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高田村と村長

高田村は江戸時代から長く続いていた印象があります。しかし、実際は明治22年から昭和29年の65年間です。それまでは、亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸村・南村・常行村・関門村・堂園村の9村にわかれていました。そして明治8年には今の自治会に近い6村に合併します。1887年(明治21年)市制町村制が1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、高田の6村丸亀村鶴瀬村、下徳丸村・南村・常行村 関園村が合併し、大分郡高田村になります。その後、1954年(昭和29年)3月31日、川添村、高田村、松岡村、明治村と合併して鶴崎市が発足します。ここで村長はなくなります。

詳しく知りたい方はこちらから
    👉高田村から鶴崎市
    👉各村→高田村

高田校区と自治会長

村長(初代~13代) <明治22年~昭和29年>

初代村長   中村黙二

明治22年~明治30年

日本の状況
 ・明治22年大日本帝国憲法が発布される。

 ・明治27年日清戦争


高田の状況

・明治22年4月市政市町村制実施 高田村ができる。
・明治25年 高田村役場が下徳丸に建てられる
・明治26年 高田大水害

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二代村長   仲摩孫七

明治30年4月~明治31年3月

日本の状況



高田の状況

 ・明治30年 高田の人口 2825人


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三代村長   中村四郎

明治31年3月~大正2年11月

日本の状況

 ・明治37年日露戦争



高田の状況

 ・明治43年  高田尋常小学校が高等科を置き、高田尋常高等小学校に改称
 ・明治45年(大正元年) 高田に初めての電灯がつく。

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四代村長   工藤一雄

大正2年11月~大正11年5月

日本の状況



高田の状況

 ・大正3年  鶴崎駅開業
 ・大正4年  高田小学校校歌が制定される

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五代村長   岡松準平

大正11年6月~昭和4年

日本の状況
 ・大正12年 関東大震災


高田の状況

 ・ 大正13年 旧高田橋開通
 ・ 大正15年 高田小学校落成式 現代の位置

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6代村長   重藤 久

昭和4年~昭和8年

日本の状況
 
・昭和4年(1929年) 世界大恐慌
・昭和6年 満州事変
・昭和7年 五・一・五事件


高田の状況

 ・昭和4年  大野川の改修工事が始まる(現在も継続中
 ・昭和6年  高田小学校の2棟が焼失する
 ・昭和7年  大分県立鶴崎工業学校を設置

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7代村長   岡松準平
<5代>

昭和8年~昭和9年

日本の状況



高田の状況

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8代村長   首藤茂三郎

昭和9年~昭和12年

日本の状況

 ・昭和11年 2.26事件



高田の状況

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9代村長   重藤 久
<6代>

昭和12年~昭和16年

日本の状況



高田の状況

 ・昭和14年 現住友化学大分製造所が操業開始する

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10代村長   首藤親人

昭和16年~昭和19年

日本の状況

 ・昭和16年 太平洋戦争始まる。
 ・昭和17年6月 ミッドウェー海戦(戦局の転機)



高田の状況

 ・昭和17年 昭和井路工事始まる
 ・昭和18年 高田大水害が起きる。

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11代村長   岩尾亀雄

昭和19年~昭和22年

日本の状況

 ・昭和20年 終戦
 ・昭和22年 日本国憲法施行



高田の状況

 ・昭和21年 大野川溢流提が竣工する
 ・昭和22年 下徳丸郵便局が開局する


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12代村長   中村壽徳

昭和22年~昭和24年

日本の状況


高田の状況

 ・昭和22年 下徳丸郵便局が開局

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13代村長   工藤昭三

昭和24年~昭和29年3月

日本の状況

 ・昭和25年 6月朝鮮戦争始まる。


高田の状況

 ・昭和25年 大東中学校舎が落成
 ・昭和28年 昭和井路の試験通水がされる

 ・昭和29年 町村合併により鶴崎市になる

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