大分市の歴史の残したい文化遺産として紹介されていた亀塚古墳に行ってきました。大分市坂ノ市里にあります。(最後に地図を乗せておきます)
一度訪ねたことがあったのですが、再度その大きさに驚きました。また高田の近くにこれほどの文化遺産があったとは知りませんでした。かっては竹藪だったそうです。しかし、大在から坂ノ市にかけての最近の道路や住宅開発によて多くの古墳や遺跡がみつかっているようですが、その一つになります。大分県内の最大規模の古墳の一つだそうです。
古墳の周りは一部は芝が貼られていますが、かっては全て石が貼られていたそうですがほぼ当時のままに復元をしているそうです。
また、亀塚古墳公園内には、大分市海部古墳資料館があり、古墳時代の歴史の流れや、発掘品の展示がされています。何度も行くところではありませんが、一度は訪ねて悠久の時の流れに浸ってみるのも良いのではないでしょうか。

《太田合同新聞  未来に残したい大分『亀塚古墳』 映像より》

ちょっと、見劣りがしますが、私が写した写真もアップしておきます。そのスケールの大きさだけでも味わってください。

当時は全面に石が貼られていたようですが、それ以外はほぼ当時のままに復旧しているそうです

ピラミッドに登っている気がしてきます

卑弥呼の時代に生きている気がしてきます

秦の始皇帝になった気分
過去と現在

《海部古墳資料館》

順序が逆になりましたが、亀塚古墳の概要です。資料館の資料等を編集しています。
概要
 大分市の東部にある『亀塚古墳』、古墳時代前期の(4世紀末から5世紀初頭)に築造されました。
 前方部を南に向けた3段構築、全長116メートル、高さは前方部7メートル・後円部10メートルと県内最大級の前方後円墳です。
古墳の各段には150以上もの円筒埴輪(えんとうはにわ)が並んでいます。スイジガイという貝や船の文様が描かれており、海と深い関係があったことを示しています。墳頂(ふんとう)に登れる古墳は珍しく、別府湾まで見渡せることが出来ます。
 埋葬施設は円形部の頂に設けられており、長さ3.2メートルにもおよぶ大形の箱型の組合せ式石棺(せっかん)が埋められています。埋葬されていたのは、(あまべ)の(しゅちょう)であると考えられています。海部の首長らは中央のヤマト政権とも深い関わりを持っていたと見られ、この古墳の大きさや副葬品、そして周辺に点在する古墳群の数からも、権力の大きさが伺えます。
 近年まで、この一帯は深い竹藪に囲まれていましたが、周辺の道路建設や住宅地開発に伴う調査が進み、1996年には国の史跡に指定されました。
それに伴う大規模な整備により、「亀塚古墳公園」として保存され、石棺やレプリカの埴輪が再現されているほか、敷地内には「海部古墳資料館」が開設され、古墳の出土品のほか、大型ジオラマによるムラの生活の様子が再現されています。

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