今日の新聞に細川藩最後の第11代藩主細川韶邦(よしくに)が1860年に初めて国元の熊本に入部する様子を描いた参勤交代絵図が展示されていると出ていました。早速行ってみました。35mにも及ぶ参勤交代絵図を96枚の写真に分割したもので、常時は記念会館に保存されているそうですが今回は27日まで展示をしているそうです。なお、元絵図は鶴崎剣八幡宮が所蔵しています。
この絵図の人員は800人ですが、多い時期には熊本藩は2~3000人近くいたといいます。参勤交代は定期的に大名を江戸に呼び寄せ反乱の芽を摘んだり、各大名の情報を手に入れていたと思われます。しかし各藩にとっては大きな負担であったと思われます。しかし、徳川吉宗の時代に定められた20万石以上の大名は4~500人程度に決められていたそうですが、実際は大名のプライドが高く人数は多くなっていたようです。よく参勤交代は各藩の負担が多かったといわれていますが、藩としてはその負担よりプライドが強かったようです。
なお、参勤交代の距離は熊本から阿蘇、内牧、久住、野津原を経由して鶴崎までの豊後街道(肥後街道)が122㎞。鶴崎から大阪までの海路(約490㎞)、それから東海道を歩き江戸までの距離が約390㎞。熊本から江戸まで1000㎞に及ぶ長旅でした。
しかし、参勤交代はデメリットな部分だけではなく、熊本から鶴崎までの豊後街道が整備され、また江戸への海路の拠点になった 鶴崎の繁栄のもととなりました。また鶴崎は参勤交代だけでなく、豊後数藩の港があり貿易や物資の集積地としても発展しました。また参勤交代で江戸に行き、当時の文化、政治の中心だった江戸から多くの技術や情報が地方にも伝わってきたと思います。
今回の絵図には細川藩の御座船「波奈之丸」も描かれています。その波奈之丸は高田との縁もあります。明治維新後、細川家から常行の首藤家が買い上げ、乙津川をのぼり首藤家の家に置いていましたが、維持管理のため細川家に返却しました。
「波奈之丸」については下記をご覧ください。
👉首藤家と波奈之丸
毛利空桑会館の展示
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日) ただし毎月第1月曜日は開館し、翌日休館年末年始(12月28日~1月4日)
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
参勤交代絵図の展示会場 楽しみは会館でゆっくりと。
800名近くの人が詳細に書かれています。また、波奈之丸の絵もあります。 実物は会館に出向きゆっくりとご覧ください。
毛利空桑関連の展示 (写真は一部です)
毛利空桑関連の展示が多くされています。高田の三哲になっており、毛利空桑がどういう人でどういう生涯を送ったかを知るのによい場所ではないでしょうか。