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1・藩から県へ

・明治の初め、大分県には県がいくつあったでしょうか? 
・高田は今は大分市、その前は鶴崎市、ではその前は?

1868年明治維新があり、このときに全国に置かれた地方公共団体は「府」と「県」のみで、その数は全国で3府302県にものぼっていました。をそのまま県に置き換えただけでした。大分県は江戸時代末の藩名をほぼ県名に変え森県(玖珠方面)、岡県(竹田方面)、臼杵県佐伯県府内県杵築県日出県および島原県、熊本県の飛び地の8つに分かれていました。我が郷土高田は熊本県の飛び地になります。
しかし、1871年(明治4年)廃藩置県が行われます。当初の統廃合で3府72県となります。ここで大分県は2県でなります。
例えば熊本県(熊本県・八代県)、宮崎県(美々津県・都城県)・鹿児島県(都城県・鹿児島県)のように分かれました。
大分県も当初は(大分県・小倉県)に分かれていました。豊後の国は大分県になり、豊前の国が小倉県に当初なっていましたが、1876年(明治9年) 宇佐、下毛郡が大分県になり、小倉県は福岡県と合併します。そして現在の大分県の形になります。
他の県でも変更があり、1887年(明治21年)市制町村制が取り入れられ、最終的に1888年(明治22年)にほぼ現代の3府42県になります。(沖縄、北海道を除く)

2・大分郡高田村➡鶴崎市➡大分市

市制町村制が取り入れられた1887年(明治21年)当時の日本には、江戸時代から自然集落としてできた町と村だけが存在し、その数は71,314町村でした。「市制町村制」が取り入れられたことから、明治21年に7万超あった町村は39市15,820町村へと変わりました。
九州では長崎市、福岡市、久留米市、熊本市、鹿児島市、佐賀市がこの時に市として誕生します。
大分市は残念ながら、この時点では大分郡大分町(戦後の大分町とは違います。)であり、1911年(明治44年)に大分市となります。
鶴崎地区では1887年(明治21年)市制町村制が1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、鶴崎が大分郡鶴崎町となります。ちなみに高田は大分郡高田村になります。その後、1954年(昭和29年)3月31日、川添村、高田村、松岡村、明治村と合併して鶴崎市が発足します。(三佐、別保、桃園はそれまでに合併している)

1963年(昭和38年)3月10日 – 鶴崎市が大分市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町と合併(新設合併)し大分市となります。

3・高田地区の詳細な流れ

大分県、大分市の設立までの流れを書いてきました。では高田はどのような動きをしたのでしょうか。
明治維新時はわが高田は[亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸・南・常行・関門村・堂園村]の9村がありました。
明治4年に廃藩置県があり、これまでは細川藩(熊本藩)でしたが、ここで各村は大分県に属するようになります。
また、明治6年には 大区小区制 が実施され高田は第3大区(大分郡)第11小区に指定ます。これにより高田の各村は大分郡に属するようになります。
話が前後しますが、1871年(明治4年)廃藩置県が行われ維新政府により地方統治は県庁を通した大区小区制が実施されます。従来の小規模の町村では効率的な行政が実施できないため、町村を大区・小区に再編成したものです。 府県の下に大区を置き、大区の下に小区を置くことを基本として各県で設定しました。大分県では明治8年時点では大区(小区は省略)

大区郡名明治15年時追加郡
第1大区国東郡西国東郡 東国東郡
第2大区速見郡
第3大区大分郡
第4大区海部郡北海部郡 南海部郡
第5大区大野郡
第6大区直入郡
第7大区玖珠郡
第8大区日田郡
下毛郡、宇佐郡

高田は当時 [亀甲村・上徳丸村・大鶴村・鵜猟河瀬村・下徳丸・南・常行・関門村・堂園村]9村がありましたが、各村は第三大区(大分郡)第11小区に指定されます。例えば、関門は大分郡関門村になります。
1875年(明治8年)には丸亀村(亀甲村・上徳丸村)鶴瀬村(大鶴村・鵜猟河瀬村)下徳丸村・南村・常行村 関園村(関門村・堂園村)の6村に合併します。

なお、高田村志によると各村を上と下の二部制にしていたそうです。上の役所と下の役所に分かれ夫々に戸長を置いていました。
【上】戸長 中村黙二  丸亀村・上徳丸村・下徳丸村・南村 
【下】戸長 仲摩専策  常行村・関園村

(注) 戸長
政府は江戸時代からの庄屋、名主、年寄、大庄屋等を廃止し代わりに、大区には区長、小区には戸長を置きました。

2・と一部重複しますが、1887年(明治21年)市制町村制が1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、高田の6村丸亀村鶴瀬村、下徳丸村・南村・常行村 関園村が合併し、大分郡高田村になります。
その後、1954年(昭和29年)3月31日、川添村、高田村、松岡村、明治村と合併して鶴崎市が発足します。(三佐、別保、桃園はそれまでに合併している)1963年(昭和38年)3月10日 – 鶴崎市が大分市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町と合併(新設合併)し大分市となります。