) | 徳川氏の地位確保 | ||
補陀寺年表&歴史年表その4 〈明治時代~昭和〉
西暦 | 年号 | 時代 | 年表 | 補陀寺他年表 | ||
1868 | 明治元年 | 明治時代 | 鳥羽伏見の戦い (彰義隊) 1/27 戊辰戦争 (白虎隊) | |||
1869 | 明治2年 | 明治天皇 | 版籍奉還 (諸藩主が領土 (版) 人民 (籍) を朝廷に返上) | |||
1871 | 明治4年 | 〃 | 廃藩置県 (諸藩を廃止し府県をおいた政治改革) | |||
〃 | 〃 | 補陀寺嶺長和尚により再建される (関園寺脇) | 慈雲山補陀寺再建 | |||
1877 | 明治10年 | 〃 | 西南戦争 (2月~9月) (薩摩の士族が西郷隆盛をおして起こした乱 西郷隆盛鹿児島城山で自刃 | |||
1889 | 明治22年 | 〃 | 大日本帝国憲法発布 (天皇制絶対主義、 自由主義、民主主義) | 二院制 (衆議院・貴族院)始り | ||
1894 | 明治27年 | 〃 | 日清戦争 (~1895) (清国の支配下にあった朝鮮を勢力下にしょうとした) | |||
1904 | 明治37年 | 〃 | 日露戦争 (~1905) (満州をめぐる対立、朝鮮進出を狙う日本) | |||
1912 | 大正時代 | 大正時代 | ||||
1914 | 大正3年 | 第一次世界大戦勃発(~1918) | ||||
1924 | 大正12年 | 関東大震災 (M7.9、東京死者6万人、家屋全半壊焼失75万戸) | ||||
1926 | 昭和時代 | |||||
1929 | 昭和4年 | 世界恐慌(市場に於ける需要、 供給、生産、消費の均衡の破壊) | ||||
1932 | 昭和7年 | 上海事変 (托鉢の日本人の僧侶が中国人に殺される) 満州国設立 | 満州事変1931年(柳条湖事件) | |||
1936 | 昭和11年 | 2.26事件 (東京で起きた皇道派陸軍将校のクーデター) | ||||
1937 | 昭和12年 | 日中戦争 (芦溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突) | ||||
1841 | 昭和16年 | 太平洋戦争勃発 (真珠湾奇襲攻撃から西南太平洋地域) | 近衛文麿から東条英機内閣 | |||
1945 | 昭和20年 | 終戦 8月15日 | ||||
1950 | 昭和25年 | 朝鮮戦争勃発(北朝鮮が韓国へ侵攻) | ||||
1953 | 昭和28年 | 西日本大水害 (死者行方不明者1001名、 家屋45万棟、 被災者100万人 | ||||
1964 | 昭和39年 | 東京オリンピック大会第18回(参加94ヶ国、日本金メダル16、総数29) | ||||
1965 | 昭和40年 | 名神高速道路開通 (小牧IC~一宮IC) | ||||
1969 | 昭和44年 | 東名高速道路開通 | GNP世界第2位 | |||
1988 | 昭和63年 | 青函トンネル 3/13 全長53.85km 瀬戸大橋開通4/10 全長 13.1Km | ||||
1989 | 平成時代 | |||||
1995 | 平成7年 | 阪神淡路大震災 (M7.3) 死者6434人 (地下鉄サリン事件) 3/20 | ||||
2001 | 平成13年 | 観音堂を建立(御本尊を安置されている) | 現在山門だけが昔を偲ぶ | |||