*文書は文語体で慣れないかもしれませんが、当時の雰囲気を表現するため、そのままの文体で掲示します。

 しかし、読んでみて意外にわかりやすく読みやすいことに気づきました。水が迫る様子、その後の対応、映像を見るように迫ってきます。本当に貴重な体験を残してくれたと思います。
 また、この文を読んでいるともう一つ気づくことがあります。それはこの大水害が発生したのが昭和18年太平洋戦争の最中であったということです。
大和民族、輝く神国、不撓不屈の大和心 ……これらは当時の世情がよく反映していると思います。大水害、戦争中、また、この突然の試練に我々の心は練られ鍛えられると書いています。

水害記 昭和18年 中村九十九氏手記 (当時の教頭)


水と火とは人にとりて一日も欠くべからざるものなり。然るにその水、又量を過ぐればその恩恵を忘れ怨みとなること常なり。
昭和18年9月20日大野川下流一帯の沃土を水面下数尺に浸せしめ居民をして生命の存否を憂慮せしめたるも蓋しこれなるべし。 今、当時の模様を録して記
とす。
 雨は天より降るものとして9月19日より降り続く雨にも何の懸念も焦慮も伴はざりき。然るに20日に至りその水量著しく増大し、 汽車不通となり各河川の水量も増して高田橋附近は濁流滔々として将に氾らんの状態なり。村内も排水の悪低地は大人の股までもあり、その水を見るにつけ不安よりも水害の恐るべきを一度も味わはざりし者ゆえ一種の興味さえ感じいたり。然るにこの水、 この流れ、道も畠も田圃も庭も運動場も水浸しの状態にては授業は到底駄目なりと見放したり。 簡単なる臨休位の(臨時休校ぐらい との意味か?)予想をなし安心と予猶とを期待したるなり。然るに余りにもどしゃぶりの雨に河水はいやが上にも増大し、内務省の遠大な設計に成りたる堤防も信用し得ぬとの情報に接しぬ。
弦に至り出水の恐れある事を痛感し、手遅れとなりては一大事と出勤致し居たる校長(後藤萬蔵) と教頭 (中村九十九)と佐藤茂訓導と給仕の大塚岩男君と4人で流失の恐れある一切の道具を高所へ 高所へと上げ行きたり。 学校に物なき様にてさて片附けんとすれば仲々に多し。 あれもこれもと汗を流しつつ、ある物は机の上に、ある物は戸だなに仕末をし裁縫室の畳も教卓の上に積み上げたり。 重要書類は戸だなに入れたり。
 県指定軍人援護研究会を開催する予定にてあらゆる準備を略々完了致し居りし各教室の教べん物も一通り片附けたり。然るに、 あれもこれもと焦慮の中に濁流は床の上まで増水し、 非常なる勢いにて廊下を流れ始めぬ。 何はさておき、 日用品はと思い宿直室の畳、布とん、火鉢、飲料水、食糧などを階段まで運搬せり。 水先が足をなぶり始める中をよく運べたものと思い出さる。 次は当時学校に飼育の牛の事が気懸りとなりぬ。 早速引き出せしもなかなか歩まんとせず。 もうその頃は狭い校舎の間と廊下は相当の瀬をなせり。 高所へ高所へと後の事は考えずに上げたり。
 増水は益々激し。 もはや外にては絶体歩けぬ。日用品だけを所持して二階に上りぬ。 二階よりながむれば、 運動場ははや大人の背よりも深し。 板戸、 ガラス戸、藁、竹等流れ来り始めたり。しかもなお増す許(ばか)りなり。ついに門柱も隠れ終りぬ。 ただ気にかかるは奉安所のみなり。 「尚二尺あり、尚一尺あり」と見つつ、まさかの場合を予想し、ポケットに入れ居たりし鍵をグッと握りしめたり。最後は抱きて泳ぐより外仕方なしと決心せり。ジッと増水の水先を
みつめているのみ。 いろいろのもの流れ去り流れ来りぬ。 「鳴呼今迄自分達の整理せしものはついに水泡に帰すかと不安の中にじっとみつめ怒りの眼を向けぬ。
 自然の偉大さに今更ながら驚嘆し異様なる緊張の為身の引締るを感じつつ運を天に任せ水をみつめるばかりなり。
 裏の畠に水をみしより四時間なるも、 あらゆる焦慮と不安の為数十時間の長きに感じつつ過したりき。 減水! 水は引き始めたり。 「これで助かる。 奉安所は無事だった。」と安堵し目頭は熱くなりぬ。 校舎 校具の破損を想像し、藁屋の人達は如何しつらんと安心の中に種々の惨状が想起さるるに至りぬ。
 早速校舎を一巡せり。 泥の中を危く歩きぬ。あれもなし、これもなし、西側の校舎は硝子戸一枚残りしのみ。 理科室には流れ出んとせし机一腰窓にのしかかれたるのみ。 実験道具も器械も標本も全部目に入らず。 職員室には泥まみれの机一残れるのみ。唯落胆 失望の他なきなり。 特に残念なりしは支那事変及び大東亜戦護国の華となられたる勇士の数々の遺品の全部流失せしことなり。 英霊に対しても遺族に対しても唯々申訳なく、胸にグッとつかえるものあり。 しばし目をとじ黙祷を捧ぐ。
 唯唖然として惨状を傍観するのみ。 やがて日も西山にかかりぬ。 二階にかえりて夕飯の支度にかかりぬ。 流れつきし里芋を濁流にて洗い、 戦地を偲ばす粗末な飯をいただく。 食事をして落ちつくと家の事も心配となり始めぬ。 然し生きていたる喜び! この世に生きての生命観! やがて夕闇となりぬ。 陰惨なる光景をながめつつしばし佇ずむ。 夜に入るも明りもなし。 明日の事を考えつつ床に入る。 窓からみると今迄荒れたる自然の猛威はどこへやら、 優しく美しき月雲にかかりぬ。 大きな衝動をうけし心の底に言い知れぬなつかしみを感じつつ夢に入りぬ。
 我々は大和民族の存亡を賭して戦いつつあり。 大東亜戦争のさ中、国内における自然の猛威には打勝たざるべからず。 この二重の苦難を突破して肇国(ちょうこく その国を始めて(=肇)建てること)以来燦として輝く神国日本を安法の境に置くものは一に吾々の真心にして不撓不屈の大和心なり。水害に意気消沈するが如き事ありては到底戦は不能なり。 この突然の試練に我々の心は練られ鍛えられる。 徹底的に宿敵を破砕する真価を発揮するは正に只今なり。
[中村九十九氏(当時教頭)の手記]