高田若宮八幡社は大友氏が豊後に入ってきた鎌倉時代初期の1190年代に創設された古い神社です。なお、神社がこの高田の地に創建された趣旨は、この地が大野川下流の交通の要地であり、砂鉄が豊富に得られることなどの理由でこの地を選び、郷の安泰、五穀豊穣、刀鍛冶など武具の製造をはじめ、諸産業の繁栄を祈願するためであったと伝えられています。応永元年(1394年)に大友第11(10代)代大友親世(ちかよ)は広く高田荘全部を当社の社領に充てたといわれています。高田荘は昔の鶴崎市の規模だったと思います。その広範囲の領域をこの若宮八幡社の社領に充てたのです。
したがって社地や社殿なども規模は広大でした。
【[注]「高田荘」の地域は、高田・鶴崎・三佐・桃園・別保・明治・日岡・東大分・日岡・志村・川添村迫・鶴村などの1町九ヵ村であり広範囲でした。】
その後、水害や火災にあい縮小していきますが、高田住民の伝統と歴史をまもろう、とする強い支えによて今日を迎えています。
現在は宮総代会は宮総代会長以下20数名の宮総代で運営しています。しかし、春祭り、秋祭、その他多くの神事、そして狭くなったといっても広大な神社の除草や伐採に人手が足りず苦戦しています。
この長い伝統と歴史を待つ若宮八幡社を高田住民が一丸となってバックアップしていきましょう