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高田の消防団の推移も全国の流れと同じように推移していきました。
消防組⇒警防団⇒消防団 の流れです。それをたどってみましょう。

明治5年に明治政府によりこれまであった町火消しを消防組と改めました。これを全国統一したものにするため、明治27年(1894年)政府は「消防組規則」を公布し全国的に統一された消防組(消防団の前身)が立ち上げられました。それにより高田村も各大字に消防組が組織されさらに明治42年5月に下徳丸、南が合併、大正4年には鶴瀬丸亀が合併し、高田村消防組は四部となりました。

なお、消防組、警防団、消防団への推移についての詳細は先にアップした消防団の歴史と合わせて見ていただきたいと思います。高田村での推移は下記のとおりです。

明治8年まで高田には( )内の8村がありましたが、丸亀村(亀甲村・上徳丸村)
鶴瀬村(大鶴村・鵜猟河瀬村)下徳丸村・南村・常行村・関園村(関門村・堂園村)が明治8年に太字の村の6村に合併しました。
明治22年の市制町村制により高田村ができます。これまでの村は大字になります。
明治27年 高田村各大字に消防組が設置される。(6部)
明治42年に下徳丸と南が合併し一つに、大正4年には鶴瀬と丸亀が合併し一つになり、高田村の消防組は4部となります。
昭和16年1月2日 高田村警防団第3分団に名称変更(第二次大戦に伴う国防のため)
昭和22年9月30日 警防団解散式 
昭和22年10月7日 消防団結成式
         名称 大分市消防団第二方面隊高田分団

第二方面隊は大分市にある8方面隊の一つで鶴崎地域の方面隊になります。また分団として鶴崎、別保、三佐、明治、高田、川添、松岡の7分団があります。

   (昭和22年消防団結成時)

  • 第一分団………鶴瀬・丸亀
  • 第二分団………下徳丸・南
  • 第三分団………関門・堂園
  • 第四分団………常

 

現在の消防団

第二方面隊高田分団第一部
第二方面隊高田分団第二部

「令和4年7月現在」

  • 分団長   得丸 浩二
  • 副分団長  仲井 聡
  • 団員数
    第一部19名 部長 向洋志  (鶴瀬、亀甲、上徳丸、下徳丸、 南)
    第二部18名 部長 宇田輝彦 (関門、常行、堂園各自治会)

高田消防団 役職者名

分団長副分団長
平成元年度~平成4年度豊田 忠昭宇田 静雄
平成5年度~平成10年度宇田 静雄江藤 久範
平成11年度~平成16年度江藤 久範得丸 昭一
平成17年度~平成20年度得丸 昭一渕 俊一
平成21年度得丸 昭一牧 宏信
平成22年度~令和3年度牧 宏信佐藤 友彦
平成4年度~得丸 浩二仲井 聡

高田消防団の訓練状況を見てください。

👉高田消防団の訓練状況